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2007年6月12日 (火)

臨床と研究の違い

昨日の新生児集中治療室(NICU)当直は、またもや重症の赤ちゃんの搬送のおかげで夜7時から朝の9時までNICUから離れられずじまいでした。振り返ってみると、あーすればよかったとかこうすればよかった思ってしまうのです。NICUでは、重症の患者さんの症状や検査から限られた時間内でベストの決断を下して、スムーズに治療を行い、その治療が正しかったかどうかを再び評価するという非常にレベルの高い能力を求められます。そして、それら一連の行為はやり直しがきかず、その患者さんにとっては永遠の結果をもたらすのです。
一方で、研究においては状況が違います。情報は集め放題、考えるのに時間もかけることができ、実験もやりなおしができます。時間の制約と言えばせいぜい、競争相手とのせめぎ合いや、留学や在学の期間や、グラントの締め切りといったものでしょう。しかし、その分、レベルの高い内容を求められ、臨床の現場でよく口にするような「かもしれない」を「・・・に違いない」と納得させる証拠を示さないといけない分、レベルが高いのかもしれません。
もちろん、臨床も研究もそれぞれに応じたレベルの高さを求められる訳ですが、これは時間の芸術である音楽と空間の芸術である絵画・彫刻とよく似た関係であると思います。音楽ではいつも上手い人が本番で必ず成功するとも限らず、かといって時間をかけさえすれば誰もが素晴らしい絵画を描けるとも限りません。
それでは、人の人生はどうかというと、時間と空間のミックスであると思いますが、クリスチャン的立場からいうと神さまとの関係は大方、時間の芸術に近いと思います。人生のあるときに神の言葉やよびかけに対してどう反応したかということが永遠に影響すると思います。(Hebrews 3:15)一度きりの人生、永遠の結果を評価してくださる方の前でどのように歩むことができるか、あーすればよかった、こうーすればよかったということの無いような歩みを心がけたいものです。

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コメント

そうですね。言葉を変えるとそういうことですね。
失敗がゆるされない臨床と失敗から得ることもある研究。ある本に、「研究でも1回でベストの結果を仕留めにかかる真剣さが必要だ」と書いている方がおられましたが、その人は臨床のバックグラウンドを持った研究者でした。

投稿: hide-tan | 2007年6月14日 (木) 22時28分

臨床医に求められる資質、それは失敗を回避する能力。研究者に求められる資質、それは失敗を恐れない、めげない精神。これは、失敗を恐れない臨床医や
失敗しそうならやめとく研究者がありえないことから
明らかです。はたしてこれは両立できるのか?場面によって切り替られることができるのか?これは永遠のテーマではありますが、すこし意識すると行動パターンをコントロールできるのかもしれませんね。

投稿: KWADA | 2007年6月14日 (木) 21時07分

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