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2008年5月25日 (日)

Bible study 101: 聖書に記されている神

今日は、月2回の日本人のためのバイブルフェローシップがありました。参加者は私たちの家族を含めて、大人6名、子ども8名と賑やかでした。(子どもたちのクラスの様子については妻のブログに近くアップされる予定です。good

『恵みによる信仰生活(高木慶太著:いのちのことば社)』という本をもとに、聖書に書かれている神様の特徴についての学びをしました。

聖書の中には、きよい神、正義の神、全知全能の神、愛なる神、遍在される神、唯一絶対の神、そして三位一体の神など様々な特徴が記されています。これらをまとめると、次のようになると思います。

まとめ1:聖書に記されている神は、罪のある人間には近寄りがたい聖さと正義の神であるが、その絶大な愛のゆえに父なる神と御子を十字架につけることによって、もともと入る資格の無かった私たちを神の国に受け入れてくれる道を備えて下さった。

まとめ2:なんでもご存知の神は私たちの悩みのすべてを負い、私たちの罪深さを知った上で私たちを受け入れて下さり、どこにでも存在しうる神はいつも私たちのそばにいて下さり、神の目から見て私たちに最善の人生を歩ませて下さることがお出来になるお方である。

結論:だから私たちはこの神に信頼して人生を歩むことができる

...本当でしょうか?
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答えは、2つの条件が満たされれば本当です。

条件1:聖書が本当に神の言葉を記載した書物であること
聖書が、本当にそのような書物でないのであれば、聖書に書かれている神について学ぶことは、ちょっとした教養を身につけたような気になる以外は私たちの人生にとって何の価値もないのではと思います。

まず、聖書が世界の歴史に与えた影響は計り知れません。これは、誰もが認める事実ですが、このことは聖書が今の形の聖書が出来上がってから1700年もの長い年月に渡って、様々な批判や迫害に耐えてなおも価値を認められて来たこと、数えきれない数の人たちによって、これが自分の人生において無視することができない重要な書物であるとされてきた書物であるということを意味します。
次に、聖書には何百という写本があり、内容が一致しています。これは歴史的事実を語る証拠レベルが上がるだけでなく、意図的な変更がゆるされていないこと言えます。一方、私たちが歴史を勉強しているもとになっている書物でこれだけの数が保存されている書物はありません。大抵は数個です。中東の歴史の多くは聖書をもとにされていますが、もし聖書が事実を語っていないとするのであれば、他の歴史書物も信頼に足るものではないということになり、歴史学そのものが意味をなさないものになります。
なので、聖書の信憑性を証拠づけるには、聖書そのものほど確かなものはありません。そこで、聖書は1600年かけて40名の人々によってお互いの連絡が取れない様々な人たちによって書かれたのです。それでも聖書のストーリーには一貫性があり、矛盾が無く、そのうえ、前の世代に預言されたことがらが後の世代に成就するということが繰り返し描かれ、ユダヤ民族について、キリストについて、何百もの預言が書かれ、それが現実のものとなることが書かれています。

これはどういうことを意味しているのでしょうか?

それは、聖書が神の霊感によって書かれ、真実が書かれているということを意味しています。ということは、キリストの十字架の死と復活も事実であり、十字架が自分のためであったと認めることで救われることも本当のことであり、そして、これから起きる世界の終わりの預言や、死後にある裁きも本当であるということです。

条件2:あなたが聖書に書かれていることを信じ、キリストを救い主として受け入れること
まとめ1については、救いの道は備えられていても、その道を選ばない限り、そこを歩むことはできません。神は無理強いされることは無いのですが、愛と正義の神である主は、あなたや私がその道を選び、救いを受け取ることを願っています。
まとめ2については、上記のステップを踏まないとそのような神を理解することは不可能です。またそのようにしてもらうためには、聖霊なる神が自分の人生に関与することをあなたや私がゆるさなければなりません。

聖書を読むとあちこちにそのような神の美しい姿が描かれています。聖書はその神があなたの神であると訴えかけてきます。そして、聖書の中には多くの祝福の約束が散りばめられています。このような聖書に対して私たちがとれる態度は次の3つです。

1:聖書の言葉を信じ、これらの宝を自分のものとし、幸せで豊かな人生を安心して歩むのか、2:聖書を生涯開くことなく過ごすのか、3:聖書を偽りの書物して投げ捨てるのか、です。

そしてどの態度を選び取るのかは私たち一人一人の決断であり、責任でもあるのです。


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