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2009年4月

2009年4月26日 (日)

モントレー小旅行 (2)

モントレーは2回目なのですが、前回水族館がメインだったので、今回は海岸線をドライブすることにしました。

Pacific Grove Museum of Natural History

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17 Miles Drive
ここは、有料のドライブコースですが、ゴルフ場と美しい海岸を見ながらのドライブが楽しめました。

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Lone Cypressで人慣れしているリスたち。この動画(hide-tan撮影)はマツボックリを拾って食べている様子ですが、他の動画を見ると旅行者にも餌付けされていそうです。

Big Sur
ここは、美しく雄大な海岸が続きます。ため息と感動の連続でした!

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帰りは、Carmel-by-the-Seaで夕食を楽しんで帰りました。
楽しい1泊旅行でした。


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2009年4月25日 (土)

モントレー小旅行 (1)

結婚10周年とフェローシップ受賞のお祝いをかねて、ちょっと贅沢をしにモントレーまで行ってきました。
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いつものごとく、Hotwire.comで、通常の半額以下の値段で、オーシャンビューのホテルを予約しました。4つ星ホテルだったので、駐車場もValet parking、ホテル従業員に荷物を運んでもらいチップを渡すということは今回留学で渡米してはじめての経験でした。

そのまえのFish Hopperでシーフードディナー。美味でした。delicious

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2009年4月22日 (水)

神の御手のなかで

それは数日前のこと。

結婚記念日の夜、同じ教会に集うご家族を招いて楽しく夕食をご一緒しているあいだに、その知らせはそっとやってきたのです。

それは、私が申請していたポスドクのフェローシップ(研究助成金)の受賞を伝える素晴らしいニュースでした。

去年獲得したフェローシップも栄誉あるものだったので、このような経済状況の中でそれを維持していくことだけでも大変と思っていたのですが、私もボスも”ダメもと”と思いながらの申請でした。
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大きな金額を少人数に助成するという性質上、競争率の高さが見込まれたので、身の程知らずも甚だしいと思っていたようなフェローシップが当たったのです!

いくつかの要素が重なっての受賞だと思いますが、この受賞のタイミングはただ単に結婚記念日ということだけに留まりません。

というのは、さらに3日前にはボスがNIHから出ている大きなグラントのR01というものを獲得したので、ラボの経済状態が改善したこともあり、このフェローシップにベネフィットを上乗せしてくれることになり、予想以上の大幅な給料アップとなりました。

フェローシップによる身分のさらなる安定も給料アップによる家計の改善も嬉しいのですが、ボスが我が家の経済状況を理解して思い切った給料アップを認めてくれたことがとても嬉しく、なによりも、このような経緯から、自分の力ではなしえない神の見えざる手による導きを経験したことが何よりも代え難い宝物となりました。

私がここ数ヶ月、祈りの中で神様と格闘し、神様に促されて、自分の気持ちに反する態度をとったり、自分を取り巻くべき状況からとるべき行動に逆らうような行動をとってきました。

そのことへの明確な答えが今回のことで示されたことで、神が自分から遠く離れているお方ではないのだという神聖な気持ち、畏怖を感じています。

状況だけ説明すれば「ただラッキーと偶然が重なっただけ」と思われるかもしれません。

でも、私は知っています。本当に神の手が自分を取り囲んで私を取り扱ってくださっていることを。

もちろん神の見えざる手による導きは、人間の目から見て、必ずしも良いと思えるような方向に進むとは限らないでしょう。でも、神は神の目からみて非常に良いことしかなさいません。

神は人生で起きてくる様々な問題を解決するだけに留まらず、信じるものにご自身を現し、神がもともとその人にこのようであってほしいと思っているような本来あるべき姿へと形作りながら守り導いてくださるお方です。そのような神のご性質は聖書全体に、とくにイエス・キリストの生涯の中に現されています。P4141474


(聖書より)bookどうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。(エペソ1:17-19)

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2009年4月21日 (火)

力関係の逆転?

その”力”とは英会話力のことです。

子どもたちの英会話力がメキメキ伸びて来て、なんだか二人の娘にときどきアメリカ人が乗り移ったようになる現象が起きてきました。

渡米後半年
学校で先生や友達が言っていることをなんとなく理解しているようになってきた。
話す方はちょっとした受け答えや単語が少し。

渡米後1年
文章が話せるようになってきた。
私が英語で問いかける。なんとか文章で返事が返ってくる。
”すごい!喋れるようになったやん!”が私の感想。

渡米後1年半
家庭内でも普通に英語が飛び交うようになる。発音もネイティブ。
私も英語で会話に加わる。きれいな英語で返事が返ってくる。
”すごい!僕の英語が通じた!”が私の感想。

私のこのような意識の変化が、彼女たちの英会話力の上達を一番物語っているような気がするのです・・・。

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2009年4月19日 (日)

Bible study 101: エマオの途上にて

第1、3土曜日の午前は、日本人で集まってする聖書の学びがあります。
(どなたでも歓迎です。参加希望者はこちらまで)

今日はイースターの次の週にあたるので、二人のキリストの弟子が十字架刑のあとで復活されたイエスに出会う話から学びをしました。(リビングバイブルを一部改変して、解説を加えることで、子ども向けにお話を構成しました。)
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聖書箇所:ルカの福音書24章13-32節

「私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24:32)

それはイエス様が十字架にかかってから3日目の日曜日のことです。 二人のイエス様の弟子が、エルサレムから十一キロほど離れたエマオという村へ急いでいました。二人は歩きながら、イエス様のことを話していました。
「ああ、それにしても、私たちはどうすればよいのだろう。あの方にすべてののぞみをかけていたのに、神はあのお方を守って下さると信じていたのにあんなことになってしまった。」
「そうだよ。しかも、今日女の人たちがお葬式のためにお墓に行くと、イエス様の死んだお体が消えているというではありませんか。誰がなんの目的に取り去ったのかわからないけれど、彼女達は、天使から『イエス様は復活して生きている』と聞いたと言うんだ。とても信じられない話だけど、いつもおとなしい彼女達なのに今回ばかりは、『本当だ』の一点張り。まあよくわからないけど、葬式もさせてもらえないほどの扱いを受けるなんて、イスラエルの国もひどい国になったものだ」

二人はこのように悲しみと不安と恐れでいっぱいでした。慕っていたイエス様はひどい殺され方をし、これからどうしたらよいのかわからず、そしてイエス様を殺した人たちが自分達をも殺しにくるかもしれないのです。

そこへ突然、そのイエス様が近づき、彼らと連れ立って歩き始めました。しかし二人には、イエス様だとはわかりません。 それは神がそうなさったのです。

もしかしたら、この弟子達は自分達をとりまく問題、悲しいこと、不安なこと、怖いと思っていることで頭がいっぱいで、復活されたイエス様と出会う準備ができていないと思われたからかもしれません。でも、神様はそのような私たちによりそって歩んで下さるお方なのです。
神様が自分のことを気にかけておられないと思ったことがありますか?
神様は私のこんな気持ちをわかっていないと思ったことはありませんか?
神様は、実はね。みんなのことをひとりひとりがどんなことを考えてどのような気持ちでいるのかをご存知なのですよ。神様は見ることができないですが、気がついていてもいなくても、いつも一緒にいてくださいます。そして、いつかこの目で神様を見ることができるようになると聖書は言っています。

『神様はいっしょにいてくださる』これが今日の大切なお話の一番目です。

さて、お話に戻りましょう。

そこでイエス様がお尋ねになりました。 「何やら熱心にお話しのようですね。 いったい何が、そんなに問題なのですか。」すると二人は、急に顔をくもらせ、思わず足を止めました。
クレオパというほうの弟子が、あきれたように、「エルサレムにいながら、先週起こった、あんな恐ろしい出来事を知らないなんて……、そんな人は、あなたぐらいのものでしょう」と言いました。
「そうですか。 で、どんなことでしょうか?」
「ナザレ出身のイエス様のことをご存じないのですか。 この方は、信じられないような奇蹟を幾つもなさった預言者で、すばらしい先生でもあられたんですよ。 そんなわけで、神様からも人からも、重んじられていたんですが、 イスラエルの偉い先生たちが、無理矢理この方をつかまえて、ローマの国に引き渡し、なんと、十字架につけてしまったんですよ。私たちは、この方こそ栄光に輝くメシヤで、イスラエルを救うために来られたに違いない、とまあ、こんなふうに考えていたんですがね……。ところが、話はそれで終わらないんですよ。 弟子仲間の婦人たちが、なんとも奇妙なことを言いだしたんです。 その処刑があった日から、今日で三日目になるんですがね、今朝がた早く、その婦人たちが墓へ行ったところ、イエス様のお体は影も形もないと言うじゃありませんか。 しかもその場に御使いが現われて、イエス様は生きておられると語ったとか何とか……。 その話を聞いて、仲間のある者たちが墓へ駆けつけて確認したのですがね、彼らも口をそろえて、墓は空っぽだったと言ってるんですよ。」
「ああ、どうしてそんなに、ものわかりが悪いのですか。 預言者たちが聖書に書いていることを信じられないのですか。 (預言者とは、神様のことばを伝える特別な役目をもった人たちのことです。)キリストは、栄光の時を迎える前に、必ずこのような苦しみを受けるはずだと、預言者たちは、はっきり予告したではありませんか。」
それからイエス様は、聖書のはじめの方から順番に、聖書(旧約)全体にわたって次から次へと預言者のことばを引用しては、救い主についての教えを説き明かしました。

ちょっと難しいお話かもしれませんね。でもイエス様はご自分が、このようにひどい目に遭うことをわかっていて私たち人間の世界に来て下さった救い主であり神様ご自身なのです。
もし◯◯ちゃんや、△△くんが、そこに行けばひどい目に遭うとわかっていたら行きますか?行きませんよね。でも、イエス様は、わかっていたのです。私たち人間はけっして「ウソをつかずにいつも正直にいる」「悪口を言わず、お友達の良いところばかりを探す」「私が先!と言わずにお友達に物や順番をゆずる」「お友達をいじめず仲良くする」と言うようなことをいつもいつもできないこと、このままでは死んだ後に地獄という怖いところに行かなければならないということをしっていたのです。なのであえてひどい目にあうことをわかっていながら◯◯ちゃんや△△くんが、天国にいけるように道を用意するためにこの世界に来て下さったのがイエス様なのです。
神様は◯◯ちゃんや、△△くんのことが好きでしょうか?
大好きなんです!
それは、イエス様が来て下さったこと、すべてのことをがまんして死んで復活して下さったことからはっきりしています。

『神様は私たちをこんなにいっぱい愛して下さっている』
これが今日の大切なお話の二番目です。

そうこうするうち、そろそろエマオに近づきましたが、イエス様は、まだ旅を続ける様子です。二人は、じきに暗くなるから、今晩はここで、いっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。 それで、イエスもいっしょに家に入りました。 一同が食卓に着くと、イエス様はパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって、二人に渡しました。 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。と同時に、イエスの姿はかき消すように見えなくなりました。
二人はあっけにとられながらも、「そう言えば、あの方が歩きながら語りかけてくださった時も、聖書のことばを説明してくださった時も、不思議なほど心が燃えたなあ」と言い合いました。

聖書のことを教えてもらった弟子達は、ふとお話していたお方がイエス様ご自身であるとわかりました。神様は聖書のお話を通して目を開いてくださったのです。弟子達はイエス様をその目で見ていたのに、本当のイエス様の姿を見ていなかったのです。

そして弟子達が言ったことは、復活されたイエス様がどんなだったかということより、イエス様がお話してくださった“聖書のお話を聞いていて心があったたかくなった”と言ったのです。神様が聖書の中に書かれてあることは本当なのだ。神様は本当におられて私たちのために素晴らしいことをしてくださったし、これからもしてくださるお方なのだとわかったのです。
神様は聖書のお話を通して心の目を開いてくださり、いつも一緒におられる神様が私たちのことを愛して下さっているということをわかるようになるのです。そうすれば私たちの心もポカポカになるのです。
これからも聖書のお話をいっしょに学んでいきましょうね。

『神様は聖書を通して私たちが神様のことがわかるようにしてくださる』
これが今日の大切なお話の三番目です。

復習 『神様はいっしょにいてくださる』 『神様は私たちをいっぱい愛して下さっている』 『神様は聖書を通して私たちが神様のことがわかるようにしてくださる』
Img_0126 お祈りconfident 神様、今日はエマオに向かう弟子達の話を通して『神様はいっしょにいてくださる』『神様は私たちをいっぱい愛して下さっている』『神様は聖書を通して私たちが神様のことがわかるようにしてくださる』ということを教えてくださってありがとうございます。素晴らしい神様のことをもっとわかるようにしてください。アーメン。 20620

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アメリカで迎えた結婚10周年

4月17日は私たち夫婦の結婚10周年でした。

毎月ダイヤモンドの指輪を買えるほどの額の赤字家計で進んできた(アパートの低所得者プログラムで最近になって少しは解消)私たちですが、それでもケーキと記念の置物くらいは購入してお祝いしました。
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思えば10年あっという間でした。普段はそれほど意識しないかもしれないですが、こうして10年という区切りが来ると、

この日を迎えられた感謝
夫婦でいられることへの感謝
家族みんなが支え合って暮らしていることへの感謝
それを見守ってくれていることへの感謝

など多くの感謝がわき上がって来ます。

思えば10年前に結婚を目前にして二人で確認しあったことがありました。

それは、お互いを見つめ合う歩みをするのではなく、お互い手を携えながらも同じ神様を見上げて歩んで行こうということでした。

この10年のすべてを見守り、今の二人を与えてくださったのは神様なのです。この10年間で神様はふたりをひとつにし、それぞれの個性を残しながらも10年前と違う自分たちにしてくれました。そして私たちは発見し続けて来たのです。神を見上げれば見上げるほどに二人の絆が強くされていくということを。

次の10年の間にどれかが失われていたとしても、私たちは、夫婦をひとつにし、子どもたちを与えて下さった神様とは決して離れることはありません。夫婦がどのような形であってもやはり神が引き合わせたものは二度と引き離されることはないのです。

神を信じていても、もしかしたら若くして死別することだって、離婚の可能性だってないわけではありません。でも神が引き合わせてくださり、ひとつにして下さったということは永遠に残るのですし、神を信じて歩む夫婦は、神の目から見ればいつでもひとつなのです。

ほんのり甘いchicoさん特製のケーキcakeを家族で食べながら、10年間ふたりを導いてくれた神様に感謝し、神様の大切な宝物である妻nori-tanとともに、神から託された大切な時間を丁寧に生きて行きたいと思いました。confident

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2009年4月17日 (金)

聖歌隊で話題のひと

教会のクワイアーで、今話題になっているビデオがこちら

”今、クワイアーでも話題になってるんだけど、Britains Got Talentsという番組で、歌手志望の47歳のある女性が出て来て、信じられないパフォーマンスをやってのけるねん。彼女、Susan Boyleだったっけ?そう!あれを目指して頑張ってやりましょう!”(指揮者resley)

早速、YouTubeで検索して、視聴してみると、失礼だけど、どうみても「NHKのど自慢」に出て来て鐘ひとつで帰らされるおばさんのようにしか見えないのですが、歌い始めて2秒で聴衆を虜にしてしまいます。

審査委員の態度も急変し、
”番組始まって以来だ””ここであなたの歌を聴けたことがとても光栄です”などという賛辞が贈られていました。

たった数秒で何百人何千人もの人々の考えを改めさせられ、感動の中に見た目で判断してしまった自分に恥じ入らざるを得ない、そのような歌声でした。

mailSusan Boyle, in “Britain’s You've Got Talent” Proves you can’t judge a book by it’s cover. -Sandy (クワイアーメンバー)
noteI Dreamed A Dreamnote

I dreamed a dream in time gone by,
When hope was high and life, worth living.
I dreamed that love would never die,
I dreamed that God would be forgiving.
Then I was young and unafraid,
And dreams were made and used and wasted.
There was no ransom to be paid,
No song unsung, no wine, untasted.

But the tigers come at night,
With their voices soft as thunder,
As they tear your hope apart,
And they turn your dream to shame.

And still I dream he'll come to me,
That we will live the years together,
But there are dreams that cannot be,
And there are storms we cannot weather!

I had a dream my life would be
So different from this hell I'm living,
So different now from what it seemed...
Now life has killed the dream I dreamed...

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2009年4月14日 (火)

アメリカでの確定申告2009

4月15日は、ここアメリカでの確定申告の締め切り日です。

詳しいことは個々の事情が違うといろいろ変わるのであえて書きませんが、今回は昨年獲得したフェローシップ(研究助成金)のために、給料の支払われる形式が変更になったこと、まだ非居住者扱いなので、扶養家族の控除が受けられなかったことから、去年よりも税金を多くを支払うことになってしまいました。(ρ_;)

経済的には私を逆に圧迫したフェローシップでしたが、獲得すること自体が業績になりますし、身分が安定し、自分で取って来た資金で研究活動をしているとかと研究者としての自覚が芽生え、また自分は、どこどこからお金をもらっているので、その補助団体の目指すところの研究をして還元しないといけないという責任感が持てたのでよかったと思っています。

さて、今日は締め切りの2日前でしたので、郵便局も混んでなく、すんなりと申告書を提出しました。
今回はカリフォルニア州税は、オンラインで送付したのでラクチンでした。

でも来年は、居住者としての確定申告なので、いろいろな控除とか書類を揃えないといけないので結構面倒くさそうです。来年はもう少し早めに準備したいです。

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2009年4月11日 (土)

その日、何が起きたのか(2009年の受難週に)

2009年、アメリカで迎える二度目のイースター。

巷には、Easter BunnyやEaster Eggで溢れかえり、3月からもう街はEaster一色です。
今日も、ポスドクのjaneは”Happy Easter!"と言いながら、友達とリゾート地で集まって食べてや飲んでのイースターパーティに出かけて行きました。

ここアメリカではキリスト不在のクリスマスに続き、イースターまでもキリスト不在のイベントと化しています。

しかし、クリスチャンの私にとっては、クリスマスと同様、あるいはそれ以上に意味深い行事なのです。イースターを迎えるこの数日は、神の意に反したことをしつづける私のために、神の御子キリストが、なんの罪もないにも関わらずに刑罰を引き受けて下さったことを思い起こす時でもあります。

キリストの受難は、旧約聖書のイザヤ書53章詩篇22篇に預言されていたとおりに起きたのですが、それは、ゲッセマネの園で始まります。
これから待ち受ける苦難の中で、もっともキリストが恐れていたのは、罪あるものとされ、父なる神から捨てられるという経験をしなければならないことでした。非常なストレスの中で皮膚の毛細血管の透過性が上がり、文字通り、血と汗を滲ませながらの祈りになるそうです。

もっとも一緒にいてほしいつらい祈りをしている傍らで、弟子たちは眠りこけてしまいます。
そして、口づけの挨拶をもってユダに裏切られ、キリストは売りわたされ、弟子たちは走り去ってしまいます。”あなたのためなら命を捨てる”とキリストに言っていた一番弟子のペテロも、三度も彼を知らないと拒みます。

ローマ総督ピラトに引き渡されたキリストは、骨や石がついたムチで全身の皮をえぐられ、荊の冠で頭から血を流し、棒で頭をボコボコにされ、唾をかけられ、からかわれ精神的なリンチも経験されました。この時点で、死亡してしまうこともあり、あまりのひどさに総督ピラトが止めに入ったほどでした。

重い十字架を無理矢理に背負わされ、カルバリとよばれる丘へと進みます。
もちろん、半殺しにされた状態なので、最後までは負いきれませんでした。

手と足を釘打たれ、それで全体重を支えるので、関節ははずれ、呼吸のために体を持ち上げるごとに手足とむち打たれた背中に激痛が走ります。そのような中で、キリストが口にした言葉はこうです。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)

窒息、心タンポナーデ、肺血腫、出血多量・・・。死因は様々考えられます。非常な身体的、肉体的苦痛のためにだけでも死んでしまってもおかしくないくらいだったと専門家は言います。
しかし、神である御子は、自分の意志で霊を父なる神の御手にゆだねたのです。

そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。 (ルカ23:46)

キリストは、この世を創られた神だったのでした。その神が、私たちの罪の刑罰をかわりに受けて、永遠の命を与えるためにされたこと、それが十字架でした。それは、世が始まったころからの神の愛のご計画でした。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)

クリスチャンであるというと、もしかしたら「科学が発展したこの時代に本当にそんな子どもじみたことを信じているのか?」とか「クリスチャンは他の神の存在を認めない視野の狭い存在だ」とか言う偏見にあうのではないかという”恐れ”をいだくクリスチャンの方もこれを読んでいるかもしれません。

私もそうです。人の目を恐れてしまうことがあります。でも、このように神が払ってくれた犠牲を思うときにそのような自分が恥ずかしく、申し訳なくなってしまいます。

たった一言、「私は聖書に書かれている神を信じ、神の愛と救いを知っています。永遠の命にあずかって、とても平安で幸せな生活を送っています。聖書に基づく私の持つ希望について、お話を聞いていただけませんか?」そのようなことさえ、簡単に言うことができない私ですが、私が生涯をかけて人々に伝えたいと思っているメッセージは次のようなものです。

Ⅱコリント5章 18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

イースターのこの時期、この記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたも神からのゆるしを得て、私と同じく神の家族になるために次のようなお祈りを心の中で唱えて下さると幸いです。

神様。私はこれまで、あなたを知らず、あなたの前に罪を冒してきました。
しかし、神の御子であるイエスキリストが私の罪を肩代わりするために十字架につき、復活されたことを知りました。私はこのことを信じ、感謝してこの事実を受け入れます。
あなたのことを信じて歩むことができるように助けて下さい。

聖書のことについて、個人的にご質問がある方はこちらまでご連絡ください。

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2009年4月10日 (金)

イースター2009(その3:最後の晩餐に隠された意味)

表題を見て、ダ・ヴィンチ・コードを思い出した方もおられるかもしれませんが、今日は教会でキリストの最後の晩餐を再現するような催しがありました。
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Jews for Jesusというユダヤ人クリスチャンの方が、実際の食事を持って来てデモンストレーションしてくださいました。去年は見ているだけだったのですが、今年は実際に食べたりしながらのものでさらに身近に感じ取れました。

詳しくはこちらを読んでいただけるとよいのですが、この最後の晩餐は”過ぎ越しの祭り(Pass over)というユダヤ人の祭りの一貫のものでした。そこで、なされる儀式、食べ物にそれぞれの意味が込められています。(日本の”おせち料理”に似ていますね。)
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男性が二人で用意をすることが恒例で、女性がろうそくに火を灯します。これはキリストが女(マリヤ)を通してこの世の光としてとして来られたことを示すものです(これは創世記に預言されています)。そして、種なしのパン(発酵していないパン)をふたつに割ります。それは、穴がブツブツあいていて、焼きこげていて、キリストがむち打たれ、刺し通されたようすを表していますが、ユダヤ人はエジプトでの苦悩を思い出して食べるようです。
そして割られたパンは白い布にくるまれて隠されます。これはキリストが布にくるまれて葬られることの暗示です。20371

と、その他にもいろいろあるのですが、そのユダヤ人の方が仰っていたのは、
”この儀式の中にも、旧約聖書の中にもこんなにはっきりとキリストがどこかしこに表されているのに、キリストが約束されたメシアであるということが多くのユダヤ人の目から隠されている”
というものでした。そこには救い主の到来を信じることができずに今も彷徨っている同胞への深い愛情が感じ取れました。

ちなみにこのときにブドウジュースが葡萄酒のかわりに振る舞われたのですが、最後の4回目の飲み干す箇所がキリストが捧げられた血を飲み干すことを表しています。4回目の杯の部分だけが聖餐式となって今日の教会の礼拝でも行われているのです。

私は教会で聖餐式(パンと葡萄ジュースでキリストの身代わりを覚える儀式)が行われるたびに、神の御子である方が血を流されたのは他の誰かではない自分のためだと思って厳粛な気持ちと感謝でいっぱいになります。なんでもウェルカムなキリスト教会がこと聖餐式に限っては心からキリストを救い主と受け入れていることや洗礼を受けることで、その意思を表明している人に限っています。(教会によっては洗礼を受けずとも参加することが認められている場合がありますが、そのようなときには、聖餐式に加わることが最初の公な信仰告白になることもあります。)それは、キリストが流された血潮を感謝せず、信じもせずに受けることがキリストの割かれた肉体と血潮を汚す行為であるからと教会では説明されます。
でも、本当のところは、イエス・キリストがそこまでして下さったことが人に受け入れられず軽く扱われてしまうことにとても耐えられないからだと思うのです。

クリスチャンでない方が教会に行くと、聖餐式に加われずに寂しい思いをすることがあるかもしれませんが、ご理解いただいて、キリストを信じる人たちがどのような思いでその儀式を行っているのかを見守っていただけたらと思います。20377


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2009年4月 5日 (日)

イースター2009(その2:生き返ったラザロさん)

今日、4月4日は、日本人のためのバイブルスタディ101(次回は4月18日です!)がありました。

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子どもたちのお話&アクティビティ
大人向けの聖書の話(子どもと同じ聖書箇所から)
ポトラックランチ&エッグハント

をして、楽しみました。今回は、ヨハネの福音書11章からラザロの復活について、子どもたちにしたお話を紹介します。

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生きかえったラザロ

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」 (ヨハネの福音書11章25-26節)

みなさんは今まで悲しかった出来事がありますか?
仲良しのお友達が引っ越していったり、お気に入りのおもちゃが壊れちゃったり、ペットが死んじゃったり、いろいろあると思います。

でも、一番、悲しいことは、とっても大事に思っている誰かが死んじゃうことではないでしょうか?

みんなはそんなことがありましたか?

そのときにどんな気持ちでしたか?(どんな気持ちになると思う?)
その人に戻って来てほしいと思いませんでしたか?(戻って来てほしいと思うよね)
お友達に一緒に悲しんでもらいたいと思うかもしれないね。

でも、神様は私たちが悲しいときでもいつでも一緒にいて下さいます。
今日は、そのことをお話しますね。

昔、ベタニヤという小さな村に、マルタさんとマリヤさんという二人の姉妹とラザロさんという兄弟がすんでいました。3人ともとても仲良しで幸せでした。
また神様のひとり子であるイエス様とも仲良しでした。

あるとき、ラザロさんがとても重い病気にかかりました。
お姉さんのマルタは、“ラザロが病気です。急いで来てなおして下さい”というメッセージを遠くの街にいるイエス様に届けました。
マルタはイエス様が神様から来たお方であることを知っていて、イエス様なら何でもできる、と思っていたからです。

さて、次の日にイエス様がその知らせを聞きましたが、
「この病気ではラザロは死んで終わりになるのではありません。私が父なる神様の素晴らしさをあらわすためのものです。」
と言って、あと2日たってからこういいました。
「ラザロは実は、もう死んでいるのです。でも私はラザロを起こしにいきます。」
とベタニヤに向かいました。

次の日、ベタニヤに着くと、村のみんなは、ラザロさんが死んでしまったことで悲しんでいました。お姉さんのマルタはイエス様のところに来て、こう言いました。

「先生。もしここにいてくれたら、ラザロは死ななかったでしょう。」

マルタは悲しくて、残念でならなかったのです。
一番仲良しのはずなのに、なぜ一番いてほしいときにイエス様はおられなかったのでしょう?
神様はどうして、ラザロが死ななくてもすむようにしてくれなかったのでしょう?
マルタはきっとそのように思ったに違いありません。
でもイエス様はマルタにとってはとても大切な友達であり、先生なのです。
悲しみとやるせなさでいっぱいでしたが、精一杯の言葉をイエス様に言いました。

「今でも、私は、あなたが神様から来られた方であり、なんでもできると信じています」

イエス様はそんなマルタの気持ちを知っていました。そしてこう言ったのです。

「ラザロはよみがえります。」

でも、みんなそう言うのです。いつかこの世界が終わるときに、神様の言うことをよく聞いて人はきっとよみがえるって。イエス様も同じことを言って私を慰めようとしてくれているのだとマルタは思いました。いくら神様から来られた方でも、死んだ人を生き返らせるなど夢にも思っていなかったからです。

みんなもそう思いませんか?死んだ人が生き返ることなんてないと思うよね。
いくら神様でも、これは無理!と思うことはありませんか?
でも、聖書には神様は何でもおできになると書かれています。

そうです。イエス様は、本当にラザロがよみがえるのだと言われたのです。

ここで、みんなでイエス様が言われたこのみことばを大きな声で読んでみましょう。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(ヨハネの福音書11章25〜26節)」

マルタは、この言葉を信じました。そして、イエス様は神の子であり、私たちを罪から救って下さるキリストですと言ったのです。

そして、妹のマリヤも来て、ラザロのために泣きました。
それを見て、イエス様も悲しくなり、泣いたのです。

なぜ、こんなに悲しいことがあるのだろう!
イエス様は人間がいつかは死ななければならない本当の理由を知っていたのです。それは、人間が神様のことを忘れて自分勝手なことをしたからです。

でも、イエス様は、このような悲しいことがなくなるように来られたのです。
イエス様は、自分勝手なことをした人間が死ななくてもよいように、死んでも生き返って天国に入れるように、その罰を引き受けて、十字架という木にかけらて死んで下さったのです。

けれども、マルタも、マリヤも、その他の誰もそのことをわかっていませんでした。イエス様はこれから自分がみんなの身代わりになるのに、誰もイエス様が本当は誰なのかをちゃんとわかっていないので、余計に悲しみました。

そして、イエス様はご自分が神様であることをみんなに分からせるために、イエス様を信じていれば、死んだらそれで終わりになるのではないということを教えるために墓に向かって叫びました。

『ラザロよ。出て来なさい。』

すると、どうなったと思いますか?eye
なんと、死んでから四日もたっているラザロが生き返って、墓から出て来たのです。昔は白い布を死んだ人に巻いていたので、それをみんなでほどいてあげて、ラザロさんはマルタとマリヤの家に帰って行ったのでした。

この出来事で、みんながイエス様が、神様の子で、自分たちを救って下さる救い主だとわかったのです。そして、このあと、イエス様こそがみんなの王様だと言って、エルサレムという大きい街に迎えます。そのときに、みんながしゅろの葉をふったり、自分の着物を地面に敷いたりして、
”ホサナ!”と言ってイエス様を賛美したのです。それをお祝いする日が明日の”しゅろの日曜日”です。
ホサナとは”神様、救って下さい”という意味です。
そして、ホサナ!といって歓迎されたイエス様は、○○ちゃんや○○くんや△△さんやみんなが神様の言うことを聞かずに自分勝手にしていたことの罰を代わりに受けて下さり、十字架にかかって死んで下さいました。でも、イエス様は神様だし、なにも悪いことはしていなかったので、父なる神様によってよみがえされたのです。それをお祝いするのがイースターです。

だから、イエス様を信じますと言えば、私たちはみんな天国に行けるようになったのです。そして、イエス様とお友達のようにずっと一緒に幸せに過ごすことができると聖書bookは教えています。

そして、もうひとつ、イエス様と友達であっても、これからつらいことや悲しいことがあるかもしれません。

だから、今日のお話から、あとふたつのことを覚えて帰ってください。
ひとつは、神様はいつも一緒にいて下さって、みんなの気持ちを知ってくださり、そして一緒に泣いたりweep笑ったりhappy01してくださるということ。
もうひとつは、神様はなんでもおできになるということです。

なにか困ったことがあったとき、悲しいことがあったとき、神様に祈ってみてください。そうすれば、なんでもお出来になる神様がきっと 聞いて下さいます。confident

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