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2008年2月25日 (月)

日曜礼拝シリーズ:(前半)私の中のパリサイ人

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写真と音声ファイル:"Hymn"という曲をクワイアーで賛美しました。メッセージの内容と合わせた歌でした。

今日の聖書箇所:マルコの福音書2:23-3:6

マルコの福音書2:23-28book ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」

説教要旨(前半):
”しきたり”というものの中には良いものもあれば、良く無いものもありますが、人々は時として、なぜそのようなしきたりがあるのかということを忘れがちではないでしょうか?

安息日というのは、天地創造を6日間で終えて7日目に休まれた神様を覚えて、この日を聖なる日として仕事を休んで神様に感謝する日にしましょう、という目的でもうけられた日です。しかし、ユダヤの律法学者(パリサイ人)たちは、その安息日を守ることで、自分を正当化し、守れない人を攻撃することによって自分の地位を守ろうとするようなことをしていました。安息日の目的を忘れ、安息日を守ること自体が目的となってしまったのです。
ここでイエスが語られているダビデはやがてイスラエルの王となった人でした。祭司アヒメレク(アビアタルの父)はダビデを来るべき王として認めたので、本来は神に捧げるべきパンで祭司以外は食べてはならないパンをダビデに与えたのでした。(hide-tan注:このアヒメレクはこのために、その直後、ダビデの命を狙うサウル王に殺されてしまいます。第一サムエル21章参照)
この祭司は王国に忠誠を誓うことは、王に対して忠誠を誓うということを心得ていたのですが、この律法学者たちは神の王国の王であるキリストを自分の”王国”を守る為に退けようとしていたのでした。
私達はクリスチャンとしての”聖書的な”しきたりを守ることに熱心になりすぎて、神様の愛を人々に示したり、神様の栄光を人々が見ることができるような聖書的な生き方をすることを忘れていないでしょうか?
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hide-tanの感想(前半):
この箇所を読んでの感想はいつも、「まったくパリサイ人はしようがない奴らだ・・・」と言ったものでした。しかし、自分を振り返ってみると、たとえば研究室で、みんながしたがらないような実験室のメンテナンスを毎回自分がせざるを得ないときに「自分の実験のことだけ考えてんと、こういったこともちゃんとせんとあかんやろ!」と心の中で怒ってしまっている自分に嫌気がさす事があります。
同じことをするのでも、「これで、他の人が実験するときに便利になる。嬉しいな〜。」みたいな喜びをもってやらないととは思うのですが・・・。自分の中にもパリサイ人がいる、ひょっとしたら結構ウジャウジャいるかも・・・。


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