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2009年10月 5日 (月)

日曜礼拝シリーズ:苦しみの中で希望を与える神の約束

先週に引き続き、今週もバビロン捕囚のときの預言者エレミヤに与えられた神の御言葉から学びました。(メッセージ全体は 聞けます)

<日曜礼拝メッセージ要旨>

聖書箇所1:
イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。
妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を生ませ、そこでふえよ。減ってはならない。
わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」(エレミヤ28:4-7)

当時は、エルサレムがまだ残っている状態で、民は「もしかしたら、すぐにでもエルサレムに帰ることができるのではないか」という希望を抱いていました。私たちも、今ある苦しみからすぐにでも逃げ出せるのではないかという希望を抱きます。しかし、エレミヤ書のこの箇所からは、神はときに、苦しみの中で耐え忍ぶことを教えられるのです。

私たちも、この世にあっては捕囚の身なのです。
世界には悪の力がはびこり、私たちは神の国の民として、神の神殿を建て上げるような生活ができない、そのような不自由な状態に置かれています。

そして、聖書というのは、

神が住まい(エデンの園)を用意された → その住まいから民は連れ出された → その住まいに戻る約束を与えられた → いつの日にか住まいに戻して下さる

ということを記した書物です。とくに福音書(イエス・キリストの生涯が書かれた書物)には、その住まいを取り戻すために、私たちのために神が払われた犠牲が描かれ、あとに続く使徒たちの書簡には、どのように約束を待ち望むべきかが述べられ、新約聖書の最後尾の書、黙示録には、神の民が、神の住まいに戻される様子が書かれています。

そうです。私たちは今、捕囚の身なのです。

捕囚の中にあって、神の民らしく生きた人がいます。それは、預言者ダニエルです。
彼は異国の地で、囚われの身でありながら、神に従い続け、苦しみの中を通らされつつも最後まで神への従順を貫いた人です。私たちもこのダニエルのように生きるべきなのです。
私たちは、この捕囚から逃げ出すことをのぞみ続けるのではなく、耐え忍ぶために召されているのです。クリスチャンは、この世との関わりを絶って、クリスチャン同士の交わりのみに逃げ込むべきではない。クリスチャンの交わり(教会)に理想の都を求めすぎては失望するのみです。クリスチャンとて、この世に生きる罪のある人間なのですから。

そうです。私たちは捕囚の身を耐え忍ぶべきなのです。

神は、その捕囚の地で「家を建てて、畑を耕せ」と言われます。
どういうことでしょう?
私たちが、この世で神の民として増え続けるということは?

この本にすべてが書かれているとか、この説教を聞けばいいとかそんな簡単な方法はありません。
私たちは、生活の中で、日々、神の国でないこの世で生きることを忍びながら、毎日を神に信頼し、神を求めて過ごすことなのです。

『あなたの結婚生活の中で、ここさえ変われば幸せになるだろうと思うことは何ですか?』

こんなことを質問されたら、私たちは配偶者のここを直してほしいとか、あそこを直してほしいとか言うでしょう。しかし、このように私たちが捕囚の身であることを知っている結婚カウンセラーならこのように尋ねることでしょう。

『何も変えられないという状況で、私たちはどのようにして幸せな結婚生活を過ごせるでしょうか?』

私たちは、忍耐を選ぶ時に、痛みや苦しみから逃げることは不要となります。
その中から、生きる意味を、喜びを見いだすことができるようになります。

聖書箇所2: まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ー主の御告げーそれは、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためにものだ。 あなたがたが、わたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。 わたしはあなたがたに見つけられる。ー主の御告げーわたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。ー主の御告げーわたしはああなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」(エレミヤ29:10-14)
私たちは、神の住まいをおおいに待ち望むべきです。

神は、民をその不従順のゆえに苦しみの中を通されますが、そこから救い出されるお方です。
神は民を住まいへと戻されるのです。いま、歴史はまさにそのような終わりにむかって進んでいます。

果たして,神は預言通りに民を七十年の捕囚ののちにエルサレムに帰されました。(ちなみに、それはエレミヤの死後です)しかし、彼らは本当の意味で捕囚から戻されたというわけではありませんでした。そして、今も私たちは捕囚の民として神の国へ帰る日を待ち望んでいるのです。私たちは、このような世界にあって、神の約束の中に生きているのです。『主の祈り』の中で、私たちは”御国を来らせたまえ”と祈ると同時に、”日々の糧を与えたまえ”と忍耐する力をも与えて下さるように祈ります。

このような神の約束をしっかり握りながら、忍耐と希望をもって祈るのです。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ー主の御告げーそれは、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためにものだ。

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神様。どのような苦しみの中にあっても、あなたから力をいただいて忍耐をし、あなたの約束をもとに希望を持って生きていけますように。私たちに与えられた神の約束を成就してくださる御子キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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