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2008年2月18日 (月)

日曜礼拝シリーズ:国籍というプレゼント

今日は、"Join the Party"というテーマの礼拝でした。メッセージの内容(英語)はPBCのウェブサイトでダウンロードしたり、聞いたりできます。

聖書箇所:マルコの福音書2:13-22

 
イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」  ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。(2:13-20)
説教要約: この箇所の前半では、イエスが取税人レビを弟子にする話が出て来ます。取税人というのは当時のイスラエルでは、支配者ローマ帝国に加担して、人民から税を徴収し、しかもローマの圧力を利用して多くの税金を徴収し、差額を懐に入れていたという人達でした。ですので、経済的には恵まれていましたが、社会からは除け者にされている存在でした。 イエスはその取税人レビのところに、やってきて、彼を弟子にし、そして取税人や罪人が集まるパーティに参加したのでした。イエスは神の御国からやってきて、私達のところに来て下さいました。そして、彼はシナゴーグで待っているのでなく、私達が今いるこの場所にまでやって来てくれるのです。イエスが彼を受け入れるのに、取税人であることを止めて、身を浄めてからでなければならないとは仰りませんでした。神は私達をありのままの姿で、今いる場所で受け入れて下さるのです。 後半の箇所では、私達がキリストのウェディングパーティに招かれていることが述べられています。イスラエルはこれまで、キリストの来臨のために断食をしたり、嘆いたりしていましたが、もうキリストが来たのだからその必要はないのだと語られました。しかも、聖書の別の箇所では、私達教会はキリストの花嫁(エペソ5章26-32節)として描かれています。私達は、結婚式において、イエスと目を合わせることになるでしょう。しかし、それまでの人生でもきっと沢山のことを経験すると思います。がっかりすることも、悩む事も、疑うこともあるでしょう。しかし、どんなときでも私達は結婚相手であるイエスに目を向けましょう。そうすれば溢れ出る喜びをきっと経験することでしょう。 hide-tanの感想: キリストに出会い、受け入れてもらうために、生活を改めるとか、今いる状況を変えるとかいう必要はありません。イエス様はそのままの私達を受け入れて下さるのです。なのにクリスチャンとなった人々が生活が一変したり、人格まで変わっていくのを見るのはどういうことでしょうか? マックス・ルケードはその著書"Just Like Jesus"の中で、このようなことを書いていました。 あなたの幼い娘が泥んこ遊びをしていて、パパー!(あるいはママー!)と叫びながら抱きつきに来たとします。手足だけでなく、顔も泥んこです。あなたは泥んこを綺麗に落とすまでは私の子ではない、愛さないと言うでしょうか?そんなことはないはずです。泥だらけのまま愛して抱き上げますよね。しかし、だからといって、泥んこのまま食卓に着かせたり、寝かしたりはしません。きれいにしてあげますよね。それと同じことを神様はあなたにしてくださるのです。 罪をもったまま、汚れたままでイエスに出会っても、あなたを愛する神の愛はそれによって減ったりするようなものではありません。逆に「きよい生活」をしていれば、その分、神の愛が増すといったものでもありません。神はもうこれ以上ないほどの愛ですでに愛して下さっているからです。 クリスチャンとなった人が、祈りや聖書や交わりを通して生活や言動に変化が生じるのは、そのようにしようという人間的な努力によるのでなく、イエスとともに歩みはじめたときから、聖霊なる神様がそのように変えていってくださるからです。そして、それは私達がさらに良いものを手にし、豊かに生きるためなのです。 (写真:夫婦のように寄り添いながら伸びるRedwood) 7266 また、後半では私達がキリストの花嫁であると述べられています。私は男なので、『花嫁』という言葉にピンと来ませんが、自分はキリストの体に連なるものなのだと言うことだと思います。聖書には”私達の国籍は天にあります(ピリピ3:20)”と書かれていますが、私達はキリストの花嫁となるからこそ、その国籍を与えられるのであって、その証拠として、あるいは入国ビザとして、キリストを自分の救い主であると聖霊が信じた時に与えられるのです。

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