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2008年6月 8日 (日)

サイエンスが花開くとき

昨日はみんな夜中の1時まで踊り倒していたようで、今日の午前のセッションはさすがに世界のブレインたちのオツムも少々ローギア気味でした。

(写真:朝5時半、ちかくの池まで白鳥を観に行きました。)
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今日は臨床研究の話しが中心になって薦められ、今まで基礎研究の話に花を咲かせていた仲間が臨床研究についても、熱く語りはじめた場所にいて、あーやはり世界の他の地域でもおなじようなジレンマを抱えていたり、同じようなモチベーションを臨床から得て、あえて基礎研究に潜り込んでいる一面が伺い知れました。そんな中で、自分のしている研究がはたして花開くのだろうかという思いもあるのだと思います。

臨床医が研究をするときの「花開く」とは必ずしも一流雑誌に論文が掲載されることではなく、自分の研究が臨床の現場で生かされるようになることなのだと思います。(あくまで一般論ですが)
私も自分のしている研究が小さな命と彼らを取り巻く人たちの益となるような形で臨床にいかされるようになってほしいという思いがアクセルとなっています。それと同時に今捉えようとしている現象が臨床に用いられる、用いられないに関わらず「真実はなにか」を冷静につきとめたいというブレーキで適正なコントロールを保とうとしていると思うのです。

今日、あるリーダー的存在の先生が次のようなことをまとめているのを自分なりに解釈したらこんな感じになりました。

みんなが自分達の基礎研究の業績を臨床にもっていきたがるが、脳保護の分野でもたしかに数々の”脳保護薬”が開発された一方で、脳低温療法以外は成功したといえるものがない。臨床研究で結果が出せずに臨床に持ち込めないことは、労力、資金の無駄になるだけではなく、患者さんにとっても多大なデメリットである。だから『次に何を臨床試験にもちこむのか』ということはある熱心な誰かの「リーダーシップ」により進められるべきではなく、フェアに客観的な判断ができるような詳細な検討委員会において決定されるべきである。

私が研究しているテーマも狭い狭い狭い領域ですが、今回のカンファレンスを通して、このテーマが決して自分のためだけのものではなく、他のテーマで研究をしている方々の研究にヒントを与えるものなのだという実感が湧いてきました。たとえば違った関心をもって見ていても同じ現象が観察されたりします。それは科学的真理というものが”本来”、いくつも存在するものではなく一つの法則によって秩序立てられているからです。それは、神が精巧にこの世を創造され、保っておられる指先のあとを見る瞬間です。
クリスチャンの研究者である私はその神様の助けとゆるしを得ながら神が精巧に作られて維持しておられる生命現象のひとつひとつの糸を手繰りよせているのです。

だから、私は神のゆるしの範囲の中でこの研究を続けています。たとえ「花開かせる」のが私であってもなくても、いつかきっと得られるであろう「開花宣言(=私の場合は効果的な脳保護療法)」を早めるために世界中にいる同僚たちと励まし合いながら労苦したいです。サイエンスが子ども達の健康と幸せのために花を咲かせるときに私もそのことに貢献したと思えるならば、それが私にとっての宝になるのだと思います。

臨床では地域の子ども達に仕え、研究では世界の研究者と協力して小児医療に貢献が出来ればと願っています。 〜11年前に当時の小児科教授に宛てた入局志望動機の手紙から〜

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