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2007年7月 7日 (土)

完璧な赤ちゃん?

学会2日目は、基礎研究の講演で頭をフル回転でした。ふりすぎて闇の中に飛んで行くという場面もありましたけど・・・。数年前には、「こんなことを言っている先生もいるけど・・・」と言っていたことが、今、案外ホントらしい・・・ということになり、それを受けて、何十年も使われて来た細胞の名称も変わりつつあります。今は他に名称をつける人がいないので、「一応、これまでのように○○とおよびします・・・」という講演をされている先生がいたのが印象的でした。

さて、お昼過ぎに学会会場を出て、夕方、NICU(新生児集中治療室)に行くと、またまた病気の赤ちゃんが何人も入院になっていました。普通の市民病院だと何年に1回、経験するかどうかという稀な症例が毎週のように次から次へと入院して来ますので、毎週違った文献や教科書とにらめっこしています。

そんな赤ちゃんがいる一方で、バイトで産科医院などの健診をしていると、「頭の形が左右対称じゃない気がするんですけど・・・」「こんなところに小さなホクロが・・・」「なんか髪の毛がうすいんですけど・・・」など、どう見ても健康な赤ちゃんの病気とは言えないようなことを心配げに尋ねてこられることが多々あります

NICUに入院している重症の赤ちゃんのことを思うと、「ええやん。ちょっとくらいイボがあっても。まったく左右対称の人なんていないし、私もあなたも完璧な体じゃないでしょ〜。」と心の中ではつぶやきつつ、「いやいや、このお母さんにとっては本気で心配なことなんだ。このままほっておくと、こんなことがつまずきになって育児不安や育児放棄につながらないともいえないんだ。」と思い直して、医学的には問題がないことを「大丈夫。生えてきます。僕の毛が薄くなったら、もうあかんけど。」なんてユーモアを交えながらお話しています。赤ちゃんの元気であることの大きさの前では、少々のことなど気にならないはずなのですが、赤ちゃんの健康を当然のこととして思うのは仕方ないですもんね。一方で、小児科、新生児科医師が我が子に健康面での問題が生じたときには意外と冷静に思えることが多いです。それは「自分たちだけが例外ではない」ことをよく心得ているからではないでしょうか。

見方を変えると、面白いことに、お母さん、お父さんになった当日から、自分のことはさておき、我が子には完璧であってほしいと思ってしまう親のエゴのようなものが頭をもたげてくるのかな〜と思ったりしますが、生まれたばかりの我が子はやはり汚れの無い、天使のように思えるのは仕方ないですね。でも、我が身を振り返っても、最愛のパートナーを見つめてみても(「恋は盲目」という状況でなければ)やはり完璧とは言えないのですし、そんな二人から手品の様に完璧な子が生まれてくることはありません。それは、見た目にもそうですし、内面的にもそうです。

だから、人というのは、「やがては朽ちていく体をもった罪人」として生まれてくることが定められていることが完璧ではない赤ちゃんを診ているとわかります。神様は赤ちゃんを創られたときに、完璧に創られていない自分を見て、完璧な存在である神様を見上げるようにされているのではないかと思います。だから、自分のそのような姿を認めたときに神との出会いが実現できるでしょう。そしてキリストの十字架で自分の罪や汚れを取り除かれたことを信じたものは、来るべき日には責められる点のひとつもない聖い朽ちない体を着ることになりますし、それまでも、少しずつ神の似姿に変えられていく歩みが可能になっていくのではと思うのです。

”だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(新約聖書 第2コリント 5:17)"

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