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2008年3月 7日 (金)

礼拝形式をめぐるディスカッション-2

前回の続き)

話し合いの前に指揮者のlesleyから次のような取り決めが提案されました。

ng1:個人を責めるような意見を言わない。 ng2:"should"(=せねばならない)という言葉を使わない。 ng3:質問はしない。(答えがないので)

それで出た意見をまとめるとこんな感じ。

oneそれぞれの音楽に良い面があるので、お互いが世代の違う音楽を毛嫌いせずに学ぶことも必要
two曲を覚えやすいように同じ曲を繰り返して選曲してほしい
three自分の好きな音楽ジャンルでの賛美集会を礼拝とは別にもってもよいのではないか
four新しい音楽の中には、歌詞が礼拝にそぐわないのではと思うことがある
five教会はキリストにあって一つの体。意見や好みの違いがあってもお互いに愛し合えるようにしたい

アメリカはCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)の市場が大きく、かなりの数のCDや音楽ファイルが販売されています。そのなかには確かに歌詞の内容がヘンと思ってしまう曲もたまにあります。
クリスチャンとは言っても、ミュージシャンもいろんな信仰を持っていたり、聖書理解を持っていたりするわけです。

たとえば、あるミュージシャンにとって、
「神様、あんたはすんごいな!」
というような口調の歌詞が”賛美”であると思っても、他の人からはとても失礼なことを言っているような気がすることもあるのです。
また、
「神様。私はあなたの前にひれ伏し、私の人生のすべてをお捧げします。」
という内容が、ある人にとっては、本心から出た言葉になる場合もある一方で、”自分の人生を捧げるって・・・そこまでの信仰心は持っていないな。これを歌うとウソをついているみたいや。”やcoldsweats01、と思う人もいるし、”私は、私は・・・って言葉が続いて、神様のことを賛美してるのか、賛美をささげている自分に酔っているのかわからないわgawk”と思う人もいるみたいです。
なかでも、「古くからある讃美歌というのは世代を経て評価に耐えて来た実績があること、たいていはその曲が作られた背景からも学ぶことが多い」という意見には納得させられました。

最近の私はそこまで歌詞の内容を吟味したことがないので、なるほど・・・と思いました。

確かに自分も信じる決心をする前に、讃美歌を歌ってみても、なんだか気持ち悪かったですし、
「私の心の喜びをあなたに届けたい」とか「あなたは神に愛されている」というメッセージソングを礼拝で歌うときに抵抗を覚えたことはありました。

そこで、私は手を挙げて、
「このディスカッションを通して、ワーシップソングを捧げるときには心から捧げるという歌い方だけでなく、自分の口から出る歌詞の内容が神様の前に捧げるものとしてふさわしいものかを考えないと・・・と思わされました。」と思い切って短いコメントをしました。

教会で語られる説教には、信徒のみなさんは注意を払って聞いていますが、歌われる曲に関しては、クリスチャンの曲ならよいもの、スタッフが選曲されたものなら安心・・・とは思わずに歌詞を吟味して、これは神様の前に捧げることばとしてふさわしいものかどうかも考えながら賛美したいと思いました。クリスチャンミュージックの中には本当に素晴らしいものが多くあり、そのような曲を礼拝で歌いたいという曲はあると思いますが、礼拝賛美として捧げるワーシップソングと、自分達で楽しむためのクリスチャン・ミュージックは分けないといけないと思いました。

みんなの一致した意見は、”どのようにしたらよいか結論は出ないけれど、言えることは、教会のメンバーで違った考えの人を理解し、愛しあうようにすることがとても大切happy01
というところに落ち着いて、こういうディスカッションがあってよかった、そして自分はこんな素晴らしい兄弟姉妹のいる教会に来てよかったと、みんな悩んでいるのに、何も解決していないのになんだか嬉しい気持ちになりました。


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