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2009年9月26日 (土)

マルコの福音書(6):キリストによる福音宣教のはじめ

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聖書箇所:マルコの福音書 (1:14-15)

ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

”ヨハネが捕らえられて後”とありますが、イエス・キリストのガリラヤ地方における伝道までの間は一年間のブランクがありました。最初の約1年は、イエスは、ヨルダン川下流のユダヤ地方にむかって伝道旅行に出ていて、そこで教えを広めていたのです。

その一年間のできごとは、ヨハネによる福音書にしか記載されてません。

この間、イエスは弟子達を連れてユダヤ地方で神のことばを教え、弟子達はバプテスマ(洗礼)を授けていました。イエスの弟子となったヨハネ(ヨハネの福音書の記者)はもともとは洗礼者ヨハネの弟子であり、一時期、イエスと洗礼者ヨハネが同じ場所で教えを説いていたことから、もしかしたら弟子ヨハネだけが詳しく記述したのではないかと思います。

ヨハネの福音書以外で、この一年間のできごとが語られていないのは、ただ単に情報が不足していたというだけではなく、洗礼者ヨハネの役目が終わったところを意識して、そのあとの出来事を新しい神との契約のはじまりとして記載しようという意図があったのかもしれません。

”ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。”

さて、洗礼者ヨハネが、ヘロデ王に捕らえられ、ユダヤ地方で身の危険が迫ったイエスは、再び北上し、ガリラヤ地方に戻って福音宣教を開始しました。

イエス・キリストの生涯と聞けば、彼の行った数々の奇跡の物語に目が奪われがちです。
しかし、イエスが公生涯のうちに果たそうとした第一の使命は、人々を罪の悔い改めに導き、神の福音を信じさせることにありました。(マルコ1:38)イエスが奇跡を行ったのは、彼が神から来たものであることを人々に信じさせるためでもありました。

ところで、物語を書くにあたって、その登場人物が発する最初の言葉というのは、とても重要だと思います。この物語でも、いくつかの出来事が記載されていますが、マルコはここまでイエスを物語の中で沈黙させてきました。そして、いよいよ主人公であるイエスの注目すべき最初のセリフをこのように記載しています。

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

これこそが、記者マルコが読者に伝えたいメッセージなのだと思います。


”時が満ち”というのは、この時があらかじめ決められていたときであることを示しています。キリストのおとずれは、私たちのために世の定まる前からすでに決められていたことなのです。そして、事実、預言者ダニエルによって正確に預言されたとおりにキリストは現れたのでした。(ダニエル書9:25-26)
そして、私にも時が満ちて、キリストに出会う瞬間がありました。これを読んで下さっているあなたも、今、この瞬間が”時が満ちた”そのときです。そして次のことばを一緒に考えてみましょう。


”神の国は近くなった”

これは、どういうことでしょうか?

それは、まず第一は、キリストが来たことによって、神の国に入るための道筋が用意されたという意味ではないかと思います。船で来ることしかできなかった100年前と比べて、飛行機で来ることができる今はアメリカと日本は近くなったということと似ているかもしれません。
今まで泳いでしか行けなかった神の国が、ユダヤ人に律法と預言が与えられることで船で渡れるようになり、ついには十字架の橋によって”近くなった”ということなのだと思います。

もうひとつは、神の国がキリストが人間世界に来て下さったことによって、神の国が実際のものとして認識できるようになったことも”近くなった”と表現できると言えます。

そして最後に、神の国は、最終的に世の終わりに打ち建てられるとともに、今の時代に生きているわたしたちクリスチャンの内にすでにキリストが造り上げているのではないかと思うのです。私が参加するバイブルスタディでも、キリストを信じている参加者全員が、『神の国はどこにある?』という質問に対して、

「来る世に来る神の国もそうだけど、その神の国は、キリストを信じて神の御霊が住んでくださっている自分の中にもあると思う」

と答えています。実は、わたしにもそのような確信があります。

”悔い改めて福音を信じなさい”

「悔い改める」とは、自分のして来たことを後悔して、涙ながらに「もうしません!」と決意する・・・みたいに思ってしまいますが、実は言語では「メタノイア」と記され、それは「考えを変える」という意味です。だから、そのような感情の変化を伴う必要はないのです。

ここで、イエスが言われている直接の聴衆の多くはユダヤ人なので、

「私たちはユダヤ人だから、神に選ばれているのだ。神は私たちがアブラハム、イサク、ヤコブの子孫だからこそ祝福をもたらされるのだ。」という考えを捨てて、神の前にへりくだって自分は罪のあるものであることを認め、神が用意してくださる新しい契約を受け取りなさい

というメッセージを伝えようとされたのです。

しかし、マルコはこの福音書をローマ市民に宛てて書いています。
ユダヤ人ではなく、キリストを見たことがない人たちにです。私たちと同じような読者です。
その読者にあてて、あえてキリストに語らせた最初の重要な言葉がこの言葉だったのですから、私たちもこの言葉を自分たちに向けられたととらえるべきです。神がマルコを通して、これを私たちひとりひとりに向けて語られようとした言葉として受け取ることを意図されていることは明らかです。

”悔い改めて福音を信じなさい”

私たちには次の3つの点についての考えを変えることを求められています。

① 自分は正しい→自分には罪があって神の義には到達していない ② イエスは普通の人間だ→イエスは神の子、キリストだ ③ イエスの十字架と復活は自分とは関係がない→それら私の罪の代償として支払われたものだ

もしかしたら、①は同意するけれども②や③は、信じられないとお思いになるかもしれません。
そのような方の考えはもっともだと思います。でも、ここまで拙い文章を読んで下さったことに感謝しつつ、ここまで読ませてくださったのは神様が働いてくださっているからだと思います。
や知り合いのクリスチャン、キリスト教会とコンタクトをとって、少しずつでも聖書について学んでいただければ、神様ご自身が理解と確信を与えて下さると信じています。

もしかしたら、②や③も信じたいけれども、自分のようなものが神を信じて生きていくなんて、自信がないと思われるかもしれません。そのような方こそ、神に喜ばれていると思います。
「自分こそが、神の子としてふさわしい!そうか、クリスチャンとして立派な人生を過ごそう!」
と自信満々でいては、神に従うことはできません。
でも、もしこれを読んで下さっているあなたが、自分なんて・・・と思いながらも、こんな自分でも受け入れて下さる神がおられるなら信じてみたいとお思いになられたら次のように祈ってみて下さい。
そして、やはり、や知り合いのクリスチャン、キリスト教会とコンタクトをとってその思いを伝えていただければ幸いです。

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神様。今日、私はキリストの「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」という言葉を聞きました。わたしは、自分に罪があること、神の御子キリストが私の罪の身代わりとなって死んでよみがえられたことを信じます。どうか私の心にもあなたの神の国をもたらしてください。
アーメン。

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(つづく)


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