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2008年7月14日 (月)

アラスカクルーズ3日目-1:日曜礼拝シリーズ:神の民として

今日は、Dr, Charles Stanleyによる日曜礼拝のメッセージでした。
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聖書箇所-1:(ヨハネの福音書15章1-5節) わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 わたしの枝で実を結ばないものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことはできません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

説教の内容:
クリスチャンになったからといってすべてが解決するというものではないことは皆さんご存知です。
クリスチャン生活の中では、神に従いなさい、神に信頼しなさい、あなたの戦いを闘いなさいと、よく言われます。そのとおりですが、いったいどうすればよいのでしょう?
ガラテヤ書5:22-23節にあるような御霊の実を結ぶためには、日曜日だけみことばに対して真実であるというサンデイクリスチャンであってはいけません。

ここでキリストは”枝自体では実を結ぶことはできない”と言っていますが、実を結ばせて下さるのは自分自身でなく神であることを知っておく必要があります。枝である私達がいくら頑張っても神の目にかなった実を結ぶことはできません。クリスチャンに内住してくださるキリストの御霊がことをなしてくださるのです。

「自分が・・・しなければならない。」という思いは、欲求不満を生じさせるだけです。キリストとつながるということは、キリストのことをもっと知りたいと思い、自分のこともキリストに知ってもらいたいと願う、親しい関係です。そのために私達は聖書を読み、祈る時間をもつのです。

聖書箇所-2:ローマ人への手紙12章1-2節

そういうわけですから、私は神のあわれみゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として神にささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために心の一新によって自分を変えなさい。

クリスチャンの皆さん。神はあなたのすべてが欲しい、と言っておられるのです。
神にあなたの人生を明け渡しなさい。誰かがあなたの人生を見る時に「私もあの人の様に生きたい」と思われるような生き方をしなさい。神ご自身の行きたいところへ行き、神のしたいとされることをしたいと一心に願いなさい。自分の思いや意志を神にお委ねすること、そうすることでキリストにあって実を結ぶことになるのです。

聖なる供え物とは、神への従順です。神にすべての選択権を”お返しし”自分の力で善を行うのではなく、神の御霊によって行うことです。

クリスチャンの本来の姿は、神に明け渡した生き方をすることです。この世と調子をあわせてはいけません。あなたはテレビを3時間みることによって、クリスチャンがこの世から受けている影響を知っていますか?そうすることで、神の民であるはずのあなたは、この世のシステムがあなたを形作るのをゆるしているのです。現在、アメリカ人の約半数はホモセクシャルはOKであると言っています。
かつてはそのような状況ではなかったのです。テレビによってプログラム化されたのです。中絶も、性虐待も、今は「そんなことはよくあること」と大きく取り上げられません。

この世のシステムは本当に破壊的なのです!クリスチャンであるあなたは、この世にあなたを形作らせてはいけないのです。

この世はなんと悲劇的にも、神に敵対するシステムに冒されていることでしょう!
大多数の意見がこうであるからと言って、流されてはいけません。私達は神の民なのです。

クリスチャンであっても、もし一週間に一度しか聖書を開かないのであれば、世的なものとなってしまいます。下品な冗談を聞いても笑ってはいけない。この世のシステムとはちがう場所にたっていることを世に示しなさい。

敬虔なクリスチャンであることは、この世の中にあって、受け入れられないことです。
迫害を受けることもあるでしょう。
あなたの人生はキリストをこの世に示している人生でしょうか?
あなたは地の塩、世の光でしょうか?
敬虔に生きる人とは、聖霊にコントロールされている人です。
その人を見て、多くの実が結ばれていることを世の人々が見ることができる人です。
生きた供え物として自分を神にささげ、世の中のシステムに自分を形作らせない人です。
「私は世の中の考えに魅せられていないか?」
と、このように自己吟味しなさい。
キリストに従い、その教えに耳を傾けなさい。

クリスチャンはめぐみによって救われただけの人でなく、その内にキリストを持つことができ、世の中のどんなことに対してもキリストがその人にかわって事を成し遂げて下さるような人なのです。

だから、「キリストが私の内に住んでおられ、私は決して失望させられることはない」とい宣言しなさい。神は世の人に対して怒っているのではなく、あなたを通してご自身に導こうとされているのです。神は真実なお方であるのだということを人生に反映させなさい。

"You are not your own. You are bought with price." (1コリント6:19-20)

心の一新によって自分を変え続けなさい。神のことばを受け入れて聖霊によって語りなさい。
神の訓練を受け続け、みことばが真実であることを学び、神の思いが自分の思いになるようにまでにあなりなさい。

たしかにキリストにつながっているクリスチャンであっても様々な葛藤はあるでしょう。自分が握っていたいと思うものが必ずしも神のみこころではないこともあるでしょう。しかし、自分の思いだけで選び取る物はすぐにその手の中で灰と化してしまいます。神はそのようなものを握って欲しくないと思っておられるのです。神はさらに良いもの永遠に朽ちない宝でその両手を満たして下さいます。

あなたの両手を神に取ってもらいなさい。

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