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2008年9月 7日 (日)

"MD"と"PhD"

私は、「一応」神経科学者も自称しています。

今日は、ベイエリア近辺にあるUCSF UC Berkeleyそして、スタンフォードの3大学に所属している日本人神経科学者の有志の会がありました。

今回は参加者9名と少しこじんまりした会でしたが、3名の方々の発表とディスカッションがあり、そのあとで日本食レストランで飲み会をしました。(私は飲めない人なので、ドライバーをかって出て、アルコールは自粛。)

皆さん、大変な苦労をされて学位を所得し、立派な業績があるのにわざわざ慣れない地までやってきて、身分は不安定で自分の明日の立場が見えないような中で、世界の明日のために最先端のサイエンスを追い続けている方ばかりです。

そして、成功している人の話は聞けても、頑張っても研究者として生き残れなかったらどうなるのかわからない、という言葉が印象的でした。一方で、医師と研究者の二足のわらじを履いていると、研究で挫折してもそれは「臨床に戻った」ということになるだけで、「研究者としての失敗」という風にはとらえられません。

医師の資格をもつ医学博士である私の肩書きは"MD, Ph.D"です。自分で言うのもなんですが、立派な肩書きです。しかし、今の自分にはMD, PhDの前に付いているMDが”なんちゃって”と読めてしまうことがあります。

同じ肩書きをもつ先輩方の多数は事実上は"MD, Ph.D"です。PhDとしては活躍していなくても、MDとして尊敬できる先輩方は多いです。
また、ほんの少数、"MD, Ph.D"となられる方がいられ、その多くは成功者といえるかもしれません。まだ臨床の匂いを残している私からは少し遠い存在である印象があります。
そして、本来の意味で"MD, Ph.D"でありつづける方はもっと少数かもしれません。

私の中で「成功する」ということは、上のうちのどれになるということではなく、神に召されたように人に仕え続けて人生を走り終えることです。しかし、どれになるにせよ、不本意でそうなるのではなく、最後まで求め続けたあり方が肩書きに反映するようになるように努力したいと思ったりしました。Img_1708

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コメント

I have no doubt that your job as PhD is your "calling."

投稿: のび | 2008年9月 9日 (火) 21時29分

のびさん

まったく同感です。与えられた場所で、与えられた職業を通して、神様に忠実に歩むということが大事ですよね。なので私はPhDであることに重点を置き、本当にPhDであり続けるように努力することが今の私にとって、あるべき姿であると思っています。

投稿: hide-tan | 2008年9月 9日 (火) 01時33分

もしかしたらはじめてコメントさせていただくかもしれません。いつも先生のクリスチャンとして、また研究者としての謙虚な姿勢に学ばせていただいています。最後の太字のコメントに全く同感です。資格なしに医療行為をすることは違法ですが、肩書きは肩書きに過ぎません。大切なことは先生が仰るとおり、命を懸けてくださった神様の招命に、全身全霊をもって応えているかであり、どこの大学をでたとか、どこに所属しているとか、またどんな資格を持っているかなどは、神様の目からすればチリに等しいものでしかないと思います。私たちはあくまでも土の器です。イエスキリストが用いられたのは、無学で無資格の弟子たちでしたよね。「白く塗られた墓」になることがないようにしたいですよね。私はよく愛唱歌のひとつである「キリストにはかえられません」を祈りと共に賛美しています。

投稿: のび | 2008年9月 8日 (月) 22時07分

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