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2008年9月23日 (火)

Men's Bible Study:幼子たちの信仰

イエスは、幼子(おさなご)たちを呼び寄せて、こう言われた。 「子ども達を私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。 まことにあなたがたに告げます。子どものように神を受け入れる者でなければ、けっしてそこに入ることはできません。」(新約聖書 ルカの福音書18章16-17節)

今日は、メンズバイブルスタディがあり、ルカの福音書18章をじっくりと学んでいきました。
とくに今回、私の心に留まったのはこの箇所でした。いろんな意見や学びがなされたのですが、私はこの箇所の感想をこのように述べました。

ここで言う幼子というのは、本当に小さい子ども達ではないでしょうか。子どもは小さい時は、自分が何者であるかのように思うことはなく、まあ言ってみれば、自分達が”何者でもない存在”と思っているのかもしれません。このような子ども達にとって、大切なことは「自分の親がどれほどすごいか」ということです。このような子ども達は、「僕のお父ちゃん、こんなことができるんやで。こんなにスゴいんやで。」ということを自慢して、親を誇りに思い、自分のことをとやかく自慢はしないでしょう?
私達も天国に行ったら、そんなものになるんじゃないですか?「私は、ギターが上手に弾ける。」とか「僕はポルシェに乗っている」とか自慢するような人は天国にはいないでしょう。そうではなく、「見てよ。僕らの父ちゃん、なんて偉大なんだろう。」という人たちばかりじゃないですか?イエスはこんなことを言われたようにも思うのですが・・・。

ここまで話すと、笑いながら聞いていたjackが、"That's beautiful!"と感想を言ってくれました。

自分が何者かのように誇り、自分の善行を神の前に誇って、「私は、これだけのことをやったんだから天国に入れるはず。少なくともあなたが天国に入れた○◯よりはずっと良い行いをしてきましたよ。」
という申し開きを、神は受け入れられません。神に受け入れられる申し開きは、たったひとつ。このことだけです。

「私は罪深い人間です。あなたから目をそらし、あなたから離れて人生を歩んだ私の罪は重く、どんな善行もあなたの前にはなんの意味もなしません。いいえ。それを口にすることさえ汚らわしいことです。しかし、イエス・キリストの十字架のゆえに感謝します。神の御子であるキリストが、罪のない生涯を送ったにも関わらず、私の罪の為に十字架に身代わりとして架かって下さいました。私はそれを信じ、感謝します。」

自分を何者でもないものとし、素直に神様が用意して下さった救いを受け取る。
このことこそが、聖書の中心メッセージなのです。

今日は、聖書の中の微笑ましいストーリーとして、いつもさらりと流している箇所から、新たな視点をいただいたバイブルスタディでした。

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