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2008年3月11日 (火)

めちゃくちゃな要求

昨日、礼拝に出席してくれた同僚のjuryと仕事が終わって帰る前に、礼拝説教の感想を聞きました。

やはり、誰でも『自分の人生は自分で切り開き、成功したい。』という思いがあるのはとてもよく分かります。『神様はそんな自分を応援してくれる存在であってほしい。』という気持ちも。

『殺人という恐ろしい罪を冒した人でも、信じるだけで罪がゆるされて天国に行けるなんておかしい。』
『神がいるのなら、なぜ悪い事をし続けている人が、のうのうと生きていけるのか?』
『なぜ、自分の努力では救いは達成出来ないのか?』

そんな問いに対して、聖書を学んでいるクリスチャンなら、そこそこ答えることはできます。
でも、議論に勝ってしまっても、『そんなら、そんな神様はいらん』と結論を付けられてしまうという結果になりかねません。でも、「あなたの言うとおりです」とわざと負けても、聖書や神についての誤解は残ってしまいます。議論に勝つこと無く、聖書に対する誤解や偏見を解くような説明ができればといつも思います。

普通、人は「自分は今どんな人間で、どのように生きていきたいのか?」ということを考えて人生の計画を立てます。しかし、まず、「自分をこの世に存在させている神はどんな方か?その神から見て自分はどのような存在なのか?そして、何のために自分を存在させているのか?」という問いに変換することで、ちょっと見方が変わると思います。

本当は、”そんな神様いらん”のではなくて、”どこまでも正しい裁きをされて絶対に一点の悪もゆるさない方であってほしい、でも、どんな自分でも受け入れてくれる神であってほしい”というめちゃくちゃな要求を持っているのではないでしょうか?
キリストがこの世に来たのは、そんなめちゃくちゃな要求を満たすためだったのです。しかも、それは人間がのぞんだというよりは、神ご自身が、嘘や、ねたみや、悪意や、不純な欲望やらで渦巻く私たちをなんとか神の子として受け入れたいという思いから、キリストを十字架に付けられたのでした。

冷静に考えれば、めちゃくちゃな話です。めちゃくちゃな教えです。
なんで、こんなめちゃくちゃなことを書いている聖書なのに、歴史の中で数々のひどい迫害に耐え、なおも世界のベストセラーであり続けているのでしょう?

それは、この聖書という本には、私とあなたをめちゃくちゃ愛してくれている神のめちゃくちゃ強い思いによって「生きている本」なのだからと思います。

草は枯れ、花はしぼむ。 だが、私たちの神の言葉は永遠に立つ。 (イザヤ書40:8)

(以下は、私の好きな詩です)

Footprints in the sand

One night a man had a dream. He dreamed he was walking along the beach with the Lord. Across the sky flashed scenes from his life. For each scene he noticed two sets of footprints in the sand; one belonging to him and the other to the Lord

When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the footprints in the sand. He noticed that many times along the path of his life there was only one set of footprints. He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times of his life. This really bothered him and questioned the Lord about it.

"Lord, you said that once I decided to follow you, you'd walk with me all the way. However, I noticed that during the most troublesome times of my life there was only one set of footprints. I don't understand why when I needed you most you would leave me."

The Lord replied, “my precious, precious child, I love you and I would never leave you during your times of trial and suffering, when you see only one set of footprints it was then that I carried you."

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