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2007年11月11日 (日)

日曜礼拝シリーズ:Love Comes First.

今日の聖書箇所:コリント人への手紙第一 9章19〜23節

”私は対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にいる人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
律法を持たない人々に対しては、ー私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守るものですがー律法を持たない者のようになりました。それは律法をもたない人々を獲得するためです。
弱い人々には、弱い人々のようになりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
私はすべてのことを福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです”

子ども達の好きな物語の中に、人魚姫があります。これは、人と人魚との違いを乗り越えて愛を貫こうとする美しい物語です。人魚姫はなんとか人間と同じ姿になって愛する人を得ようとするのです。私たちも、結婚するまでは、いかに自分が相手と共通点が多いかということをアピールしますが、ひとたび結婚すると、あまりにも違いすぎることに驚きます。自分と違う人を愛するとはなんと難しいことでしょう!しかし、キリストにあって私たちはそのギャップを埋めることができるのです。

パウロがこの箇所で述べているように「すべての人に、すべてのものとなる」とはどういうことでしょう?
そのために自分がもっているものであきらめないといけないものとは何でしょう?パウロは「私は対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」と言っています。私には自由に生きる権利がある。しかし、愛する人々のためにそれをあきらめます!と宣言したのです。
そして、「人々を得る」とはどういうことでしょう?それは、その人との関係を築き、悔い改めに導くこと、つまり、キリストとの関係に導くことです。ここで、パウロは自分が本来そうではない姿を演じているような言い方をしています。なぜ、わざわざそのようなことをしたのでしょう?なぜ、そのように誤解をうけるような、混乱を招くような真似をしたのでしょう?なぜ、そんなリスクを背負うのでしょうか?

それは、理想とする信仰理念(=Idea)よりも人々の方が大切だからです。
People are more important than ideas!
私たちは実にideaが好きで、それを語り合います。確かに重要なことですが、それが時には人を傷つけることになっていないでしょうか?パウロは自分のideaに即しない行動をとるというリスクを背負いながらも、人々と関係を築こうとしました。もしかしたら、誤解を招くかもしれない。もしかしたら、違法ドラッグや同性愛、妊娠中絶などを肯定しているように自分のことを誤解されるかもしれない。しかし、人々にとって大切なことは「自分も愛されているんだ」と感じることであって、あなたの理念(Idea)が誤解されても、あなたの愛が誤解されない方が大切ではないでしょうか?
それでは、「どんなことをしても神はゆるしてくださるのだ!」という歪んだ考えを植え付けてしまわないか?と危惧する必要はありません。なぜなら、神の愛を知ることなしに、神に立ち返ることはできないからです。Love Comes First!なのです。

最後に、「福音の恵みをともに受ける者となる」とはどういうことでしょう?福音の核は「愛」です。私たちクリスチャンは人々を愛することで、もっと神の愛がわかるようになります。福音を伝えれば伝えるほど、それが自分のものとなっていくのです。
あなたにとって、「すべての人に、すべてのものとなる」とはどういうことでしょう?

黙想:
1:神はあなたをどのような人々のところへ遣わそうとしておられますか?
2:どのようにすれば、その人々と同じようになれるでしょうか?
3:彼らを愛するために背負うべきリスクとはなんでしょうか?

hide-tanより:
イエスキリストも、罪人や取税人のところに行き、一部の宗教家から彼らの仲間だ!と批判を受けたりしました。
そこでイエスが言われたことばは次のことばです。
「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。
わたしは正しい人々を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです。」(ルカの福音書5章31、32節

この御言葉を開くときに、私はたいてい次のうちのどちらかの反応を示します。
1:自分は神を頼らずとも”自分の正しさ”で生きていけると考えていることを気付かせられ、偽善者ぶりを反省する。
2:こんな罪深い私でも招いてくださるのだと神の愛に安心し、悔い改める。
上記のいずれも間違った反応ではなく、必要なことですが、できれば、私もキリストを真似てこう言いたいものです。
『私は、自分と同じように”自分もまあまあ善人なんじゃないの?神様の基準もクリアーしてるでしょ。”と思う人たちや、自分と同じように表面上は善人だけど、内面はドロドロしたものが渦巻いている人、または自分と同じように悪い習慣から抜け出せずにいる人たちに対して、”私はあなたを裁かないし、キリストもあなたを裁きはしない。あなたの正しさは雪のように白い、と言って愛してくださる神がこんな私も、そのようなあなたも同じように受け入れて下さっている。”ということを伝えるために今ここに生かされているのです。』

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