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2008年4月27日 (日)

"Crime"と"Sin"

9504今日も二週間に一回の日本人の方々を対象にした聖書の会教会で行いました。この学び会は今回で5回目。最初は、「誰も来なくても、教会で日本語の聖書を開くことができる機会があるだけでも祝福」と夫婦で話し合って始めた会なのですが、毎回入れ替わり立ち代わり複数名の参加者が来てくれて、いつも嬉しく思っています。

とくに今回はクワイアーのメンバーで日系3世のmachikoさんが初参加してくれました。同じクワイアーメンバーながら英語しか話さないことと、名前も英語名なので、はじめて話した時にいきなり日本語で返されて驚きました。今回、”クリスチャン用語”を日本語で勉強したいという希望もあって、この会に参加してもらいました。

”クリスチャン用語”って何?とお思いかもしれませんが、「罪」「救い」「十字架」「賛美」「礼拝」「聖餐式」とかそういった類いです。また私もこのブログでよく使う「感謝です」というのも立派なクリスチャン用語で、「(神様に)感謝です。」という意味で私たち家族の口癖です。楽しい一日を過したら、「今日はホンマに楽しかった。感謝やな〜。」とか言います。

ところで、今日の聖書の会で話題にあがった「罪」という言葉は聖書でよく使う言葉ですが、英語では"Crime""Sin"の二種類があります。日本語であえて訳すと前者が「犯罪(強盗等)」で、後者が「不道徳(不倫など)」みたいなニュアンスがあると思いますが、Sinという言葉の語源はもともと「的外れ」という意味です。なので、私は個人的に罪とは神様の意図に反した行き方を意図的にすることと理解しています。

なので、たとえば、「人に親切にする」という行為であっても、自分の評判が良くなることを目的としてこれみよがしに行ったり、”キリストの十字架にはなんの意味もなく、こうやって自分が善行を積むことにこそ救いがあるのだ”と思いながらした行為であるならば、それは罪であると思っています。ちょっと窮屈に聞こえるかもしれませんよね。
”善行”と呼ばれるような行為の中にも”罪(sin)”というものが存在しうるのならどうしろというんでしょうね。でも大丈夫なんです。キリストの十字架がすべての罪を帳消しにしてくださるので、罪深い私も安心して神の意図にかなった生活を目指しながら歩んで行けばいいのです。

なので、教会は「罪をゆるされた罪人の集まり」とも言えるのです。

(写真:今日Cupertinoのメモリアルパークであった「さくらまつり」。太鼓、柔道、日本食や和風小物の屋台、鯉のぼり、生け花(カリフォルニア風で風情がありました)、墨絵、そばのデモンストレーションなど日本の紹介がされていました。)

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