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2008年2月

2008年2月29日 (金)

懐疑論の中での信仰

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聖書に書かれてある神こそが本当の神であるとなぜ言えるのか?

神が愛の神ならば人生に悲しいできごとが起きるのはなぜか?

このように聖書の教えに対しての疑問に答えてくれるようなセミナーがスタンフォードで開かれるようです。講師はTim Kellerさん。ニューヨークにあるRedeemer's Presbyterian Church
という急成長している教会の牧師みたいです。

最近、CBN(Christian Broadcasting Network)でこの人がフォーカスされていたので、気になっていたので、聞きに行って来ようと思います。最近、"The Reason for God"という本を出版されたのですが、この本のホームページからいろんなリソースがダウンロードできます。(この人の英語は聞きやすいです。)

クリスチャンの方も、理論的に聖書に向き合いたいと思われる方におすすめです。
このような質問の中には、クリスチャン歴20年の私も答えられなものが多いのですが、質問に対する答えを考えることで、聖書の素晴らしさやキリストの十字架と復活の意味をあらたに噛みしめられたりします。

なので、私としては、前回紹介したFrancis Collinsに引き続き、質疑応答でどんなディスカッションが飛び出すか楽しみです。

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2008年2月28日 (木)

お前には見せたらん。

先週の苦労した動物実験の結果が、うまい具合にポジティブデータになりそうな気配です。
実験を手伝ってくれている院生chrisが、

「昨日hide-tanが解析していた、あれ、どうやった?」
と聞いて来ました。
『あーあれか。データはあるけれど見せられへん。」
「&%#!;>?」目を白黒させるchris。coldsweats02
『だって、ブラインドで評価したいやろ。』
「あ、そうか。そしたら早く番号つけて僕に回して!」

治療群と非治療群にわけて、効果を見る実験なので、こんな意地悪も”されてうれしい意地悪”になるわけです。smile

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2008年2月27日 (水)

One Dollar Coin (続編)

昨日に引き続き、再び1㌦コインの話題を。

今日、同じ自販機で、5ドル札を使うと、”おむすびコロリン”のごとく、1㌦コインがザクザク下りて来ました。
今日のは3人とも初代大統領George Washingtonで、昨日とは違い、2007年製造のもので、ピカピカでした。
これはどうも評判の良し悪しが微妙な歴代大統領コインの一つです。

でも、初代ワシントン大統領はワシントンDC近郊の彼の家にツアーに行って以来、私の好きな人物なので、ちょっと嬉しいかも・・・。
よく考えると、カーターセンターのあるアトランタに学会で出掛けたときから、カーター元大統領のファンなので、自分ってかなり影響されやすい人間かもしれません。
(今日もジミーカーターのオーディオブックを聞きながらの実験でした。)

(写真:ジョージ・ワシントンが通っていた教会)
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(写真:ジョージ・ワシントンが育ち、引き継ぎ、職務を行い、 息を引き取った家。Mount Vernonウェブサイトを参照。Dscf0044

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2008年2月26日 (火)

Susan B. Anthony dollar

アメリカに来てからというもの、いろんな出会いがありますが、今日はちょっと変わった出会いがありました。

それは、なんと1㌦コイン!

自動販売機に1㌦紙幣を入れて返金ボタンを押したら、大抵はクウォーター(25㌣)が4枚落ちて来ると思うのですが、今日はコインが一つだけ。
「なんやねん!これ?」
『1㌦コインやで。』と後ろで待っていた人に教えてもらい、納得。

確かによく見てみると、1㌦と書かれています。どうやら、これはそこそこ珍しいDollar coinのようです。重たくて人気がなく、あまり流通しなかったようで、日本で言うところの二千円札のようなものなのかもしれません。

(写真:上はクウォーターで下がDollar coin。)
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この肖像と製造年(1979年)から、Susan B. Anthony dollarというもののようです。Susan B. Anthony女史は19世紀に女性の選挙権獲得のために働いた人のようで、このコインは1979-81年と1999年に発行されたそうです。よくみると、ここには”1979 D”と書かれてあり、これはこの年にDenver造幣局で製造されたもののようで、(ちなみに人気はサンフランシスコ造幣局バージョン。この造幣局最後の流通硬貨のためらしいです。)このタイプは、2億9千個ほど作られたようです。

ひょんなことから自動販売機から現れた、19世紀のおばさん。100年以上前に情熱をもって女性の地位向上のために闘っておられたSusieに敬意を表したいと思ったのでした。

Biography: Susan B AnthonyDVDBiography: Susan B Anthony

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2008年2月25日 (月)

日曜礼拝シリーズ:(後半)あなたの心を開くもの

マルコの福音書3:1-6 book イエスはまた会堂にはいられた。そこに片手のなえた人がいた。 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。 イエスは手のなえたその人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。

説教要旨(後半):
正しいことを行うキリストは、”正しいこと”を教えているはずのパリサイ人にとって脅威になっていました。すべての日が安息日となることは、神の国の到来の目的です。キリストは手のなえた人を癒すことで、安息日の意味、目的を回復させたのでした。
しかし、これを見たパリサイ人はイエスを殺す計画を安息日に立てたのです。それを知っていて、イエスは「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われたのです。

私達は自分の行為を正当化することを真理を探究することであるというふうに置き換えていないでしょうか?

かたくなな心は自分の周りに壁を作り、他人のあやまちをゆるさない心です。
他の人の心を大切にしない心です。

キリストはそのような彼らの心を見て、「怒り」「嘆かれた」と書かれています。
それはそのようなかたくなな心をも癒したい、という気持ちの表れに違いありません。

もしかしたらあなたは他人との関わりに対する恐れから、神に対しても一定の距離を保ちたいと思っているかもしれませんね。しかし、神の霊があなたに働かれることをゆるしてください。そうすれば神はキリストの本当の心を見えるようにしてくださいます。
それは、以下のフォークソングの歌詞にあるようにあなたのかたい心をも受け止めたいという思いです。そして、今日のクワイアー賛美の歌詞にもあったように(〜Gaze of love melt my pride〜)あなたのかたくなな心を柔らかくしてくださる彼の眼差しを見ることでしょう。

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Hard Partnote
(David Wilcox and John Whalen)

I see the look that's in your eyes
That says 'I must keep most of me inside
'Cause you'd never love me if I didn't hide
the secrets of my heart”

Well I'm not here for the surface stuff
I just get bored with all that fluff
So show me the edges even if it's rough
And let the real love start

You think your shame and deep disgrace
Are more than I can bear
But you can go to your darkest place
I will meet you there

And I'm strong enough to take it
And I know what you've been through
You've got a whole heart
Give me the hard part
I can love that too

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hide-tan感想:
ここで牧師はたしか、recreationという言葉を使っておられました。休養を意味するrecreationは、よくみると、re+creation:再創造=新しい天地を創りなおすことを意味するんですね!これはクワイアーの中でも話題になりました。キリストの行為は、来るべき本当の安息日の到来を知らせるものでもあったのだと思います。

黙想では、

他人より勝ろうとすることが他人を愛そうとすることより重要なものになっていないでしょうか?

ということが語られていました。

私の黙想は以下の感じでした。
「そのような他人よりも勝っているものとしてみられたいという思いが自分の心の中にもあるんじゃないか、他人を裁く思いから完全に逃れることはできないし、世間体を保つ為にしきたりに捕われて本来すべき愛に基づいた行為ができなかったりもする・・・。キリストはそんな時、どうされていたのだろうか?・・・キリストは、自分を批難しようとする悪意の只中にあって、手の萎えた人の心を大切にしたのだ。”今日は安息日だから、また明日来なさい”とは言われなかった。安息日という決まりごとよりも、あなたの傷ついた心、あなたを悩ます萎えた手を癒すことが大切なのです、と言われたのでした。キリストは、この手の萎えた人を愛する為に律法の決まりごとを破られたのだ。
キリストは愛するために負けて下さったのだ。

キリストの十字架は、罪で歪んだあなたと私を助けるために負けてくださった出来事であり、キリストの復活は彼の正しさゆえにあなたと私のために勝ち取られた勝利なのです。

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日曜礼拝シリーズ:(前半)私の中のパリサイ人

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「DSCF0325.WAV」をダウンロード
写真と音声ファイル:"Hymn"という曲をクワイアーで賛美しました。メッセージの内容と合わせた歌でした。

今日の聖書箇所:マルコの福音書2:23-3:6

マルコの福音書2:23-28book ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」

説教要旨(前半):
”しきたり”というものの中には良いものもあれば、良く無いものもありますが、人々は時として、なぜそのようなしきたりがあるのかということを忘れがちではないでしょうか?

安息日というのは、天地創造を6日間で終えて7日目に休まれた神様を覚えて、この日を聖なる日として仕事を休んで神様に感謝する日にしましょう、という目的でもうけられた日です。しかし、ユダヤの律法学者(パリサイ人)たちは、その安息日を守ることで、自分を正当化し、守れない人を攻撃することによって自分の地位を守ろうとするようなことをしていました。安息日の目的を忘れ、安息日を守ること自体が目的となってしまったのです。
ここでイエスが語られているダビデはやがてイスラエルの王となった人でした。祭司アヒメレク(アビアタルの父)はダビデを来るべき王として認めたので、本来は神に捧げるべきパンで祭司以外は食べてはならないパンをダビデに与えたのでした。(hide-tan注:このアヒメレクはこのために、その直後、ダビデの命を狙うサウル王に殺されてしまいます。第一サムエル21章参照)
この祭司は王国に忠誠を誓うことは、王に対して忠誠を誓うということを心得ていたのですが、この律法学者たちは神の王国の王であるキリストを自分の”王国”を守る為に退けようとしていたのでした。
私達はクリスチャンとしての”聖書的な”しきたりを守ることに熱心になりすぎて、神様の愛を人々に示したり、神様の栄光を人々が見ることができるような聖書的な生き方をすることを忘れていないでしょうか?
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hide-tanの感想(前半):
この箇所を読んでの感想はいつも、「まったくパリサイ人はしようがない奴らだ・・・」と言ったものでした。しかし、自分を振り返ってみると、たとえば研究室で、みんながしたがらないような実験室のメンテナンスを毎回自分がせざるを得ないときに「自分の実験のことだけ考えてんと、こういったこともちゃんとせんとあかんやろ!」と心の中で怒ってしまっている自分に嫌気がさす事があります。
同じことをするのでも、「これで、他の人が実験するときに便利になる。嬉しいな〜。」みたいな喜びをもってやらないととは思うのですが・・・。自分の中にもパリサイ人がいる、ひょっとしたら結構ウジャウジャいるかも・・・。


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2008年2月24日 (日)

子どもジャングル、これは天国?

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今日は長女minoriのクラスメートのバースデーパーティでサンノゼにあるThe Jungle adventure and funというところに行きました。7368

中は強烈に騒がしく、まさに子どもたちのジャングルでした。室内アスレチックとゲームセンターがあって子どもはかなり長い間遊ぶことができます。建物の中にある沢山の部屋は、1時間毎にパーティが行われ、ピザとジュースとケーキがどんどん運び込まれ、これは子どもにとっては天国のようなところでしょう。
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誕生日パーティーといえば、ホームパーティが主流のようで、今回、このようなところでするのは特別なようですが、前のブログで書いたようにお母様もキャリアウーマン。こういった家庭では、このようなパーティ会場が便利なのでしょうね。私達にとってはよい経験になりました。

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2008年2月23日 (土)

祝300回!祝6ヶ月!

今回の記事でなんと300回目になります!
そして奇しくも今日で渡米6ヶ月記念です!

今日も午前中は2時間みっちりボスとミーティング。
午後から動物実験→細胞培養実験で夕方6時まであちこち走り回りながら実験をしていました。
今夜は、ゲストが4名、我が家にやってきて、賑やかな夜になりました。

夜のゲストは別として、今日も典型的な一日でした。

ブログの内容も、生活のセットアップの記事は皆無となり、研究システムやスタンフォード大学にびっくり!という内容も少なくなったかもしれません。家族のようす、ラボのようす、週末に出かけた場所の紹介や、教会での出来事なども織り交ぜて日々の出来事を紹介することで、家族で研究留学をする様子を皆様に感じていただけたらと思います。

ブログを読んで下さっている皆様に感謝しつつ、英語にはない挨拶で締めくくらせていただきます。
”今後ともよろしくお願いします。”7272

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2008年2月22日 (金)

共著者の資格と筆頭著者の品格

研究プロジェクトのとりあえずのゴールは論文を出すことにありますが、今日はキャリアマネージメントセミナーの一環として、論文の作成についてのセミナーがありました。

論文を書く際に、誰を著者に含めるか、誰を謝辞にとどめておくか、著者の並べ方はどうなるか?ということがしばしば問題になります。このことについて、かなりの時間が割かれていました。

何度も強調されていたのが、
「著者名に名を連ねる人は、その内容を筋道を立てて説明できなければならない」
ということでした。なので、研究に関わったということはもちろんですが、いくら時間を割いてくれたとしても、実験を手伝ってくれた研究助手や、抗体や動物を分けてくれただけの研究者を著者にいれるべきではないと話されていました。逆に、ちょっと手伝ったからと言って、”論文に名前を入れろ”と要求するより、2、3の良い論文の筆頭著者になることに集中しなさい、著者数が多い論文の3番目以降の真ん中に位置するところに名前が入ることはほとんど意味がないどころか、そんなものが多いと逆にマイナスイメージみたいです。

また筆頭著者(ファーストオーサー)がどのように論文ミーティングをオーガナイズして、共同著者にデータや本文の一部を作成させるかということも述べられていました。そういったことをマネージメントすることが、将来研究者としてラボをマネージメントする際の訓練になるということでした。ファーストオーサーとして、きちっとした論文データと本文を示し、ファーストとなるべく「品格」を他の著者に示さないといけないとも話されていました。

正論すぎる正論なので、反対のしようがありません。正論を正論として通しながら生き残って来たこの人は一流の研究者と呼べますし、一流の研究者の品格なのでしょう。でも一流の研究者の素質があるからできることなのか、このようなことをしてきたから一流なのかどちらなのでしょう・・・?Dscf0256

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2008年2月21日 (木)

iPhoneで曲を購入

ずいぶん前のアップデートで、iTunesがiPhoneに搭載されていましたが、無線LANを使える環境の多くが、コンピュータを使っていたので、iPhoneでiTunesを使うことと言えば、外で曲を試聴したいような時くらいでした。

昨日、夕方に病院内のカフェテリアの無線LAN環境でiTunesをいじくっていたら、Quincy Jonesの"Tomorrow"を見つけ、試しに購入しました。20秒以内でダウンロードされ、再生するとくりかえし再生になっています。曲は購入したものフォルダに追加され、コンピュータにつなげるとコンピュータに転送されます。

$0.99でダウンロードした曲を聴きつつ歩きながら、昔はこれをjuke boxで1曲100円とかを払っていたのだから、まあたまには、気分転換に曲をこうやって好きな曲をダウンロードしてもいいかなと思ったのでした。ところで、このiTunes、どうもオーディオブックやPodcastはダウンロードできないようですね・・・。

それと最近知りましたが、他のプログラムをiPhoneで動かしているときにiPodに行きたいときはいちいちホームに戻らずともダブルクリックでiPodに直行するんですね。これは便利。
(写真:ドライブ先で見た牧場。18倍ズームで見るとこんな感じ。iPhoneのカメラで撮ったわけではありません・・・。)
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2008年2月20日 (水)

盗んでもいい?

ラボで実験をしていると、お互いに物の貸し借りが多いですが、
"Can I use....?"
"Can I have....?"
"Can I borrow.....?"の他に、
"Can I steal your ......?"
という言い方をよく使います。これは、試薬やチップのように返せないものの時も、ピペットマンやハサミなどの返すようなものにも使います。

今日も培養室で細胞数を数えようと思ったら、
"I have stolen your cell counter.
If you need it, let me know.
I am in microscope room. Thanks!"
smile
と怪盗ルパンのようなメモが置いてありました。

私のラボだけのふざけた表現かと思っていたら、他のラボの人も使っているようでした。
「勝手に借りる」という意味合いなんでしょうか?
ちょっと面白い表現ですね。(写真:ハイキングの時に友達になったトカゲくん)7075

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2008年2月19日 (火)

森と高原を満喫

今日は、Portola Redwoods State ParkRussian Ridge Open Space Preserveに行って来ました。
アメリカに来る前から、「Redwoodsを見に行きたい」という長女minoriの願いをかなえるべく、本来ならBig Basinまで行くところを少し穴場ということでPortola Redwoods SPを散策。
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まだシーズンオフということ、それほど有名でないということもあって、あたりは静かで小川のせせらぎ、小鳥のさえずりに加えて、キツツキの音がカンカンカン・・・・・と響き渡っていました。今日はあまりにも静かで、木陰でデボーションのひとときを持ちました。

(写真:Portola Redwoods SPで)
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満足気ではありましたが、いくつかクローズドになっていていけないところもあり、子ども達は、もう少しテクテク・・・とハイキングしたい様子だったので、道を半分まで引き返して、Russian Ridge Open Space PreserveのBorel Hillにまでのぼって来ました。Alpine Rd, Page MillとSkylineが交差する駐車場から歩いて30分ほどのなだらかな丘陵地を上がって行くだけですが、頂上は360°のパノラマで、ベイエリアが一望できました。(YouTube動画はBOREL HILLからの眺め。子ども達の歌声付き)

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2008年2月18日 (月)

日曜礼拝シリーズ:国籍というプレゼント

今日は、"Join the Party"というテーマの礼拝でした。メッセージの内容(英語)はPBCのウェブサイトでダウンロードしたり、聞いたりできます。

聖書箇所:マルコの福音書2:13-22

 
イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」  ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。(2:13-20)
説教要約: この箇所の前半では、イエスが取税人レビを弟子にする話が出て来ます。取税人というのは当時のイスラエルでは、支配者ローマ帝国に加担して、人民から税を徴収し、しかもローマの圧力を利用して多くの税金を徴収し、差額を懐に入れていたという人達でした。ですので、経済的には恵まれていましたが、社会からは除け者にされている存在でした。 イエスはその取税人レビのところに、やってきて、彼を弟子にし、そして取税人や罪人が集まるパーティに参加したのでした。イエスは神の御国からやってきて、私達のところに来て下さいました。そして、彼はシナゴーグで待っているのでなく、私達が今いるこの場所にまでやって来てくれるのです。イエスが彼を受け入れるのに、取税人であることを止めて、身を浄めてからでなければならないとは仰りませんでした。神は私達をありのままの姿で、今いる場所で受け入れて下さるのです。 後半の箇所では、私達がキリストのウェディングパーティに招かれていることが述べられています。イスラエルはこれまで、キリストの来臨のために断食をしたり、嘆いたりしていましたが、もうキリストが来たのだからその必要はないのだと語られました。しかも、聖書の別の箇所では、私達教会はキリストの花嫁(エペソ5章26-32節)として描かれています。私達は、結婚式において、イエスと目を合わせることになるでしょう。しかし、それまでの人生でもきっと沢山のことを経験すると思います。がっかりすることも、悩む事も、疑うこともあるでしょう。しかし、どんなときでも私達は結婚相手であるイエスに目を向けましょう。そうすれば溢れ出る喜びをきっと経験することでしょう。 hide-tanの感想: キリストに出会い、受け入れてもらうために、生活を改めるとか、今いる状況を変えるとかいう必要はありません。イエス様はそのままの私達を受け入れて下さるのです。なのにクリスチャンとなった人々が生活が一変したり、人格まで変わっていくのを見るのはどういうことでしょうか? マックス・ルケードはその著書"Just Like Jesus"の中で、このようなことを書いていました。 あなたの幼い娘が泥んこ遊びをしていて、パパー!(あるいはママー!)と叫びながら抱きつきに来たとします。手足だけでなく、顔も泥んこです。あなたは泥んこを綺麗に落とすまでは私の子ではない、愛さないと言うでしょうか?そんなことはないはずです。泥だらけのまま愛して抱き上げますよね。しかし、だからといって、泥んこのまま食卓に着かせたり、寝かしたりはしません。きれいにしてあげますよね。それと同じことを神様はあなたにしてくださるのです。 罪をもったまま、汚れたままでイエスに出会っても、あなたを愛する神の愛はそれによって減ったりするようなものではありません。逆に「きよい生活」をしていれば、その分、神の愛が増すといったものでもありません。神はもうこれ以上ないほどの愛ですでに愛して下さっているからです。 クリスチャンとなった人が、祈りや聖書や交わりを通して生活や言動に変化が生じるのは、そのようにしようという人間的な努力によるのでなく、イエスとともに歩みはじめたときから、聖霊なる神様がそのように変えていってくださるからです。そして、それは私達がさらに良いものを手にし、豊かに生きるためなのです。 (写真:夫婦のように寄り添いながら伸びるRedwood) 7266 また、後半では私達がキリストの花嫁であると述べられています。私は男なので、『花嫁』という言葉にピンと来ませんが、自分はキリストの体に連なるものなのだと言うことだと思います。聖書には”私達の国籍は天にあります(ピリピ3:20)”と書かれていますが、私達はキリストの花嫁となるからこそ、その国籍を与えられるのであって、その証拠として、あるいは入国ビザとして、キリストを自分の救い主であると聖霊が信じた時に与えられるのです。

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2008年2月17日 (日)

日本人のためのBible Study 101

私が通うPeninsula Bible Churchには今まで、聖書にあまり触れる機会がなかった日本人のお友達が来て下さっています。教会でしていることに興味はあるけれど、何を語り合っているのかがわからない。聖書を読もうにもはじめから終わりまで読むのには途方もない時間がかかりそうだし、かといってどこをどのように読めば良いのかわからない・・・そのようなジレンマを少しでも解消していただければと思い、以下のような、聖書入門の集まりをはじめて、勝手にネーミングしちゃいました。

Japanese Bible Fellowship in Peninsula Bible Church (PBC)   〜Bible Study 101 for Japanese〜

今回は第1回として「聖書とは?」(高木慶太著)という小冊子を使いながら、お話をしました。

聖書を読んだことのない方からの素朴な疑問は、しばしば自分はどのように聖書に向き合うべきなのか?という本質的な部分をついているような質問に思えることがあります。

天地創造と進化論のギャップをどう考えているのか?
他の宗教のことはどのように教えているのか?
神が愛であるなら、信じない人も救ってくれないのはなぜか?
・・・・・
・・・・
いろんな質問にクリスチャン歴20年の私でも、クリアカットに説明できないこともあります。
そんなときは、自分なりに調べたり、なぜ自分はそのような疑問を持たないのか、あるいは持ったままで信仰を持ち続けているのかをじっくり考えたりする機会となるのです。

101(ワンオーワン)というのは、入門とか言う意味ですが、自分も新しく聖書を読む人達の新鮮な気持ちを味わいたいという思いとともにUS-101というハイウェイがすぐそばを走るこのカリフォルニアの教会で、聖書を読む人がその著者である神様と"one-on-one"の関係を持てるようにという希望もこめていたりします。

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シリコンバレーでお寿司

スーパーMItsuwaに買い物来たときに見つけたアメリカのお寿司屋さん。こちらシリコンバレーのお寿司屋さんは、よい評判が少ないので敬遠していましたが、今日はちょっと冒険してみようということになりました。

外見はちょっと怪しげで、TOTORO SUSHI BOATという名前のお寿司屋さん。こんなネーミング、大丈夫?などと心配しながらも、コワいもの食いたさで入ってみたのですが・・・
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店内はとても綺麗でお洒落な感じでした。「いらっしゃいませ!」というかけ声以外は、全部英語でした。テーブル席と回転寿司の両方がありました。すべて木舟の上にお寿司が乗っかって回って来ていました。おしゃれ〜だけど取りにくそう。テレビはジブリアニメが上映されていました。
たぶん、料理されているのは日本人。

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こんな感じのセットを注文し、これだけの内容で$10前後なので、結構お得でした。
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半年ぶりのイクラのにぎり寿司にご機嫌の娘達でした。妻のnori-tanもご満悦でした。
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大人2名と子ども2名(うどんとにぎり3セット)で$33+チップでリーズナブルでした。
また行く機会があれば、今度は違う種類のお寿司や天婦羅もトライしてみたいと思います。

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Windy Hill Open Space Preserve

今日は、聖書の学びのあと、車を15-20分くらい走らせてPortola Valleyという町に行きました。ここも馬がたくさんいて緑も多く素敵な町でした。そして、Windy Hill Open Space Preserveというところに1時間あまりのハイキングに出かけました。

心地よい小鳥たちのさえずり、気持ちいい風、素晴らしい眺め、リフレッシュできる小川の流れに癒されて来ました。今回はPortola Rd側からのアプローチでさらっと終えましたが、後で調べるとそこそこ評判のよいハイキングコースだったようです。反対側からのアプローチや、もっと頑張れば(4歳のayumiは途中おんぶになったので多分無理ですかもしれませんが)、さらに良い景色が楽しめたようです。
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ベイエリアのハイキングには、Bay Area Hikerというウェブサイトが役立ちそうです。今後はちゃんと計画を立てて行こうと思います。

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2008年2月16日 (土)

やっぱり一人でええ‥。

今朝、ラボで仕事のメールを打っていると、chieが出し抜けに、"hide-tan, もしやで。もし、何人でも奥さん持てるとしたら何人がええ?”と問いかけて来ました。

「ひとり!」

というのは、格好よすぎる気がしたので、考えなくてもいいのに考えるフリをして、「誰と結婚しているのかにもよるかもしれないけど。僕は一人でいいかな。」

ふんふん、うなずきながら彼女は去って行きましたが、なんでそんなことを聞いたんだろう?と思っていると、夕方になって、ネットサーフィンをしているjuryが、パソコンに映るチャイナ服を着た美人を見せながら、

「この人、不動産で財を築いたんだって!美人でしかも独身!セカンドチャンスがあったらどう?」

と聞いて来ました。私はそれには直接答えずに、

「昔、ウィンストン•チャーチルという英国の首相が記者からインタビューで”自分自身以外に誰かになれるとしたら、誰になりたいか?”と聞かれて何と言ったとと思う? ”チャーチル夫人の2番目の夫になりたい”と言ったらしいで。」

というと、このポスドクのjuryはうっとりして、
「なんて素敵〜!‥‥わかった。もうそんな野暮なことは訊かないようにするわ。」
世界を牛耳った人の名言は、21世紀を生きる女性の心をも捕らえるんですね‥‥。

話は戻って、それなら妻のnori-tanが家と職場に二人欲しいか?と考えると‥‥
「やっぱり、(別の意味で)一人でええ。」と思ってしまった私でした。

おまけ名言:

「成功とは、意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである。」(ウィンストン•チャーチル)
"Success consists of going from failure to failure without loss of enthusiasm."(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill)

 

His Finest Hour: The Speeches of Winston ChurchillMusicHis Finest Hour: The Speeches of Winston Churchill

アーティスト:Winston Churchill
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2008年2月15日 (金)

ところ変わっても・・・

今日はバレンタイン。ご存知のとおり、こちらでは女性から男性に贈り物にするというのではなく、双方向(男性から女性への方が多い?)のようなので、私も義理チョコではないですが、昨日子ども達が焼いてくれたクッキーを持って行きました。

Safewayというスーパーマーケットの既製の粉とは知らず、「子ども達の手作りやで」と自慢げに渡してしまい、みんなも「美味しい!」と好評でした。インターナショナルなラボなので、

"So these are internationally approved!"

と喜んだのですが、結局はアメリカンテイストだったわけですね。

ロシア人のrhodaは「日本人って女性から男性なんじゃないの?なぜ持って来たの?」と言われたのですが、よく考えると私は日本に居るときから、自分のチョコレートを自分で買って、妻や子どもに食べさせていたので、バレンタインは私から家族へ贈り物をする日というのは同じでした。今年は贈り物の準備ができていない私。こわごわ帰宅しましたが、手ぶらで帰宅しても今年はお咎めなしでした。ほっ・・・。

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2008年2月14日 (木)

今日のカロリー出納

今朝のラボミーティングは、私の少ないデータを詳しく検証され、rhodaのややこしい文献をボスが熱く語り出し、それなりに充実したものでした。ミーティングではスナックが出るのですが、それでも11:30にはお腹が空いて、私達のラボ3名と、近くのラボの院生など4名で外ランチをしました。

「データが無い言い訳をするのにかなり脳のエネルギーを消費したからね!」

(もうこちらは4月上旬並みのポカポカ陽気です:写真はスタンフォードショッピングセンター内に咲くポピー。2/9にiPhoneで撮影。)
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午後は動物実験と細胞培養の実験を掛け持ち。動物実験の部屋と培養室を階段を上がったり下りたりして、行き来して、5時前に終了。

「あー今度は動き回ってお腹すいた!」と、スコーンを頬張ってしまいました。

今日は6時に帰宅。夕食後に子ども達が焼いてくれたクッキー(明日のバレンタイン用にラボのみんなのために・・・)を試食。う〜ん。絶品♡

夜は家族そろって教会へ。今日は水曜日夜の教会の子ども達のアクティビティは親も参加する日だったので、妻のnori-tanにも来てもらいました。私は薄情ながらも、いつものようにクワイアーに参加してお腹と声帯の筋肉を消費?しました。

・・・なので、夜食もきっちり摂り、今日のカロリー出納は大いにプラスとなりました。

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2008年2月13日 (水)

親同士の上下関係とクラスメート

長女minoriがクラスメートからお誕生日に呼ばれたので、出席メールをお母さんに出しました。
メルアドがスタンフォードのアカウントだったので、どこに勤めているのだろう?

このファーストネーム(Sherryさん:仮名)で知っている人はあの人くらいだけど・・・と思いつつ学内のウェブでサーチしてもヒットせず。

まあ、とりあえず送ってみて、返事がなければ電話しようと思って送信すると、5分後に返信あり。

私が知っているSherryさんでした・・・。ラストネームを夫のものを書いていた為にわからなかったのでした。

さて、そのSherryさん。実験のために必要な講義の講師をしていたエラい先生で、外見も口調も”コワそう〜”と思いながらも、実験のことで相談していた人でした。

ここだと上司もファーストネームで気楽な感じですが、たとえば日本のサラリーマンの方で上司のご子息が自分の子どもと同じクラスだったりした場合、ゴルフをわざと負けるみたいな感じで、子どもにも「○○くんより、いい点を取るな」と言ったりするのでしょうか?
・・・まあ、そんなことはないでしょうね。

頑張って○○くんに勝て!とか言って、親の「無念」を子どもに・・・なんて言う人はいるかもしれませんが・・・(そんな人もいませんよね...たぶん)。

ちなみにこの息子さん、クラスでもよくできる、しっかりしたお子様みたいです。

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2008年2月12日 (火)

チェッカーで敗戦・・・

今日は、夕食後に長女minori(7歳)とチェッカーをしました。

はじめ、何気なく打った一手から、これはやばい!と思ったのもつかの間、どんどんとられてしまい、1時間以上のゲームの末に負けてしまいました・・・。

ちょっとした気分転換と思っていたものが、思わず本気になり、しかも惨敗し、嬉しいような悔しいような複雑な気分でした。

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2008年2月11日 (月)

起きて歩いてきました・・・。

日曜礼拝のトピックは、「起きて歩きなさい」(内容はこちらの記事参照)でしたが、日曜の午後、昼寝の後でスタンフォード大学の”裏山”であるDish areaを散策してきました。(4歳のayumiも歩いたので2時間かかりました)

この写真は頂上付近にある電波望遠鏡です。これゆえにこの地区がDish areaと呼ばれています。
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”裏山”と言ってもこんなに遠くにスタンフォード大学のHoover Towerが見えます。大学のメインエリアを一望出来ます。
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Dish areaの目的のひとつは自然保護だそうです。(他は研究、鳥獣保護、付近住民の散策&ランニングコース)美しい丘陵地帯が広がっています。エリア内には鹿、牛などもちらほら・・・もちろん、Mountain Lionに対する注意書きも。
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土曜日は1時間くらいの散策、今日は2時間とよく歩いた週末でした。
夜は焼き肉とキムチでパワー回復。韓国スーパーでは牛タンが驚くほど安く、飽きる程いただきました。

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日曜礼拝シリーズ:起きて歩きなさい

(写真:パロアルト市内の朝焼け。AM 7:15)
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(音声ファイル:"The Last Supper" 礼拝の聖餐式では、私達クワイアーが賛美しました。)
「last_supper.WAV」をダウンロード

聖書箇所:マルコの福音書2章1~12節

数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。 そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。 中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない。」と言って神をあがめた。

説教要約:
罪を自覚し、そのゆるしを神様から受け取るという行為は信仰の基盤をなすことがらです。
しかし、私達はしばしばこのゆるしのメッセージを神から十分に聞き取れていないのではないでしょうか?
さて、この箇所では、中風を患う人の(おそらく)友達が、建造物を壊してまでイエスのもとにこの人を連れて来るという行為を行いました。それは、彼らにとって非常にリスクを伴う行為だったのです。彼らは癒しを期待していたのであって、罪のゆるしを期待していたわけではありませんでした。しかし、イエスはこの人の表面的なニーズだけでなく、本当のニーズを見て取って、「あなたの罪はゆるされました」と仰ったのです。そして、イエスの癒しの奇跡や悪霊を追い出すという行為はイエスが神の子であり、罪をゆるす権威を持っていることの証明でした。
かくして、中風の人は、罪のゆるしの確証として、病を癒されました。
私達も、霊的に不自由なところはないでしょうか?罪の感覚が麻痺したりしていないでしょうか?
イエスはこの聖書の話を通して、私達にも「聖霊にあって新しい人生を歩みなさい」と言って下さっています。

hide-tanより:
この箇所を読んで以下のことを考えてみて下さい。絶対という答えはありませんが、いろいろ想像して、聖書に書かれている記事を自分の置かれている状況と比べてみて下さい。

1:罪をゆるすのと起きて歩けというのはどちらがやさしいと思いますか?
2:屋根を壊した人たちの思いはどのようなものだったでしょうか?
3:麻痺の人はどのような思いで吊り下げてもらったのでしょうか?
4:「罪がゆるされました」と言われたとき、麻痺の人はどう思ったでしょうか?屋根を壊した友人たちは?
5:なぜイエスは自分には罪をゆるす権威があると言っているのでしょうか?
6:この話の中に登場する人たちの中に自分がいるとしたら誰でしょうか?
7:この話の登場人物のその後の人生はこの出来事を通してどのように変えられたでしょうか?

1番目の質問は難しいかもしれません。

私はいろいろ考えたあげく、今のところは、「罪がゆるされました」と「起きて歩きなさい」は同じくらい難しいのだと思います。こういったことは神でないと行い得ないことを言われたのではないかと思います。加えて、私には神様がこのように言って下さっているように聞こえます。
「子よ。私はあなたの罪をすべてゆるした。起き上がって、私とともに人生を歩みなさい。」
この記事では起きて歩いて行きなさいというニュアンスですが、イエスが復活して、キリストの霊である聖霊なる神がともにいてくださる今では、”歩きなさい”というのは、”私と一緒に歩きましょう”という意味になるのではと思うのです。
そして、もう一つの意味合いとして、これは来る世、神の国への招きの挨拶でもあると思います。
「子よ。あなたの罪はゆるされました。起きて(復活して)、神の国に足を踏み入れなさい。」

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2008年2月10日 (日)

Pinewood Derby Car Race!!

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先週の記事でも紹介したダービーレースが本日、私が通っているPeninsula Bible Churchで開催されました。会場に入って、びっくり!!レースコースは全長10メートルはあるピカピカのコースで、電光掲示板で順位が表示されます。67776785

スタッフは全員、レース会場仕様のユニホームを着こなし、それぞれのレースのはじめにはレーサーの顔が画面に映し出され、あらかじめ録画した"Ready, Get set, Go!"という言葉とともに4台のダービーカーが発進します。
4レーンを交互に2回ずつ走らせて、合計8レースの結果を平均して順位を決定しました。残念ながら順位でも、デザインでも入賞は逃しましたが、自分の車や友達の車を応援し、大いに盛り上がりました。

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年少児グループのレースが終了し、夕食のポトラックパーティは、東洋系、スパニッシュ系がほどよくブレンドしている教会ということもあって、様々な味が楽しめました。

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第2部は、年長児のレースでこちらは、個性あふれるマシンが勢揃いし、スピードも多少アップし、ギャラリーも増えていました。大人達も毎年楽しみにしているようで、実際、自分もやりたいという大人たちのために成人の部エキシビジョンまで行われます。

子ども達も私達夫婦も、来年はあのトロフィーをゲットするぞ!と心に誓ったのでした。6789
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2008年2月 9日 (土)

Jesus in our lab.

私のラボには、クリスチャンが私を含めて3人います。

中国人のchieとjin夫妻は、中国人の教会に通っています。いつも教会の礼拝が終わるとchieは皿洗い係をし、jinは芝刈りをせっせとするそうです。
「私たちが教会を休むと皿はそのままになってるし、芝も伸び放題になっちゃうので、忙しいのよ!」
とか言いながら、その目は微笑んでいます。同じ職場にこのような信仰の先輩がいて心強いです。

院生のchrisは、信仰はもっていないのですが、「この世界が単なる偶然でなく、誰かによって目的をもって作られたことは認める。だけど、それが神であるかどうかは別の話。」

ポスドクのjury(中国人)は、シカゴの大学院に居た時に時々教会に行っていたそうです。「多くの中国人クリスチャンはなにかご利益目的で教会に来ているみたい。でも、クリスチャンの中には、『このような人になりたい』と思える人がたくさんいる」

後の二人の主張は、
1:この世界は誰かが作ったのだろうけれど、私は、神がいるとは思いたくない
2:神様に出会って変えられた人を知っているが、私は、神とは出会いたくない
と言い換えることができそうです。

このように思うことは、当然のことだと思います。
”もし、神なんかが存在すれば、神のことを考えずに好きなことをして、悪いこともやって生きて来た自分はきっとひどい目にあうか、たとえ赦してくれても、きっといろんな教理などで自由を奪われ、縛られるだろう。楽しい人生もなにもあったもんじゃない!”
もし、私がクリスチャンでなかったら、そのように考えると思います。なので、そのような神を信じているような人は煙たいと思うことでしょう。
”お前は間違っている。なんでそんな非科学的なものを信じるんや。なんでそんな偏ったものの見方をするんや。”
とまでも言っていたかもしれません。

でも聖書が解き明かす神はそのような神様ではないのです。

放蕩息子のたとえ話にもあるように、神は放蕩息子である私達が、自分の罪を悔い改めて謝る前にすでに『よく生きている間に帰って来た』と赦しており、「あなたの子として呼ばれる資格はありません。使用人の一人にして下さい」と言って私達の膝が地面に着くより先に抱きかかえ、『あなたは私の愛する子』であると宣言してくださる神なのです。飢えを満たす為の豚の餌をもっている手に指輪をはめ、杯を握らせてくれるのです。

キリストの十字架を通して私達を見て下さる神は怒っておらず、恐れる必要はないのです。
これがなければ生きていけない、けれどクリスチャンになったらこれを手放さないといけないのでなれないと思っているもの(上のたとえの豚の餌)も、さらに良いものを握らせてくれるがゆえに自然に手放してしまうものです。
(写真:私達の住むアパートの一画)
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うちのボスは2日に1回はラボに来て、ひとりずつ様子を聞いて回る人なのですが、このような人達に囲まれて私は、いつもキリストが研究室を歩き回って、「juryは?chrisは?私のところに来てくれそうか?」と聞かれているような気がすることがあります。

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2008年2月 8日 (金)

論文の書き方セミナー

夕方から2時間にわたって、医学部図書館主催の「論文書き方のセミナー(前半)」に出席して来ました。

内容の多くは既にわかっている(けれどできない)ことでしたが、いくつかの『へー』というコメントもありました。セミナーを聞き逃した方のために少しお裾分けを...括弧内は私のコメントです。

1:時には論文を数日寝かしてみよう!(実行しています!ただし、数日ではなく数週間、数ヶ月となることもしばしば...)
2:ややこしい部分は音読しよう!(私の場合、ほとんど音読しないといけません)
3:ごちゃごちゃになった段落を編集しようとせず、消して書き直しましょう!(そういった”勇気”も必要ですね)
4:同僚から得られるレビューで変更を提案は貴重。変更することに億劫にならないようにしよう!(時間をかけて変更して、また他の人からもとに戻せと言われることがあったとしても...ですよね。)
5:”科学的”と呼ばれる書き方から脱却しよう。あなた自身の明確で直接的な表現をしよう!(ついつい論文を格調高くしたいと思って、変な英語を書いてしまうんですよね)

他にも、(そのように思っていなくても)論文の査読者にコメントに対する感謝をしめそう!とも言っておられましたが、私の場合は大抵のコメントには感謝して、論文が一層よくなったと思っています。

よい論文をたくさん書いて、いずれ、よい論文を査読できるようになりたいと思いますが、その前にデータ!データ!!ですねー。


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2008年2月 7日 (木)

科学英会話>日常英会話

私も含めて、留学をする日本人研究者はたいてい、
「サイエンティフィックなディスカッションはなんとかなるけど、日常会話があかん!」
と言ったことがあるのではないでしょうか?

今日は私がジャーナルクラブの担当だったので、ちょっと長めの論文を紹介したのですが、プレゼンをしていても、簡単な言い回しがなかなか出て来ないのです。
自分って、こんなに英語がへたくそやっただろうか・・・半徹夜で準備したから頭が回転していないのか・・・思っていると、終わったあと、ラボのみんなと雑談をしているときはスラスラ喋っているのです。

・・・・そうなんです。ラボの中であまりにもサイエンティフィックな会話をしていないので、もしかしたら科学英会話<日常英会話という感じで上達しているというかシフトしているかもしれないのです。
本当は論文を読んでいるような文法も語彙も拡張高い英語を身につけたいのですが。

こうなると帰国したときに、なんだか逆に格好悪いかも・・・・。

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2008年2月 6日 (水)

Stanfordで科学と信仰を考える

以前このブログで紹介した講演会に出席しましたが、今日はスーパーチュースデイにも関わらず、大盛況でした。(写真:開演前の会場。10分前でも1階席には座れませんでした。)
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”God and Genome”という題名とヒトゲノム解読プロジェクトのリーダーでクリスチャンという題名から、ヒトのゲノムを詳しく解析すると、こんなに素晴らしく、神の創造の指先の跡が随所に残されている・・・というような内容を期待していましたが、実際はちょっと違って、
「クリスチャンで科学者である理由について」
「自分が信仰をもったきっかけについて」
「進化論をクリスチャンとしてどう扱うか」 という3点について話をされました。
Francis Collins博士は、その地位にも関わらず、とてもユーモアのあふれるトークをしてくれて、The Colbert Showに出演した際の爆笑な裏話や、Richard Dawkinsとの対談で、彼が神の存在を示唆するような発言をしたことなども話されていました。

まとめると
1:科学と信仰は敵対するものでなく、科学は神の創造の業をひも解いて行く行為である。ただし、科学だけでは次のような大切な質問の答えは導き出せない。
a. 何も無いところから何かが出来たのはなぜか?
b. なぜ私はここに存在しているのか?
c. 死んだ後はどうなるのか?
d. 神はいるのか?
2:あるクリスチャンの患者さんとのやりとりから、神を信じない理由を科学的に見つけ出そうとしたが、どうしても出来ず、かえって神が存在しない状態でこの世界に人間が生まれたことや人の心に良心というものが存在する理由を説明するのには無理が生じた。そんなときに、自然の中で過ごす機会を得て、神の前に頭を垂れた。
3:旧約聖書の1〜2章については象徴的に書かれている可能性がある。創造者なる神は、13億年前に宇宙を作り、何百年もかけて目的をもって生物を進化させた。そして、進化の頂点としての人間の脳に住まうようになった。

スタンフォードの学生からのキレのある質問として・・・
・キリストが処女から生まれたのなら、彼のY染色体はどこから来たのか?
・死の後のいのちの仕組みもサイエンスで解明できるのか?
・アダムとイブが罪を冒す前から死はあったのではないか?
・なぜ神は科学の手の届かないところにいるのか?
・聖書をどれくらい「文字通り」信じるべきか?
・・・などが出され、博士も困っていました。

という具合で、よかったことは良かったのですが、はじめに書いたように、題名と内容が一致していないように思ったことと、3の結論が私がクリスチャンになりたての高校生のときの解釈なので、世界のトップに立つサイエンティストから、そのような安易な結論が導き出されたことが残念でした。
その理由は、
1:そのように考えることのできる根拠がまだまだ乏しいのに「これが最もリーズナブル」みたいな結論をしていること
2:聖書の一部をシンボルと解釈すると、シンボルとして読むべきところと事実として読むべき所の線引きが各個人で異なり、よもすれば『キリストは存在しなかった』という”クリスチャン”が現れかねない。確かに、科学が今ほど発達していなかった時代の人々の混乱を避ける為にわかりやすいことばで象徴的に聖書が書かれた部分がある可能性は否定できないのですが、「ここは象徴的に書いた。実はこういうことを意味していた」というタネ明かしは天国に行ってからで十分なのです。聖書は文脈や背景に注意さえすれば、文字通り解釈して良いように書かれたと思うのです。

前のブログにも書きましたが、進化論のことにしても聖書をどのように解釈するかということにしても、現時点では確固たる結論を導くだけの証拠がないというのが、クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、科学者として真摯にとるべき立場ではないかと思っています。

(写真:夜のClark Center)
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なお、講演の内容はウェブサイトで公開されるようですので、こちらを時々チェックしてみてください。


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2008年2月 5日 (火)

だまんな!?

とうとうこういう日がやって来たというエピソードを。

昨日、長女minoriと二人でTargetに買い物に行き、かねてから約束していたチェス盤を購入して来ました。といっても、よくばり親子の多かろう良かろうのO型家族の私達。19㌦もする9つのゲームができるものを買って来ました。(写真左)6520

このゲームには、Chess ,Checkers, Backgammon, Texas Hold'Em, Chinese Checkers, Dominoes, Pachisi, Cribbage, Poker Diceが入っています。ChessとCheckersとDominoesがやりたいというminoriに、「そしたら、普通のチェス盤とドミノの両方を買おか?」と聞くと、
minori『ダマナー!』
hide-tan「は?黙んな?』
minori『違う。ダマナー!」
hide-tan「ああ、ドミノでしょ。」
minori「だから、Dominoes(マナー)。」
hide-tan「はいはい。マナー!」

渡米5ヶ月余で、7歳の娘に発音を直された私でした。
帰宅後、チェスで本気で挑み、かろうじて勝って、大人げなくも面目を保ったのでした。

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2008年2月 4日 (月)

日曜礼拝シリーズ:(後半)神からあなたへのYes!

さてツァラアト(=ハンセン病)に冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまづいて言った。「お心一つで、わたしをきよくしていただけます。」 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。(マルコの福音書1章40-42節)

A man with leprosy[a] came to him and begged him on his knees, "If you are willing, you can make me clean."
Filled with compassion, Jesus reached out his hand and touched the man. "I am willing," he said. "Be clean!"(Mark 1:40-41)

hide-tanによる聖書基礎知識:
今回の話は、ハンセン病の人の癒しの話です。
旧約聖書では、ハンセン病は汚れているとみなされ、そのための「診断基準」とかかった人、患者さんに関わった人に対する厳しいルールがありました。(旧約聖書レビ記13章参照)
病気になった人は、病気でない他人がまわりにいるときには、人が自分に近づかないように「汚れている!汚れている!」と叫び続けなければなりませんでした。
ここで登場する人も、自分の責任でもないのにこの病気に冒され、家族からも、友人からも引き離され、誰とも接触できない、つらい時を過ごしていたのだと思います。そこでイエスと出会い、手を延ばして触れてもらうという経験をします。
この病人の立場にたって考えると、さらりと書かれているこの記事が、この人の人生にとっていかに大きいことかが想像できると思います。

礼拝説教要旨:
かくして、イエスは他の地域にもでかけ、多くの人がイエスを信じるようになりました。そんな中でハンセン病のこの人との出会いによって、イエスは深いあわれみをかけて、この人に触れて癒しました。
イエスはこの人を癒したあと、「このことは誰にも言わないように」と告げました。噂が広まると混乱が生じ、ご自分が思っておられるようなミニストリーが出来なくなることを危惧しておられたのでしょう。しかし、イエスの意に反して、この人は喜びのあまり黙っておれなくなり、その結果、イエスは人里離れた場所にとどまる必要が生じたのです。ハンセン病だった人は街の中心になり、イエスは離れたところに・・・立場の逆転です。
イエスと私達の出会いも立場の逆転からはじまります。私たちは罪ある者として、神から離れたところに居なければならないものでしたが、イエスが私達の罪を担い、本当は罪のないお方なのに罪ある者として神から捨てられるという罰を身に受けたのです。
また、私達はこのハンセン病患者のようにそれぞれ癒されるべきところを持ち合わせています。私達は癒されるべきところをイエスの前に持って来る必要があるでしょう。聖霊様はおのおののクリスチャンの内に住まわれ、教会を通して業をなそうとしておられます。自分が癒される場としては、時にはそのようなクリスチャンが集うスモールグループのような、お互いを受け入れ合う雰囲気の中でなら可能かもしれません。

あなたがどのように相手に触れるかということは、あなたがその人にとってどのような存在であるかを現します。イエスは私達に触れるためにこの世に来られました。そして、イエスは私達を癒し導いて下さるのです。

hide-tanのコメント:
英語NIVでは、"If you are willing・・・"と訳されています。もし・・・と願い出ているのです。
彼は病を癒して欲しいということを口にしましたが、その本当の意味するところは、自分が存在することを認めてほしい、誰かに愛されて触れて欲しいということだったのだと思います。彼は長い間の苦しみの中で、本当に癒して欲しいところを言葉にできないまでになっていたのです。私達も苦しみの中にある時、問題を抱えている時、心に傷を抱えているときにそれに関連しているけれど直接的ではないことを祈ってしまうかもしれません。しかし、イエスは私達の心のすべてを知っています。私達が忘れかけている、忘れようとしている傷までも知っています。そして、イエスキリストはそこにまで手を伸ばしてくださるのです。
このハンセン病の患者と同じく、私達の神への祈りは最終的には「こんな私でも、もしお心でしたらその存在を受け入れて下さるでしょうか?」という祈りにつながるのではないでしょうか?
この美しい物語は、そのようなあなたの祈りに対する答えはいつも"Yes"であることを教えてくれているのです。
(写真:まだまだ雨期のこちらですが、時には春の気配が感じられるようになってきました)6498

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日曜礼拝シリーズ:(前半)理想的クリスチャン?

今週の聖書箇所は、マルコの福音書1章35-45節でした。今回は二つの話が含まれているので前半と後半に分けて書きます。まずは前半。

さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコの福音書1章35節)

礼拝説教要旨:
1:イエスに従うことこそ・・・
この箇所の前半では、イエスが父なる神に祈り、そしてその御声に従ってミニストリー(教えたり、祈りによって病を癒したり、悪霊を追い出したりすること)の場所を移そうとしました。弟子達は、ミニストリーが成功しているこの地域で、働きをすすめることを薦めましたが、イエスは祈りによって、他の地域にミニストリーの場所を移すことで、より多くの人に神の国の知らせを伝えようとされたのです。私たちも、社会的正義を成し遂げることにフォーカスを置きすぎるのではなくイエスに従うことをゴールとしたいものです。

hide-tanの感想:
私にとってはイエスに聞き従うことは、生活そのものであって、ゴールというものではありません。あえていえば「手段」だと思っていました。神様は私をいのちを捨てるほどに愛し、今も生きて私のために導いてくれているので、この方に聞き従いたいという気持ちがあります。(実際は、そういう霊的な気持ちと、自分の肉的な思いとの間で戦いがあります)そして、ゴールとして(1)キリストに似た者にされること、そして、(2)多くの人にイエス様を紹介することの二つを見据えて歩みたいと思っていました。しかし、今日のメッセージから私が”手段”と思っていたことが、直接ゴールにつながっているようにも思えて来ました。

私の”ゴール”で大切なことは、キリストに似た者に「される」と言っている点であって、自分が描くキリスト像にあわせようとして、自分の努力でキリストに似た者に「なる」と言うことではない点です。もし、そんなことをすれば、神など現実的なものではなく単なる概念あるいはシンボルにすぎず、私はそれを利用して立派な人物になるように努力しているということにすぎません。あるいは、キリストを神の子ではなく、「昔々のエラい人」という地位に落とすだけで、一部の人からの尊敬を浴びることはあっても、”自分もあのようにキリストを信じて生きたい”とか”もしかしたら、神は自分もあんな風に私を愛して下さるのかもしれない、もしかしたら私の人生を大切に思って下さっているのかもしれない”という希望の光を灯すことはできないに違いないと思います。

それは極端に言えば、悪魔が欲している”理想的なクリスチャン”なのです。

そして、私は今までのクリスチャン生活(信仰歴20年)の大部分をそのような”理想的クリスチャン”として歩んで来たのです。

しかし、キリストの霊である聖霊は今も私とともに生きていて、それは私たちクリスチャンにとっての「現実」です(ローマ書8章)。そして、神の言葉(=聖書)も生きていて力があります。それは世界の歴史さえ変えて来た程の力がありますが、聖霊の助けのもとでこれを読むときに自分が変えられていくような経験をします(ヘブル書4章12節)。聖書を読んで、祈ること、教会に行ったりすることも精神修行の機会として行うのではなく、本来は今現実に自分を愛し導こうとされる神に親しく呼びかけながら、喜びを感じながら行うものなのです。
それは、聖霊様と波長を合わせて生きることです。それは、朝の目覚めを喜び、車に乗る時に祈り、苦手な人と話をするときに祈り、苦手な仕事をするときに祈り、ことあるごとに感謝し、素晴らしい自然や人物に出会ったときに神を賛美し、そして一日の終わりに感謝を捧げるような生活です。そのようにすることで、自分では持ちえない親切心が芽生えたり、自分ではなしえない選択が可能となったり、これまでわからなかった神のこころが分かるようになってくるのだと思います。
もし、これを読んでいる人がクリスチャンであってもなくても、神が現実に生きていることがわからないという方がいれば、祈りの中で率直にこう言えばよいと思います。

「神さま。聖書を読む時に私の心の耳を開きあなたの声を聞かせてください。あなたが創られたこの世界の中にあなたの指先のあとを見せて下さい。そして日々の生活の中であなたが私をどのように支えてくださっているかを教えてください。」

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2008年2月 3日 (日)

一番肝心なところが・・・

今日は、教会のPioneer clubのDerby Carのワークショップに行って来ました。
年明け早々からこれには参加者一同、親子で結構まじめに取り組んでいます。

まず、粗切りしてあるpine woodをヤスリやサンドペーパーできれいにして、
下塗り→本塗り→ニス塗りを経て、タイヤを装着します。今日は作業の最終日でした。

うちのminoriとayumiの作品はこちら↓

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本塗りのときは、私がついていなかったので、今日、開けてみてびっくり?の出来映えでした。

今日はタイヤ装着して、重量をはんだで調整しました。来週水曜日にエントリーして、土曜日にレース&ポトラックパーティがあります。

(写真:ダービーカーのワークショップ会場となっている教会のバスケットボールコートで、芝刈りの時に草を吹き飛ばす機械を使って、ホバークラフトをしていました。おしとやかな?うちの娘達は参加せず)

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2008年2月 2日 (土)

郷に入って、人のフリ見る?

研究留学といえば大きなステップですが、私にとっては、大学院卒業とともにこちらに来たこともあって、はじめてのラボの移動でもありました。とはいっても共同研究のラボには出入りさせていただいていたので、場所によっていろいろな取り決めが違うことは知っていますが、やはり微妙にいろいろ違います。

なので、私は「前のラボでは、こうしていた・・・」という言葉は極力さけるようにしています。これは私にとっては関西出身とばれないように話せというくらいの難易度がありますが・・・(笑)。

先日、新しく来た試薬を分注してラベルをしておいたのですが、試薬名と日付とロット番号を書いておいたところ、あるポスドクに「メーカー名がない!」ときつく注意されました。無い訳ではなく、あとで私としてはわかるようにラベルを剥がして、分注したチューブと一緒によく見える場所に保管していたことをいうと、
「すべてのチューブに書かないとあかん!」とのこと。
彼女がそんなキッチリした性格でないことを知っている私は、
『ほんだら、自分はするんか?』(汚い言葉ですみません)
と返すと、
「・・・うん。」
とトーンダウン、
『ホンマに!?前の分注チューブには試薬名と日付しか書いてなかったけど』
「それは知ってるけど、それは分注した人が忙しかったからだと思う・・・その前はしていたはず・・・。」

私としてはより詳しい情報を試薬とともに保管していた私の方法の方がよいと思いながらも、基本は「郷に入れば郷に従え」の精神ですので、その場でラベルを作って全部にペタペタ貼っていきました。
よく考えると、正しくはこうあるべきと知っていながら放っていた、このポスドクの態度こそ問題なんじゃないの??と思いながらも、「人のフリ見て我がフリなおせ」のごとく、自分もそういったことをしていないか、ラボではちゃんとやっていても、他の部分ではどうなのかと考えさせられました。

子どもに教えるような基本的なルールですが、
こうしないといけないことがわかっていて、そのようにしないことはいけないことです

私も子どもたちと一緒の朝食をインターネットの新聞を読みながらとったり、歩きながらおやつを食べたり、靴下を脱ぎっぱなしにして、妻に注意され、「発掘調査!発掘調査!!」と探しまわったりするようなことはやめようと思います・・・。

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2008年2月 1日 (金)

噛まれたらええ。

今日、はじめてマウスに噛まれました。

janeの実験で、腹腔内注射をするためにマウスを持ってあげていたのですが、3匹目で油断が生じて、ガブッといかれてしまいました。さほど痛くはないのですが、血が出たので、中国人の研究助手chieは大騒ぎしてあわてて消毒してくれました。もう6年近く研究しているのに、噛まれたのは初めてで少しびっくり。昔、院生時代に共同研究のラボのベテランの研究員にこんなことを言われたことを思い出しました。

「僕たちの方が動物にもっとひどいことをしてるんだから、1回や2回、噛んでもらえばいいんです。それに動物実験施設で飼育しているマウスは、そこらの犬猫とは違ってきれいです。」

・・・噛まれたらいい、というのは言い過ぎとしても、できるだけやさしく動物を扱う上では、よい心構えなのかもしれません・・・。
(写真:ラットの親子>マウスの親子。これくらい大きさが違います。ちなみに映画”レミーのおいしいレストラン(原題は"Ratatouille”)で出てくるのはドブネズミなので、ラット(大きい方)です。

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