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2008年5月11日 (日)

母の日はペンテコステ

今日は月2回集まっている、日本人のためのバイブルフェローシップがありました。
今日はそのときに、ちょっといつものテキストから離れてお話した内容を紹介します。

明日は、母の日ですが、今年はペンテコステでもあります。これは、イエスキリストが十字架の死から復活したのち、40日間、多くの人の前に現れたのち天に挙げられ、その10日後に聖霊(神の御霊)が、祈っている弟子達に下ったことを記念する日です。この出来事は聖霊降臨ともよばれます。この出来事を通して多くの人がキリストを信じ、弟子に加えられたこともあって教会の誕生日とも言えるような日です。

なので、ペンテコステはクリスチャンにとってはイースター、クリスマスについで大切な記念日なのです。

ペンテコステとは”50日”を意味する言葉で、「五旬節」などとも呼ばれます。
その五旬節というのはもともとユダヤ人のお祭りで、過ぎ越しの祭り(このときの食事が最後の晩餐)から50日後に初穂の祭り、刈り入れの祭りという形で収穫をお祝いするものでした。
新約聖書には、そのときに起きた出来事が次のように書かれています。

"五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響きわたった。 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させて下さるとおりに、他国のことばで話しだした。" (使徒の働き2:1-4)

この日は大きな祭りだったので、外国からも多くの人がエルサレムにやってきており、この出来事を知ったものの何人かは自分達の言葉を無学なはずのキリストの弟子達が話しているのを聞いたのです。

これを見て、人々は次のことを悟ったのです。

1:異国の言葉で神のことを語らせているのは神であること
2:それがイエスキリストの弟子達だけに起きていること
3:そのイエスを自分達が十字架につけて殺してしまったこと

でした。一同の上に大きな恐れが生じたのはあたりまえです。
自分達が神の子を十字架につけてしまったのだとわかったのですから、その恐ろしさは想像に耐えません。そこで彼らはこう言うしかなかったのです。

「私たちはどうしたらよいでしょうか。」(使徒の働き 2:37)

ほんとうにどうすれば良いのでしょう?これほど怖いことはあるでしょうか?
私がその場にいて、キリストの十字架を支持する立場だったとしたら・・・?
そこで弟子の中からペテロという人がとても大切なメッセージを伝えたのです。
これは私達にとっても、とても大切です。

『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子供たち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち私たちの神である主がお召しになっている人々に与えられているからです。』(使徒の働き2:38-39)

ここで「悔い改める」という言葉が出てきていますが、原語のギリシャ語では「メタノイア」というそうです。これは罪や自分の過去を嘆き悲しみ、「もうあんなことはしません!!」と涙ながらに誓いをたてるみたいな意味ではなく、「考えを変える」という意味になるそうです。
どんなふうにかということを上の1〜3に対応させてみると、

1:神は確かに存在されること(異国のことばで語る弟子達をみて、あるいは自然のすごさを見て)
2:イエスキリストこそが神の子であり、主であること(キリストの弟子達にのみ聖霊が下ったのを見て)
3:イエスキリストの十字架は預言通り、自分の罪の身代わりであったこと

ということです。バプテスマとはこのような信仰を表明する儀式であり、キリストを信じる信仰を表明すれば聖霊が与えられること、それが遠い所にいる人々にも行き渡ることことをペテロは述べたのでした。

ペテロがいう「遠くの人々」とは誰でしょうか?

それは距離を経て遠く、時代を経てとおくいる現代に住む私達日本人、そして、心が遠く離れている私たちに向けられたことばではないでしょうか?

遠い国の話だし、2000年も前のメッセージだし、神様のことなんか深く考えたこともないとこれを読んでいるあなたは思うかもしれません。しかし、ここで「遠くにいる人々」に与えられるということは、キリストの十字架のメッセージは今の世を生きていく日本人のあなたにも向けられているメッセージなのです。

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