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2009年11月29日 (日)

マルコの福音書(10):神の御子としての権威(その2)

hide-tanと読むマルコの福音書(10):神の御子としての権威(その2)
*これまでのhide-tanと読む「マルコの福音書」シリーズはこちら


「これはどうだ。権威のある新しい教えではないか。」
(マルコの福音書1章27節)

悪霊の上に立つ権威

聖書箇所: マルコ 1:23-28
すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。
すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。

前回の箇所では、イエスが権威をもって教えられたことに人々が驚いたというところから、当時の宗教学者たちが乱用していた権力とイエスの持つ神の権威との違いについてお話しました。

人々がイエスの権威に新鮮な驚きを覚えた直後に、その権威を裏付けるできごとが起きたことが書かれています。

ここに登場します、『汚れた霊(unclean spirit)』とは悪霊のことです。
舞台は、神の宮であるはずの会堂でした。もっとも悪霊が現れにくいであろうと思われるような場所に悪霊につかれた男が現れました。私たちも、悪霊というものは、教会には現れないだろう、もっといえば、サタン的な働きは教会の中には現れないだろうという幻想を抱きますが、そうではありません。教会はイエスを神の御子であると信じ、十字架と復活によって罪をゆるされたことを認め、神のみこころにかなった生き方をしたいと思っている(あるいは少なくとも、そうすることが正しいことだと思っている)人々の集まりであって、完全に罪から自由に解き放たれた聖人の群れというわけではありません。教会は罪をゆるされた罪人の集まりにすぎないので、教会でもサタンが働く余地は十分にあります。

なぜ悪霊というものが出現するのでしょうか?

それにしても、私はこれまで、悪霊につかれた人というのを見たことがありませんが、福音書には数多くの悪霊が描かれており、実際に今の世の中でもそのような人がいるという話を聞いたことがあります。いずれにせよ、この時代は多くの人が悪霊につかれていたようですが、その理由は主にふたつ考えられます。

まず第一番目は、世に罪や悪がはびこっていたために働きやすくなっていたかもしれないということです。ユダヤ人たちは、神が立てた預言者を次々と殺し、神の言葉を取り次ぐ役目を担った預言者たちはつねにいのちの危険にさらされていました。それゆえ神は沈黙し、実に400年間の空白を置いていました。そのあいだに民の道徳は低下し、あらゆるところで不道徳と罪がはびこるひどい状態であったと考えられます。また政治的にもローマの支配を受けて苦しみ、人々の心は神から離れていたことでしょう。また初代クリスチャンの教会では、教会のメンバーの間でも性的な不道徳がはびこり、殺人までも起こったりしていたようです。今は聖霊を内に宿すクリスチャンが多くなり、目に見える形での活動しにくいのかもしれません。


第二番目は、イエスの働きが見えない世界にも及ぶことを知らせるため神が悪霊の出現をゆるしたのかもしれないということです。サタンは何をするにも、神のゆるしの範囲内でしか行動出来ません(ヨブ記)。神に逆らい続け、罪がある人間の存在をゆるしている今の世にあっては、神はある一定の範囲内でのサタンの働きをゆるしています(これは、神がサタンに悪を行うことを奨励したとかいう意味ではありません)。おそらく、神の御子が出現したことで、サタンの抵抗も激しくなっていたことでしょう。しかし、イエスはこの悪霊が口を開くことを多くの状況でお禁じになりました。

悪霊の性質についてわかることは以下のとおりです。

① 人に入り込んで活動する(その人自身が悪霊なのではないが人格が侵される)
② イエスが神の御子、キリストであることを知っている(1:24,34 ヤコブ2:19)
③ イエスにいつ滅ぼされるかを知っていて恐れている(1:24 マタイ8:29)
④ 人の言うことには聞き従わないが神には従う

この4番目が大切です。悪霊は人間の言う言葉に従いません。サタンはこの地上で活動する権利を主張しますが、神よりも力強い存在ではありません。悪霊とは、人間の力ではどうしようもコントロールできない存在であり、かつ私たちの人格をおびやかし、苦しめるものです。

今の世では、このような目に見える形で悪霊に遭遇するケースは少ないかもしれません。
しかし、目には見えない形で自分を苦しめているが、自分の力では、または誰の力をもってしてもどうにもならないことってないでしょうか?

ある人は、過去におかしたあやまちで心が苦しんでいるかもしれないし、ある人は家庭の崩壊かもしれないし、ある人には職場や学校での人間関係、ある人にとっては、今の医療では治癒しがたい病気であるかもしれません。どうしても離れられない悪習慣という人もいるでしょう。
私たちの人生は、そのようなことで溢れかえっています。そして私たちは、明日の天気をかえることも、身長を1cmのばすこともできない無力なものです。

しかし、イエスは、このような悪霊を追い出すという行為によって、人々はイエスが神の権威をもったお方であるという客観的事実を認めたのです。そして、もっと大切なことは、そのような権威と力を持ったイエスが、悪霊に悩まされる人の側に立って、悪霊に敵対して私たちを救い出してくださるということです。

(まとめ)   人々は、どのような人もコントロールできない悪霊をも従わせる神の権威に遭遇しました。

(黙想)
あなたの人生に入り込んでいるやっかいなもの、あなた自身ではコントロール出来ないものとはなんでしょうか? それをどのようにすればよいでしょうか?

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神様。あなたが悪の力を討ち滅ぼす力と権威をお持ちであることを感謝します。また私たちの手には負えないようなことがらにも解決をお持ちであることも感謝します。自分の力ではどうしようもないという状況に立たされたときにも、あなたが私たちの側に立って下さり、あるときは私たちを守り、あるときは試練に耐える力をお与え下さい。イエスの御名により、御前にひざまずいてお祈りします。アーメン。
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