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2008年6月23日 (月)

日曜礼拝シリーズ:神のやり方?私のやり方?

聖書箇所:2サムエル6章
説教要約:ユダヤの王ダビデは、取り返した契約の箱をエルサレムに運んでいました。
お祝いをしながら運んでいる途中で、Uzzahという人が体勢を崩した契約の箱に触ってしまいます。

「契約の箱を触ったものは死ぬ」

という聖書の言葉の通り、彼は死んでしまいました。
ダビデはこのことで神に対して怒りと同時に恐れというふたつの感情をさせました。

ダビデはこれまで戦いのたびに神にお伺いを立てて、神の方法によって戦いを進めて来ました。
しかし、ダビデは神に対する礼拝を神の方法によって行うということをしていなかったのです。
「これは自分でできる」
と思い、神の契約の箱を運び礼拝を捧げるという重要なことをするのに神にお伺いを立てていなかったのです。そこで、神はUzzahへの裁きを通して、ご自身の言葉は絶対で、神の裁きは常に正しいのだということを示しました。

ダビデは、3ヶ月の間、契約の箱をObed-Edomに預けます。すると、神はObed-Edomを祝福し始めたのです。神の怒りは、ずっと続くものではなく神はあやまちを冒した私たちをもまたゆるし、祝福されるのです。

それで3ヶ月の間、ダビデは聖なる神に対する畏れと神の愛の普遍性を学び、生け贄を捧げることで、神の聖さを告白し、神の恵み深さを、それこそ裸になって踊って祝ったのです。これをみたダビデの妻Michalは、そんな彼を蔑みます。彼女は神のことを思わず、自分の立場と体裁を重視していたからです。神と私の関係は誰から他の人からどのように見られるかということを気にしながら築くものではありません。神は、神ののぞまれる形であなたに礼拝を捧げてほしいと召し出しておられるのです。

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