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2008年2月 9日 (土)

Jesus in our lab.

私のラボには、クリスチャンが私を含めて3人います。

中国人のchieとjin夫妻は、中国人の教会に通っています。いつも教会の礼拝が終わるとchieは皿洗い係をし、jinは芝刈りをせっせとするそうです。
「私たちが教会を休むと皿はそのままになってるし、芝も伸び放題になっちゃうので、忙しいのよ!」
とか言いながら、その目は微笑んでいます。同じ職場にこのような信仰の先輩がいて心強いです。

院生のchrisは、信仰はもっていないのですが、「この世界が単なる偶然でなく、誰かによって目的をもって作られたことは認める。だけど、それが神であるかどうかは別の話。」

ポスドクのjury(中国人)は、シカゴの大学院に居た時に時々教会に行っていたそうです。「多くの中国人クリスチャンはなにかご利益目的で教会に来ているみたい。でも、クリスチャンの中には、『このような人になりたい』と思える人がたくさんいる」

後の二人の主張は、
1:この世界は誰かが作ったのだろうけれど、私は、神がいるとは思いたくない
2:神様に出会って変えられた人を知っているが、私は、神とは出会いたくない
と言い換えることができそうです。

このように思うことは、当然のことだと思います。
”もし、神なんかが存在すれば、神のことを考えずに好きなことをして、悪いこともやって生きて来た自分はきっとひどい目にあうか、たとえ赦してくれても、きっといろんな教理などで自由を奪われ、縛られるだろう。楽しい人生もなにもあったもんじゃない!”
もし、私がクリスチャンでなかったら、そのように考えると思います。なので、そのような神を信じているような人は煙たいと思うことでしょう。
”お前は間違っている。なんでそんな非科学的なものを信じるんや。なんでそんな偏ったものの見方をするんや。”
とまでも言っていたかもしれません。

でも聖書が解き明かす神はそのような神様ではないのです。

放蕩息子のたとえ話にもあるように、神は放蕩息子である私達が、自分の罪を悔い改めて謝る前にすでに『よく生きている間に帰って来た』と赦しており、「あなたの子として呼ばれる資格はありません。使用人の一人にして下さい」と言って私達の膝が地面に着くより先に抱きかかえ、『あなたは私の愛する子』であると宣言してくださる神なのです。飢えを満たす為の豚の餌をもっている手に指輪をはめ、杯を握らせてくれるのです。

キリストの十字架を通して私達を見て下さる神は怒っておらず、恐れる必要はないのです。
これがなければ生きていけない、けれどクリスチャンになったらこれを手放さないといけないのでなれないと思っているもの(上のたとえの豚の餌)も、さらに良いものを握らせてくれるがゆえに自然に手放してしまうものです。
(写真:私達の住むアパートの一画)
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うちのボスは2日に1回はラボに来て、ひとりずつ様子を聞いて回る人なのですが、このような人達に囲まれて私は、いつもキリストが研究室を歩き回って、「juryは?chrisは?私のところに来てくれそうか?」と聞かれているような気がすることがあります。

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