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2009年4月10日 (金)

イースター2009(その3:最後の晩餐に隠された意味)

表題を見て、ダ・ヴィンチ・コードを思い出した方もおられるかもしれませんが、今日は教会でキリストの最後の晩餐を再現するような催しがありました。
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Jews for Jesusというユダヤ人クリスチャンの方が、実際の食事を持って来てデモンストレーションしてくださいました。去年は見ているだけだったのですが、今年は実際に食べたりしながらのものでさらに身近に感じ取れました。

詳しくはこちらを読んでいただけるとよいのですが、この最後の晩餐は”過ぎ越しの祭り(Pass over)というユダヤ人の祭りの一貫のものでした。そこで、なされる儀式、食べ物にそれぞれの意味が込められています。(日本の”おせち料理”に似ていますね。)
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男性が二人で用意をすることが恒例で、女性がろうそくに火を灯します。これはキリストが女(マリヤ)を通してこの世の光としてとして来られたことを示すものです(これは創世記に預言されています)。そして、種なしのパン(発酵していないパン)をふたつに割ります。それは、穴がブツブツあいていて、焼きこげていて、キリストがむち打たれ、刺し通されたようすを表していますが、ユダヤ人はエジプトでの苦悩を思い出して食べるようです。
そして割られたパンは白い布にくるまれて隠されます。これはキリストが布にくるまれて葬られることの暗示です。20371

と、その他にもいろいろあるのですが、そのユダヤ人の方が仰っていたのは、
”この儀式の中にも、旧約聖書の中にもこんなにはっきりとキリストがどこかしこに表されているのに、キリストが約束されたメシアであるということが多くのユダヤ人の目から隠されている”
というものでした。そこには救い主の到来を信じることができずに今も彷徨っている同胞への深い愛情が感じ取れました。

ちなみにこのときにブドウジュースが葡萄酒のかわりに振る舞われたのですが、最後の4回目の飲み干す箇所がキリストが捧げられた血を飲み干すことを表しています。4回目の杯の部分だけが聖餐式となって今日の教会の礼拝でも行われているのです。

私は教会で聖餐式(パンと葡萄ジュースでキリストの身代わりを覚える儀式)が行われるたびに、神の御子である方が血を流されたのは他の誰かではない自分のためだと思って厳粛な気持ちと感謝でいっぱいになります。なんでもウェルカムなキリスト教会がこと聖餐式に限っては心からキリストを救い主と受け入れていることや洗礼を受けることで、その意思を表明している人に限っています。(教会によっては洗礼を受けずとも参加することが認められている場合がありますが、そのようなときには、聖餐式に加わることが最初の公な信仰告白になることもあります。)それは、キリストが流された血潮を感謝せず、信じもせずに受けることがキリストの割かれた肉体と血潮を汚す行為であるからと教会では説明されます。
でも、本当のところは、イエス・キリストがそこまでして下さったことが人に受け入れられず軽く扱われてしまうことにとても耐えられないからだと思うのです。

クリスチャンでない方が教会に行くと、聖餐式に加われずに寂しい思いをすることがあるかもしれませんが、ご理解いただいて、キリストを信じる人たちがどのような思いでその儀式を行っているのかを見守っていただけたらと思います。20377


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