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2008年12月 1日 (月)

日曜礼拝シリーズ:目が開かれて、心燃やされて

今日は、ディズニーランドの帰り道にあるGrace Community Churchで礼拝に出席しました。ここはJohn MacArtherという有名な牧師によって牧会されているメンバーが8千人という大きな教会です。
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<聖書箇所>

24:13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
24:14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
24:15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
24:16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
24:19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
24:27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
24:28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
24:29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。
24:30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
24:31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカの福音書24章13-32節)

(説教要旨)
キリストの復活は、歴史上最大の出来事である。それによってキリストを信じる者に対する救いが実証されたからである。キリスト復活の記事は他にも記されているが、この福音書の記者であるルカは、ふたりの無名の弟子達に焦点を当てた。
この記事の主題は、二つ。
①キリストは生きておられる。
②神のことばは生きている。

24:25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。 24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」

聖書がわからないのは、聖書が悪いのではない。
聖書を理解することは私達に課せられた責任である。この弟子達は旧約聖書を読んではいたが、自分達の出来る範囲まで、理解を制限し、満足していたのである。
部分的な聖書理解をし、そこに留まると簡単にカルト宗教へと陥ってしまう。この時代の彼らはキリストが軍隊を率いてイスラエルという国をローマの支配から救い出すと、救いを理解し満足していたのである。
キリストの最も親しい弟子であったペテロたちでさえもそうであった。彼らは、キリストとともに支配することを望んではいたが、キリストと苦しみをともにすることは求めていなかったのである。なので、国のリーダー達が自分達を苦しめているローマ軍を用いてキリストを殺したことで非常に当惑したのである。

そのような弟子達にキリストは、「あなたは知らないのですか?」と尋ねることで、聖書を理解しておく必要を示された。彼らはキリストの遺体が消えていることと弟子達が復活を信じられない状態に困惑していたということを明らかにされたのである。また、彼らがメシアに対して限られた理解しかしていなかったことを示されたのであった。

”(キリストは)苦しめられ、そのあと栄光の座につく”ということが何度も旧約聖書に述べられているのに、彼らははじめの”苦しめられている”という記述に目を閉ざし、耳を塞いでいたのである。
イエスはそのような彼らに「愚か者」と仰せられたのである。彼らはイスラエル王国の栄光にばかり目を奪われ、旧約聖書の「苦しみ」の記述に目を閉ざし、心を閉ざしていたのである。
キリストは、そのような彼らに旧約聖書にキリストご自身が彼らの為の最終的な罪の身代わりにならねばならなかったことを理解させるために旧約聖書の記事を丁寧にご説明されたのである。

そして、彼らがいよいよ目が開かれてイエスがその場から立ち去ったが、彼らが互いに言ったことは、
「心が燃えていたではないか」ということであった。彼らは復活のイエスを見たことに興奮したのではなく、聖書の記述が真実であった、神のことばは生きていて力があるということに心を燃やされたのである。

それは今日を生きるクリスチャンである私達も互いに言い合うことのできる台詞ではないだろうか?
ミニストリーとは。聖書を分かち合い、キリストが生きており、みことばが生きていることを知り、喜びの炎で心が満たされるものである。そして、その炎は私達自身の中に止めておくことはできないはずなのである。
さあ、私達も、みことばの真実を、心の炎を伝えていこうではないか。

(hide-tanの感想)
John MacArthur師のメッセージは力強く、教会の賛美もすばらしく感動でした。80名のクワイアーが14名のブラスバンドとともに神への賛美を捧げるようすから、本当に神は賛美を受けるにふさわしいお方であること、牧師のメッセージからは聖書の言葉の真実性をを教えられました。

ところで、John MacArthur師のコメントつきの聖書を2種類、自分用のお土産として買って帰りました。(ちょうどセール中で、半額以下の20ドルでした。)アメリカで最も出回っている聖書はNIVですが、格調高いKJVを読みやすくしたのが、NKJV、これは訳に定評があるNASB(New American Standard BIble)です。
私が、いつもよくPodcastを聞いているAlbert Mohler氏も”非常に役に立つMacArthurのStudy Bibleだが、嬉しいことにNASBバージョンが出てくれた!”と絶賛しています。
英語のStudy Bibleをお探しの方にはおすすめです。

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