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2008年2月 4日 (月)

日曜礼拝シリーズ:(後半)神からあなたへのYes!

さてツァラアト(=ハンセン病)に冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまづいて言った。「お心一つで、わたしをきよくしていただけます。」 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」 すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。(マルコの福音書1章40-42節)

A man with leprosy[a] came to him and begged him on his knees, "If you are willing, you can make me clean."
Filled with compassion, Jesus reached out his hand and touched the man. "I am willing," he said. "Be clean!"(Mark 1:40-41)

hide-tanによる聖書基礎知識:
今回の話は、ハンセン病の人の癒しの話です。
旧約聖書では、ハンセン病は汚れているとみなされ、そのための「診断基準」とかかった人、患者さんに関わった人に対する厳しいルールがありました。(旧約聖書レビ記13章参照)
病気になった人は、病気でない他人がまわりにいるときには、人が自分に近づかないように「汚れている!汚れている!」と叫び続けなければなりませんでした。
ここで登場する人も、自分の責任でもないのにこの病気に冒され、家族からも、友人からも引き離され、誰とも接触できない、つらい時を過ごしていたのだと思います。そこでイエスと出会い、手を延ばして触れてもらうという経験をします。
この病人の立場にたって考えると、さらりと書かれているこの記事が、この人の人生にとっていかに大きいことかが想像できると思います。

礼拝説教要旨:
かくして、イエスは他の地域にもでかけ、多くの人がイエスを信じるようになりました。そんな中でハンセン病のこの人との出会いによって、イエスは深いあわれみをかけて、この人に触れて癒しました。
イエスはこの人を癒したあと、「このことは誰にも言わないように」と告げました。噂が広まると混乱が生じ、ご自分が思っておられるようなミニストリーが出来なくなることを危惧しておられたのでしょう。しかし、イエスの意に反して、この人は喜びのあまり黙っておれなくなり、その結果、イエスは人里離れた場所にとどまる必要が生じたのです。ハンセン病だった人は街の中心になり、イエスは離れたところに・・・立場の逆転です。
イエスと私達の出会いも立場の逆転からはじまります。私たちは罪ある者として、神から離れたところに居なければならないものでしたが、イエスが私達の罪を担い、本当は罪のないお方なのに罪ある者として神から捨てられるという罰を身に受けたのです。
また、私達はこのハンセン病患者のようにそれぞれ癒されるべきところを持ち合わせています。私達は癒されるべきところをイエスの前に持って来る必要があるでしょう。聖霊様はおのおののクリスチャンの内に住まわれ、教会を通して業をなそうとしておられます。自分が癒される場としては、時にはそのようなクリスチャンが集うスモールグループのような、お互いを受け入れ合う雰囲気の中でなら可能かもしれません。

あなたがどのように相手に触れるかということは、あなたがその人にとってどのような存在であるかを現します。イエスは私達に触れるためにこの世に来られました。そして、イエスは私達を癒し導いて下さるのです。

hide-tanのコメント:
英語NIVでは、"If you are willing・・・"と訳されています。もし・・・と願い出ているのです。
彼は病を癒して欲しいということを口にしましたが、その本当の意味するところは、自分が存在することを認めてほしい、誰かに愛されて触れて欲しいということだったのだと思います。彼は長い間の苦しみの中で、本当に癒して欲しいところを言葉にできないまでになっていたのです。私達も苦しみの中にある時、問題を抱えている時、心に傷を抱えているときにそれに関連しているけれど直接的ではないことを祈ってしまうかもしれません。しかし、イエスは私達の心のすべてを知っています。私達が忘れかけている、忘れようとしている傷までも知っています。そして、イエスキリストはそこにまで手を伸ばしてくださるのです。
このハンセン病の患者と同じく、私達の神への祈りは最終的には「こんな私でも、もしお心でしたらその存在を受け入れて下さるでしょうか?」という祈りにつながるのではないでしょうか?
この美しい物語は、そのようなあなたの祈りに対する答えはいつも"Yes"であることを教えてくれているのです。
(写真:まだまだ雨期のこちらですが、時には春の気配が感じられるようになってきました)6498

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