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2008年12月21日 (日)

クリスマスおめでとう!に込められた意味

今日は教会で、日本人のためのバイブルスタディ101のクリスマス会をしました。大人8名、子ども7名の参加があり、とても楽しい会となりました。

xmasプログラムxmas bell キリスト誕生の絵本の朗読 (nori-tan) bell クリスマスバージョン手遊び (nori-tan) bell クリスマス聖歌の斉唱 bell クリスマスメッセージ *(hide-tan)     *子ども達は遊具でフリータイム。内容は以下のとおり。 bell お茶とケーキ&おかし

xmasクリスマスメッセージ:「心から待ち望んでいたこと」xmas
クリスマスおめでとうございます!
誰かが「おめでとう」というときは、待ち望んでいたことが現実となったときに言うことが多いのではないでしょうか?出産だったり、入学だったり、結婚だったり。”おめでとう”と言われた人は普通、”ありがとう”と答えますが、”あけましておめでとう”というときは、”ありがとう”とは返さずに、同じように”おめでとう”と返しますね。
それは、新年を迎えたことが、あいさつされた側だけでなく、あいさつをした側にとってもお祝いすべき待ちのぞんでいたことだからです。
”クリスマスおめでとう”も言われた側は”ありがとう”ではなく、”クリスマスおめでとう”と返します。クリスマスはみんなにとって、めでたいことだからです。みんなにとって待ち望んでいたことがらが現実になったからです。なので、クリスマスおめでとう(メリークリスマス)!というときは、待ち望んでいたキリストの降誕が現実になりましたね!という喜びの表現をしているのです。

<(脱線ですが)ちなみに、最近のアメリカでは、そのようなニュアンスを避けてHappy Holidays!と言う人が増えています。その方が他の宗教を信じる方に配慮したクールな言い方であると言うのがその主張です。しかし、実際はHanukkahKwanzaaがいつなのか、どのようなものなのかを知りません。そして、多くのユダヤ教信者やアフリカ系アメリカ人はこの時期のお祭り騒ぎは、クリスマスによるものであると理解しているので、メリークリスマスという言葉に拒絶感を抱いていないのです。そうかんがえると、実は、”Happy Holidays!”は、クリスマスにはキリストはいらない、お休みをいただければよい、プレゼントをもらえればよい、または、(商売をする方からすれば)プレゼントを買ってもらえればよいという考えをもつ人が自分達のために考えだした挨拶なのです。(脱線おわり>

さて、聖書は「初めに神が天と地を創造した。」ということばで始まっています(創世記1章1節)
地球が絶妙なバランスと法則のもとに成り立っていて、人間が存在できている確率の低さというのは天文学的な数字ですが、神が人間を存在させるために天と地を造られたというのが聖書的な考え方です。では、なぜ神が人(わたしたち)をつくられたのでしょうか?

それは、彼(または彼女)を永遠にそばに置き、愛するためなのです。たった数十年だけの楽しみの為につくられたのではありません。私達も、永遠の愛を誓って結婚するとき以上に、神はもっともっと真実であられ、そして本当に永遠の愛を貫きたいと思っておられるのです。神は愛です。愛であるご自身を示す為に人間という存在をご自身の愛の現れの対象として造られたのです。

しかし、神は愛であると同時に、罪を大目にみることができない正義の神です。
「神がいるならなぜ、このような悪がはびこるのか?」という意見をよく聞きますが、神はもっとも小さな罪のひとつも見逃すことがなく、裁かれます。神は完全にきよい方なので、造り主なる神を崇めないという罪はもちろん、少しでもウソをついたことがあるとか、誰かをねたんだり、殺してやろうかと怒ったりすることも見逃す対象にならないのです。罪をもったままであれば、私達は”罪からくる報酬は死です(ローマ6:23)"とあるように肉体の死の後の霊的な死をもって報いをうけないといけないのです。

なので、そのような質問をするときに私達は、『自分は神の前に正しい』と思っているか『神は私の罪は見逃すが、他の人の罪は裁かれる』ということを考えているか、『神の裁きの基準ラインはこの程度』と勝手に設定しているかのどちらかです。
今、罪をもっている私やあなたが存在できているのと同じ理由で、世の中に悪がはびこっているのです。しかし、それは、人の人生の終わりか、この世の終わりにキリストが世界を裁かれるまでのことです。

でも、はじめに言ったように愛である神は、私達と永遠を一緒に過したいと切に願われています。そのために私達の罪に対する身代わりを用意する必要がありました。それで、昔のユダヤの人々は汚れのない小羊を犠牲にして神に捧げることにより、救いを与えてもらっていたのです。

しかし、神は遠くにいる私達にまで救いが届くようにと普遍的な解決策をあらかじめ考えておられました。それは、神ご自身が、人となり、私達の罪の身代わりとなるということでした。

実は、イエス・キリストが来られることは旧約聖書で350回も預言されていましたし、キリストは、私達の罪をとりのぞくために来られた神の小羊であることも、イザヤ書で述べられ、洗礼者ヨハネによって宣言されています。しかし、人々は理解できず、そのキリストに対して備えができていなかったのです。

キリストをお迎えする場所はなかったし、備えもできていなかったこの世
<キリストが来られた時代の人々の願いとわたしたちの願い>
当時のイスラエル王国は、ヘロデ王という民のことを省みない王とローマ帝国の圧政によって二重の苦しみを受けていました。彼らは、メシアがイスラエルの民をこのような政治的な苦しみから救い出してくれる神からの指導者であると考えていたのでした。
あなたの人生にも、成し遂げたい願いや逃れたい苦しみがありますでしょうか?業績をあげて成功したい、子どもを立派な大人に育て上げたい、経済的にラクになりたいなどいろいろな願いがあるのではないでしょうか?しかし、神は私達の本当の心の願いである、わたしたちを作って生かしてくださっている方との平和をもたらすために来られたのでした。

<キリストがお生まれになったベツレヘムの状態とわたしたちの状態>

キリストがお生まれになったころのベツレヘムは、貪欲な皇帝の政策のために住民登録をすべく、人々は忙しくごった返していました。私達も毎日忙さに追われて生活をしています。とくにこのクリスマスシーズンは忙しいです。買い物に走り、カードを送り、旅行の準備をし、そして、キリストのキの字も語られないような「クリスマスイベント」に出掛ける為に忙しいのです。キリストの誕生を記念するはずのクリスマスにキリストが入り込む余地がないほどです。
しかし、キリストはすでにあなたの住む、忙しい環境であるベツレヘムに来て下さっているのです。

<キリストがお生まれになった馬小屋の中とわたしたちの心の中>
馬小屋は、お世辞にもきれいなところとはいえず、人が誕生するというところとしては最もふさわしくないところではないでしょうか?私達も自分の心を見る時に、同じような思いはしないでしょうか?
人をゆるせない心、ねたむ心、憎む心、貪欲な心・・・神がきよい方であるということを本能的に知っているがゆえに、キリストがあなたの心にお生まれになるのを拒絶したり、拒絶している自分に対して言い訳をつけていることはないでしょうか?
しかし、天のみ使いが羊飼いたちに言ったように、恐れることはないのです。

キリストは、どのように他の諸々のことがらで心が満たされていていたとしても、心のあり方や生活の仕方が神から遠く離れていると思ったとしても、招き入れさえすれば、あなたの心にもキリストがお生まれになってくださいます。実に、神の御子は、あなたの心がどのような状態であれ、そこに生まれたいと思っているのです。
だからぜひ、キリストを心に招き入れてください。そうすれば、あなたは”このことを本当に願っていたのだ”ということを自分の心の本当の思いを知り、心から「クリスマスおめでとう(メリークリスマス)!」bellと言えるようになることでしょう。

御使いは彼ら(羊飼いたち)に言った。「恐れることはありません。 今、私は、この民全体のための素晴らしい喜びを知らせにきたのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。」(ルカの福音書2:10-11)
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6:23)

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