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2008年2月 4日 (月)

日曜礼拝シリーズ:(前半)理想的クリスチャン?

今週の聖書箇所は、マルコの福音書1章35-45節でした。今回は二つの話が含まれているので前半と後半に分けて書きます。まずは前半。

さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコの福音書1章35節)

礼拝説教要旨:
1:イエスに従うことこそ・・・
この箇所の前半では、イエスが父なる神に祈り、そしてその御声に従ってミニストリー(教えたり、祈りによって病を癒したり、悪霊を追い出したりすること)の場所を移そうとしました。弟子達は、ミニストリーが成功しているこの地域で、働きをすすめることを薦めましたが、イエスは祈りによって、他の地域にミニストリーの場所を移すことで、より多くの人に神の国の知らせを伝えようとされたのです。私たちも、社会的正義を成し遂げることにフォーカスを置きすぎるのではなくイエスに従うことをゴールとしたいものです。

hide-tanの感想:
私にとってはイエスに聞き従うことは、生活そのものであって、ゴールというものではありません。あえていえば「手段」だと思っていました。神様は私をいのちを捨てるほどに愛し、今も生きて私のために導いてくれているので、この方に聞き従いたいという気持ちがあります。(実際は、そういう霊的な気持ちと、自分の肉的な思いとの間で戦いがあります)そして、ゴールとして(1)キリストに似た者にされること、そして、(2)多くの人にイエス様を紹介することの二つを見据えて歩みたいと思っていました。しかし、今日のメッセージから私が”手段”と思っていたことが、直接ゴールにつながっているようにも思えて来ました。

私の”ゴール”で大切なことは、キリストに似た者に「される」と言っている点であって、自分が描くキリスト像にあわせようとして、自分の努力でキリストに似た者に「なる」と言うことではない点です。もし、そんなことをすれば、神など現実的なものではなく単なる概念あるいはシンボルにすぎず、私はそれを利用して立派な人物になるように努力しているということにすぎません。あるいは、キリストを神の子ではなく、「昔々のエラい人」という地位に落とすだけで、一部の人からの尊敬を浴びることはあっても、”自分もあのようにキリストを信じて生きたい”とか”もしかしたら、神は自分もあんな風に私を愛して下さるのかもしれない、もしかしたら私の人生を大切に思って下さっているのかもしれない”という希望の光を灯すことはできないに違いないと思います。

それは極端に言えば、悪魔が欲している”理想的なクリスチャン”なのです。

そして、私は今までのクリスチャン生活(信仰歴20年)の大部分をそのような”理想的クリスチャン”として歩んで来たのです。

しかし、キリストの霊である聖霊は今も私とともに生きていて、それは私たちクリスチャンにとっての「現実」です(ローマ書8章)。そして、神の言葉(=聖書)も生きていて力があります。それは世界の歴史さえ変えて来た程の力がありますが、聖霊の助けのもとでこれを読むときに自分が変えられていくような経験をします(ヘブル書4章12節)。聖書を読んで、祈ること、教会に行ったりすることも精神修行の機会として行うのではなく、本来は今現実に自分を愛し導こうとされる神に親しく呼びかけながら、喜びを感じながら行うものなのです。
それは、聖霊様と波長を合わせて生きることです。それは、朝の目覚めを喜び、車に乗る時に祈り、苦手な人と話をするときに祈り、苦手な仕事をするときに祈り、ことあるごとに感謝し、素晴らしい自然や人物に出会ったときに神を賛美し、そして一日の終わりに感謝を捧げるような生活です。そのようにすることで、自分では持ちえない親切心が芽生えたり、自分ではなしえない選択が可能となったり、これまでわからなかった神のこころが分かるようになってくるのだと思います。
もし、これを読んでいる人がクリスチャンであってもなくても、神が現実に生きていることがわからないという方がいれば、祈りの中で率直にこう言えばよいと思います。

「神さま。聖書を読む時に私の心の耳を開きあなたの声を聞かせてください。あなたが創られたこの世界の中にあなたの指先のあとを見せて下さい。そして日々の生活の中であなたが私をどのように支えてくださっているかを教えてください。」

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