« イースター2009(その1:It's So EGGciting!) | トップページ | イースター2009(その3:最後の晩餐に隠された意味) »

2009年4月 5日 (日)

イースター2009(その2:生き返ったラザロさん)

今日、4月4日は、日本人のためのバイブルスタディ101(次回は4月18日です!)がありました。

20249
子どもたちのお話&アクティビティ
大人向けの聖書の話(子どもと同じ聖書箇所から)
ポトラックランチ&エッグハント

をして、楽しみました。今回は、ヨハネの福音書11章からラザロの復活について、子どもたちにしたお話を紹介します。

cloverclovercloverclovercloverclover

生きかえったラザロ

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」 (ヨハネの福音書11章25-26節)

みなさんは今まで悲しかった出来事がありますか?
仲良しのお友達が引っ越していったり、お気に入りのおもちゃが壊れちゃったり、ペットが死んじゃったり、いろいろあると思います。

でも、一番、悲しいことは、とっても大事に思っている誰かが死んじゃうことではないでしょうか?

みんなはそんなことがありましたか?

そのときにどんな気持ちでしたか?(どんな気持ちになると思う?)
その人に戻って来てほしいと思いませんでしたか?(戻って来てほしいと思うよね)
お友達に一緒に悲しんでもらいたいと思うかもしれないね。

でも、神様は私たちが悲しいときでもいつでも一緒にいて下さいます。
今日は、そのことをお話しますね。

昔、ベタニヤという小さな村に、マルタさんとマリヤさんという二人の姉妹とラザロさんという兄弟がすんでいました。3人ともとても仲良しで幸せでした。
また神様のひとり子であるイエス様とも仲良しでした。

あるとき、ラザロさんがとても重い病気にかかりました。
お姉さんのマルタは、“ラザロが病気です。急いで来てなおして下さい”というメッセージを遠くの街にいるイエス様に届けました。
マルタはイエス様が神様から来たお方であることを知っていて、イエス様なら何でもできる、と思っていたからです。

さて、次の日にイエス様がその知らせを聞きましたが、
「この病気ではラザロは死んで終わりになるのではありません。私が父なる神様の素晴らしさをあらわすためのものです。」
と言って、あと2日たってからこういいました。
「ラザロは実は、もう死んでいるのです。でも私はラザロを起こしにいきます。」
とベタニヤに向かいました。

次の日、ベタニヤに着くと、村のみんなは、ラザロさんが死んでしまったことで悲しんでいました。お姉さんのマルタはイエス様のところに来て、こう言いました。

「先生。もしここにいてくれたら、ラザロは死ななかったでしょう。」

マルタは悲しくて、残念でならなかったのです。
一番仲良しのはずなのに、なぜ一番いてほしいときにイエス様はおられなかったのでしょう?
神様はどうして、ラザロが死ななくてもすむようにしてくれなかったのでしょう?
マルタはきっとそのように思ったに違いありません。
でもイエス様はマルタにとってはとても大切な友達であり、先生なのです。
悲しみとやるせなさでいっぱいでしたが、精一杯の言葉をイエス様に言いました。

「今でも、私は、あなたが神様から来られた方であり、なんでもできると信じています」

イエス様はそんなマルタの気持ちを知っていました。そしてこう言ったのです。

「ラザロはよみがえります。」

でも、みんなそう言うのです。いつかこの世界が終わるときに、神様の言うことをよく聞いて人はきっとよみがえるって。イエス様も同じことを言って私を慰めようとしてくれているのだとマルタは思いました。いくら神様から来られた方でも、死んだ人を生き返らせるなど夢にも思っていなかったからです。

みんなもそう思いませんか?死んだ人が生き返ることなんてないと思うよね。
いくら神様でも、これは無理!と思うことはありませんか?
でも、聖書には神様は何でもおできになると書かれています。

そうです。イエス様は、本当にラザロがよみがえるのだと言われたのです。

ここで、みんなでイエス様が言われたこのみことばを大きな声で読んでみましょう。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(ヨハネの福音書11章25〜26節)」

マルタは、この言葉を信じました。そして、イエス様は神の子であり、私たちを罪から救って下さるキリストですと言ったのです。

そして、妹のマリヤも来て、ラザロのために泣きました。
それを見て、イエス様も悲しくなり、泣いたのです。

なぜ、こんなに悲しいことがあるのだろう!
イエス様は人間がいつかは死ななければならない本当の理由を知っていたのです。それは、人間が神様のことを忘れて自分勝手なことをしたからです。

でも、イエス様は、このような悲しいことがなくなるように来られたのです。
イエス様は、自分勝手なことをした人間が死ななくてもよいように、死んでも生き返って天国に入れるように、その罰を引き受けて、十字架という木にかけらて死んで下さったのです。

けれども、マルタも、マリヤも、その他の誰もそのことをわかっていませんでした。イエス様はこれから自分がみんなの身代わりになるのに、誰もイエス様が本当は誰なのかをちゃんとわかっていないので、余計に悲しみました。

そして、イエス様はご自分が神様であることをみんなに分からせるために、イエス様を信じていれば、死んだらそれで終わりになるのではないということを教えるために墓に向かって叫びました。

『ラザロよ。出て来なさい。』

すると、どうなったと思いますか?eye
なんと、死んでから四日もたっているラザロが生き返って、墓から出て来たのです。昔は白い布を死んだ人に巻いていたので、それをみんなでほどいてあげて、ラザロさんはマルタとマリヤの家に帰って行ったのでした。

この出来事で、みんながイエス様が、神様の子で、自分たちを救って下さる救い主だとわかったのです。そして、このあと、イエス様こそがみんなの王様だと言って、エルサレムという大きい街に迎えます。そのときに、みんながしゅろの葉をふったり、自分の着物を地面に敷いたりして、
”ホサナ!”と言ってイエス様を賛美したのです。それをお祝いする日が明日の”しゅろの日曜日”です。
ホサナとは”神様、救って下さい”という意味です。
そして、ホサナ!といって歓迎されたイエス様は、○○ちゃんや○○くんや△△さんやみんなが神様の言うことを聞かずに自分勝手にしていたことの罰を代わりに受けて下さり、十字架にかかって死んで下さいました。でも、イエス様は神様だし、なにも悪いことはしていなかったので、父なる神様によってよみがえされたのです。それをお祝いするのがイースターです。

だから、イエス様を信じますと言えば、私たちはみんな天国に行けるようになったのです。そして、イエス様とお友達のようにずっと一緒に幸せに過ごすことができると聖書bookは教えています。

そして、もうひとつ、イエス様と友達であっても、これからつらいことや悲しいことがあるかもしれません。

だから、今日のお話から、あとふたつのことを覚えて帰ってください。
ひとつは、神様はいつも一緒にいて下さって、みんなの気持ちを知ってくださり、そして一緒に泣いたりweep笑ったりhappy01してくださるということ。
もうひとつは、神様はなんでもおできになるということです。

なにか困ったことがあったとき、悲しいことがあったとき、神様に祈ってみてください。そうすれば、なんでもお出来になる神様がきっと 聞いて下さいます。confident

20279

|

« イースター2009(その1:It's So EGGciting!) | トップページ | イースター2009(その3:最後の晩餐に隠された意味) »

聖書・教会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イースター2009(その1:It's So EGGciting!) | トップページ | イースター2009(その3:最後の晩餐に隠された意味) »