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2009年5月14日 (木)

博士でもつらい『ポスドク』

リンク: 博士でもつらい『ポスドク』.

こんな記事がココログニュースで扱われ、お友達のiaさんのブログ記事が引用されていました。

スタンフォード大学でのポスドクの扱いについては、私も以前ポスドクこうもり問題として取り上げましたが、スタンフォードではポスドクは『学生扱い』とされています。

でも、医師免許を持つ身である私のようなMD,PhDである私は、優秀な業績をもっているのに明日の身を案じなければいけないPhDポスドクよりは、先行きの不安が少ないのかもしれないです。(詳しくは以前のブログ記事”MD”と”PhD”を参照)

医師にとっての博士号は、”足の裏の米粒”と称され、取らなくてもいいけど、取らないと気になるものと言われ、箔を付けるみたいな意味合いが強かったのではないかと思います。今もそのような気持ちで博士号のためだけに大学院生をする医師もいるかもしれないですが、専門医制度などが普及してきた今となっては、臨床で仕事をし、責任ある立場につくにあたって博士号はそれほど気になるものではなくなってきました。

私の場合、学生時代からの夢が「臨床で地域の子どもたちに仕え、研究で世界の子どもたちの役に立ちたい」というもので、後者の目的を果たすために世界中の医師/研究者と協力して難病を解決する治療法を開発したいというのがあったので、

臨床研修(=非常勤医師)→大学院(+アルバイト医師)→ポスドク留学

という課程を経ました。自分の選択に満足をしていて、それを可能にしてくださった神様(私はクリスチャンなので)に感謝していますが、この目標に向かっている一方で、専門研修の不足と経済的基盤の不安定さという”代償”を払っています。

でも、大学院生のときには、実はこのような”代償”を足かせのように感じていたのですが、ここまで来ると、目標を達成したいと思う原動力となってきているように思います。それが今、自分が以前、掲載をあきらめた学術雑誌から査読を依頼されたり、この研究分野での世界的権威で挨拶することさえも緊張していた先生から学会のセッションでcochairを頼まれたりするようになり、この研究分野でも必要とされる存在になろうと思えばなれると思うようになってきました。

今は、『博士号、取るべきか、取らざるべきか・・・』とか真剣に議論されています。しかし、すでにポスドクとして頑張っておられる皆様にとっては、その支払っている代償の大きさが、夢を達成する原動力となるように、そして社会がそのような若い研究者をサポートし、先進国たる日本が研究、学術面で世界における責任を果たして行けるように、勤勉で優秀な方々をサポートする体制ができてほしいと願っています。

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