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2008年5月19日 (月)

日曜礼拝シリーズ:仕える者としてのリーダー

聖書箇所:マルコの福音書10:33-45

「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」
さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。
「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」
イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」
しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」
彼らは「できます。」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。
しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」
十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

メッセージの内容はこちらから聞くことができます。

メッセージを聞いてのhide-tanの感想
クリスチャンのとるべきリーダーシップのあり方についてキリストが教えられたことが描かれています。キリストは「今から死に渡されます」という重大な宣言をしたときに、ヨハネとヤコブはキリストの言っていることを真剣に捉えず、自分達のことだけを考えて自分達が高い位に着くように頼みました。ここで、キリストはリーダーの条件について3つのことを述べています。

1:リーダーにはキリストの十字架の苦しみが伴う
自分の利益や名声のためにではなく、神のみこころのために行うものである。そこには時に罪や不信仰に満ちたこの世との葛藤が生じることも心得る必要がある。
2:リーダーをお立てになるのは神である
自分が何か努力をしたからといってリーダーになるものではない。主権は神様にあり、神様が油を注がれたものがリーダーの役割を担う。
3:リーダーは自分を低くして、すべての人に仕えるものである
キリストは実に神の子であるにも関わらず、自分が作り、自分が王となるはずの世界に身分の低い貧しい家の子として来られた。

こう考えると、「私なんてリーダーなんてとても・・・」という一見、謙遜な言葉はとくに神の愛と恵みの力を長年体験して知っているようなクリスチャンにとって本当の意味で正しい態度ではないのでは?と思います。

それはつまり、
「私なんて、みんなに仕える者となるなんてとてもとても・・・」とか、
「キリストが十字架を忍ばれたこと思い、私も神と人のために自分の十字架を負う者となりたいなんていうことはとてもとても・・・」
とか、
「神様が自分にやりなさいと言われても・・・」
と言っているのと同じだからです。

この教えは、神が必要とされるのであれば、リーダーとして働くことができるように準備しておくことと、自分がリーダーとならなくても、神が立てられたリーダーには喜んで従うことの大切さとを同時に教えていると思います。キリストの弟子達が誰かのリーダーシップのもとで、調和を保ちながら協力していくことを神の真実と愛にもとづいて教えられた箇所なのだと実感しました。
(写真:教会主催のピクニックの公園で水遊びをする子どもたち)
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