« 非常事態のトマト炒飯 | トップページ | 金には糸目をつけて..。 »

2009年8月10日 (月)

アメリカで聞くナガサキの声

昨夜遅く、長崎での平和記念式典のようすが、ここカリフォルニアでもテレビジャパンで放映されていました。

無念にも苦しみながら亡くなった多くの人々に思いを馳せ、礼儀正しく儀式を執り行うようすに身を正されました。この一部始終を通して、二人のスピーチが心に残りました。

ひとりは被爆者代表の奥村アヤ子さん
多くの友達を一瞬にして失い、唯一生き残った弟も二ヶ月間、痛みと苦しみに耐えたあとに天に召されるという、堪え難い苦しみを経験されたことをわかちあって下さいました。

私は思いました。

日本人のほとんどは、この戦争はアジアへの侵略戦争ではなく、アジアを欧米から解放するためのものであると信じていた、ある意味”善良な”市民であったのです。そうした考えは間違っていたのかもしれない。でも、そのように考えていた市民が犠牲にされたのです。
広島も、長崎も確かに軍事の拠点であったにしろ、爆弾は工場や基地ではなく、あきらかにこのような市民をターゲットにされたのです。そして、今わたしが住んでいるアメリカという国は、原爆投下を正当化する考えがまだ根強くあるのです。

もし、このスタンフォードに原爆が投下されたらどうだろう?
サンフランシスコや、サンノゼが火の海にされたら?

とても、恐ろしいです。想像しただけでも身震いがします。

プラハで行ったオバマ大統領の核廃絶を目指すという演説が、単なるパフォーマンスでなく、実行に移されることを祈ると同時に、このようなあさはかな認識しか持っていない国に”核廃絶”という大きな使命を任せてはいられないのでは?と長崎市長、長崎県知事、麻生首相の演説を聴いて思いました。

次に、国連総会のデスコト議長
彼はひとりのカトリック信者として、カトリック教会がその責任の一端を担っていると述べ謝罪したのでした。
アメリカのキリスト教会も、もしかしたら、原爆投下を支持したという歴史はないだろうか?
もしあったとしたら、それを悔い、謝罪するような気持ちがあるだろうか?

実は、日本においても、日本キリスト教団というプロテスタントの教会の群れが、戦争を支持したという経緯があります。日本の教会は、その歴史を理解し、悔い改めています。

アメリカ=キリスト教国
アメリカ=正義の名の下に原爆を投下する国
ゆえに、
キリスト教=正義の名の下なら原爆を投下を容認する教え

という図式がなんとなく日本人の中に形づくられてしまっているのではないかと私はひとりのクリスチャンとして心配になってきました。それはクリスチャンとしての自分がそのような人間に見られるのではないかという心配ではなく、そのことで、聖書に書かれている神、イエス・キリストのイメージが歪められているのではないかという心配です。

だから、そのようなつまづきの石は取り除くべきです。
アメリカの教会は、アメリカの教会として、公式に、日本人に目に見える形で、過去の原爆投下をこのように謝罪すべきだと思います。

被爆者の人たちの嘆きに、加害者の人たちの謝罪の叫びが共鳴することでこそ、ヒロシマ・ナガサキの声は世界の隅々にまで届くのだと思います。そして、人類史上最大の犯罪を冒した人たちをゆるすことができたときにこそ、悲劇を二度と繰り返さないという世界ができるのではないでしょうか?

|

« 非常事態のトマト炒飯 | トップページ | 金には糸目をつけて..。 »

アメリカ生活」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

聖書・教会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 非常事態のトマト炒飯 | トップページ | 金には糸目をつけて..。 »