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2008年1月14日 (月)

日曜礼拝シリーズ:あなたに届く天の声

今日はバプテスマ(洗礼)式があり、礼拝メッセージもそれにちなんだ内容でした。

聖書箇所:マルコの福音書1章9-15節
”そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、バプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになった。
そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて、御霊が鳩のように自分の上に来られるのをご覧になった。
そして天から声がした。「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ。」(9-11節)”

説教の概要:
筆者マルコはイエスは神の子であるということを、この書物の前提として、イエスの宣教の最初のこの出来事を通して書き記しています。

この箇所は、子なる神イエスキリストに聖霊なる神が下り、父なる神の声が宣言するという三位一体の神が一同に現れる素晴らしい瞬間を記しています。父なる神は、「これは私の子である」と宣言されましたが、新約聖書にパウロはこのように書き記しています。

”あなたがたはキリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。(ガラテヤ3:26)”

人は自分が本当にしたいことと、他人が自分にしてほしいと思われることのバランスの中に生きています。それは、自分が他の人から認められたいという思いがあるからです。他人から認められるということはそれなりに意味のあることでしょう。しかし、神から認められるということはどうでしょう?それはこの世でだけではなく、永遠に意味のあることなのです。

キリストへの信仰により、彼につくものは、イエスがされたのと同じ経験をします。
だから、キリスト・イエスを信じたあなたが最初にする経験はこのようなものです。
すなはち、天が開けて父なる神がこのように宣言されるのです。「あなたは私の愛する子。私はあなたを喜んでいる。」と、そして、聖霊なる神があなたのうちに住まわれます。
神はご自分の創造物を喜ばれる方です。神は不必要な人を創ったり、もともと捨てる目的であなたを創ったりするようなことをなさいません。あなたが神の前に出たとき、"You are enough."(そのままでいいんだよ)と言ってくださるのです。

さて、神の子であるキリストは、このバプテスマの経験をしたのちに荒野でサタンの試みに会わねばなりませんでした。そして、最後にエルサレムでは、大変な苦しみの中で十字架に貼付けにされました。キリストは神の目的を達成させるために苦しみを経験しました。

私達も神の子とされたのち、イエスのような苦しみを味わうことがあると思います。それは、神があなたを愛しておられ、神の子としてふさわしく歩むための神の計画です。それは神があなたを子として扱うからこそのことなのです。

クリスチャンであるあなたは、神の子として歩みたい、神の計画を成し遂げたいと思っているでしょうか?毎日、聖霊の語りかけに耳を傾けているでしょうか?

マルコは旧約聖書のすべてはイエスキリストにより完成されることを記そうとしています。あなたの人生がイエスキリストを指し示すような歩みをし、あなたの人生をキリストによって完成させていただきましょう。あなたの物語を神の偉大な物語に加えていただきましょう。

「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ。」

この言葉とともにキリストイエスにある新しい人生を永遠に意味のある人生をともに歩んでまいりましょう。

hide-tanの感想:
キリストに語られたこの言葉が自分にも向けられているという特権をあらためて確認しました。
「あなたの物語を神の偉大な物語に加えていただきましょう」というくだりは昨日、私がminoriに話したことが自分にも返って来たという気がしました。私の物語をイエスキリストの物語にしていただくためには、自分の人生の主人公はキリストでなければなりません。人生を終えるときに、「hide-tanはキリストのためにエラい頑張ってた」というよりは、「キリストがhide-tanの人生の中に生きているように思った」と言われるクリスチャンになりたいと思いました。
(写真:サンフランシスコのユニオンスクエア)
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