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2009年11月

2009年11月30日 (月)

まちきれない(ほり)でー。

Thanksgiving holiday 4連休の最終日。
午前中は教会、午後ごろごろして、夕方に図書館に注文していたDVDを取りに行きました。

するとどうやら図書館の近くのLos Altos downtownでパレードの準備をしています。今夜、クリスマスのパレードがあるようです。
本を適当に借りたあとで、外に出ると、ダウンタウンは黒山の人集りでした。

パレード15分前、私たちは、カーブになっていて眺めのよい場所を確保して見学しました。

まばゆいばかりのSnow Queenが先頭で登場。
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高校生のマーチングバンドはちょっと乱れている感じですが、元気よく行進していて楽しくなりました。

大人のブラスバンドはフロートに乗っての演奏でした。coldsweats01
元気はないですが、これはこれで、音的にはまとまって聞こえるのでいいですね。

船に乗ったスノーマン。

ド派手なカーニバル。これは、とてもキレイでした。

最後はサンタクロースでした。

それにしても、サンクスギビングの連休の最終日にすでにクリスマスxmasのパレードをするとは、アメリカ人って本当にホリデーが好きなんですね。smile

・・・とかいう我が家もクリスマス用の飾りをぼちぼち揃えているのでした。
これはWalmartで購入。smile

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2009年11月29日 (日)

マルコの福音書(10):神の御子としての権威(その2)

hide-tanと読むマルコの福音書(10):神の御子としての権威(その2)
*これまでのhide-tanと読む「マルコの福音書」シリーズはこちら


「これはどうだ。権威のある新しい教えではないか。」
(マルコの福音書1章27節)

悪霊の上に立つ権威

聖書箇所: マルコ 1:23-28
すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。
すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。

前回の箇所では、イエスが権威をもって教えられたことに人々が驚いたというところから、当時の宗教学者たちが乱用していた権力とイエスの持つ神の権威との違いについてお話しました。

人々がイエスの権威に新鮮な驚きを覚えた直後に、その権威を裏付けるできごとが起きたことが書かれています。

ここに登場します、『汚れた霊(unclean spirit)』とは悪霊のことです。
舞台は、神の宮であるはずの会堂でした。もっとも悪霊が現れにくいであろうと思われるような場所に悪霊につかれた男が現れました。私たちも、悪霊というものは、教会には現れないだろう、もっといえば、サタン的な働きは教会の中には現れないだろうという幻想を抱きますが、そうではありません。教会はイエスを神の御子であると信じ、十字架と復活によって罪をゆるされたことを認め、神のみこころにかなった生き方をしたいと思っている(あるいは少なくとも、そうすることが正しいことだと思っている)人々の集まりであって、完全に罪から自由に解き放たれた聖人の群れというわけではありません。教会は罪をゆるされた罪人の集まりにすぎないので、教会でもサタンが働く余地は十分にあります。

なぜ悪霊というものが出現するのでしょうか?

それにしても、私はこれまで、悪霊につかれた人というのを見たことがありませんが、福音書には数多くの悪霊が描かれており、実際に今の世の中でもそのような人がいるという話を聞いたことがあります。いずれにせよ、この時代は多くの人が悪霊につかれていたようですが、その理由は主にふたつ考えられます。

まず第一番目は、世に罪や悪がはびこっていたために働きやすくなっていたかもしれないということです。ユダヤ人たちは、神が立てた預言者を次々と殺し、神の言葉を取り次ぐ役目を担った預言者たちはつねにいのちの危険にさらされていました。それゆえ神は沈黙し、実に400年間の空白を置いていました。そのあいだに民の道徳は低下し、あらゆるところで不道徳と罪がはびこるひどい状態であったと考えられます。また政治的にもローマの支配を受けて苦しみ、人々の心は神から離れていたことでしょう。また初代クリスチャンの教会では、教会のメンバーの間でも性的な不道徳がはびこり、殺人までも起こったりしていたようです。今は聖霊を内に宿すクリスチャンが多くなり、目に見える形での活動しにくいのかもしれません。


第二番目は、イエスの働きが見えない世界にも及ぶことを知らせるため神が悪霊の出現をゆるしたのかもしれないということです。サタンは何をするにも、神のゆるしの範囲内でしか行動出来ません(ヨブ記)。神に逆らい続け、罪がある人間の存在をゆるしている今の世にあっては、神はある一定の範囲内でのサタンの働きをゆるしています(これは、神がサタンに悪を行うことを奨励したとかいう意味ではありません)。おそらく、神の御子が出現したことで、サタンの抵抗も激しくなっていたことでしょう。しかし、イエスはこの悪霊が口を開くことを多くの状況でお禁じになりました。

悪霊の性質についてわかることは以下のとおりです。

① 人に入り込んで活動する(その人自身が悪霊なのではないが人格が侵される)
② イエスが神の御子、キリストであることを知っている(1:24,34 ヤコブ2:19)
③ イエスにいつ滅ぼされるかを知っていて恐れている(1:24 マタイ8:29)
④ 人の言うことには聞き従わないが神には従う

この4番目が大切です。悪霊は人間の言う言葉に従いません。サタンはこの地上で活動する権利を主張しますが、神よりも力強い存在ではありません。悪霊とは、人間の力ではどうしようもコントロールできない存在であり、かつ私たちの人格をおびやかし、苦しめるものです。

今の世では、このような目に見える形で悪霊に遭遇するケースは少ないかもしれません。
しかし、目には見えない形で自分を苦しめているが、自分の力では、または誰の力をもってしてもどうにもならないことってないでしょうか?

ある人は、過去におかしたあやまちで心が苦しんでいるかもしれないし、ある人は家庭の崩壊かもしれないし、ある人には職場や学校での人間関係、ある人にとっては、今の医療では治癒しがたい病気であるかもしれません。どうしても離れられない悪習慣という人もいるでしょう。
私たちの人生は、そのようなことで溢れかえっています。そして私たちは、明日の天気をかえることも、身長を1cmのばすこともできない無力なものです。

しかし、イエスは、このような悪霊を追い出すという行為によって、人々はイエスが神の権威をもったお方であるという客観的事実を認めたのです。そして、もっと大切なことは、そのような権威と力を持ったイエスが、悪霊に悩まされる人の側に立って、悪霊に敵対して私たちを救い出してくださるということです。

(まとめ)   人々は、どのような人もコントロールできない悪霊をも従わせる神の権威に遭遇しました。

(黙想)
あなたの人生に入り込んでいるやっかいなもの、あなた自身ではコントロール出来ないものとはなんでしょうか? それをどのようにすればよいでしょうか?

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神様。あなたが悪の力を討ち滅ぼす力と権威をお持ちであることを感謝します。また私たちの手には負えないようなことがらにも解決をお持ちであることも感謝します。自分の力ではどうしようもないという状況に立たされたときにも、あなたが私たちの側に立って下さり、あるときは私たちを守り、あるときは試練に耐える力をお与え下さい。イエスの御名により、御前にひざまずいてお祈りします。アーメン。
+++++++++++++++++++++++++

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2009年11月27日 (金)

ほのぼの豪華 ランチ&ケーキバイキング

今日は、アメリカでクリスマスと並んで最大の祝日ともいえるThanksgiving Dayでした。

私たちは紆余曲折の末、こぐま杏さん(ベイエリア在住の漫画家)のブログで紹介されていたアッセンブリー・オブ・ゴッド日本人教会(キャルスター神召教会)で行われているランチに参加することにしました。

教会はこじんまりていて、日本人にとっては、ちょっとほっとする感じ。
牧師先生と挨拶をかわして席につきました。

ランチとして用意されたものは、まずジューシーテンダーな七面鳥。めちゃくちゃ大きいです。牧師先生が奥様の傑作を誇らしげに切り分けて下さいました。
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色とりどりのお寿司やお刺身。
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和洋折衷の料理の数々。
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とお腹がいっぱいになりました!

子ども達と父親たちは外で少し身体を動かして、そのあと牧師先生のお話で心の糧をいただきました。

そして、こぐま杏さんのハンドメイドケーキが次々と運び込まれました。
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漫画家としてだけでなく、このベイエリアで人気のケーキ屋さんにも勝るとも劣らない(ってそんなにスィーツを食べ歩いてるわけではないですが)腕前をお持ちで、妻も椅子から飛び上がりそうなくらい、その美味しさにびっくりしていました。こぐま杏さんの多才さには驚くばかりですが、なによりの神様からの賜物は”奉仕の心”だと思いました。これだけ用意するのに夜はきっと眠れていなかっただろうと思ったら、やはりそのとおりでした。

牧師先生のお話によると、この食事会は、こちらに留学や駐在に来ていて一緒にサンクスギビングをお祝いする家族や友達がいない人たちのために企画され、おいしい料理やあたたかい交わりとともに、神さまの愛を知ってもらおうという目的で始められたそうです。

そういうポスピタリティのあふれるランチでした。私としては、こぐま杏さんのご家族とお会いして、マンガの登場人物の皆様とご一緒できたこと、意外な接点がいくつもあった牧師先生との出会いなど、うれしいことがたくさんありました。

大変な労をとってくださり料理の準備や会場のセットアップをしてくださったキャルスター神召教会のメンバーの皆様に感謝です。また機会があればお邪魔させていただきたいです。

この教会の近くには、Santana RowValley Fair Shopping Centerもあるので、パロアルト近辺にお住まいの方も日曜日は、この教会の礼拝に出てほっこりしてから、ショッピングをして、帰宅途中にミツワで食材を買って・・・という過ごし方も案外いいかもしれませんね。

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2009年11月26日 (木)

ドーモホリデーモード

こちらアメリカでは明日から、いよいよThanksgiving Holidayです。happy01
4連休です(子ども達はすでに今日から5連休)。
アメリカのNational HolidayであるThanksgivingは、日本でいうお正月みたいな感じで、家族や親戚が集まってお祝いします。

アメリカは広いので、同じ国に住んでいても州が違えば、場合によっては外国に行くようなほどの距離があったりしますので、かなりの人が大移動する時期でもあります。この時期はハイウェイcarも空港airplaneも大混雑しているというニュースでもちきりです。私たちも去年は南カリフォルニアのディズニーランドからのこちらに戻って来るのにいつもの2倍くらい(=12時間)がかかりました。

そんなこともあって、今年のサンクスギビングは、我が家は遠出はナシです。
・・・ウソです。本当は、この休日にしないといけない実験があるからです。

ところで、この前の日曜日の夕方にラボに行くと、細胞培養室のインキュベーターがおかしいことに気がつきました。とりあえず、できるだけの応急処置をしましたが、どれだけの期間、調子が悪かったのかがわからず、ラボのみんなにメール。培養細胞の状態を確認すること(たぶん実験には使わない方がよいだろうこと)、インキュベーターの修理が必要かどうかを見極めないといけないことを伝えておきました。

月曜日。やはりインキュベーターが壊れているということが判明し、使用停止。
他にも共焦点顕微鏡の調子も悪いことが発覚しました。よりによって、ホリデーシーズンの機器の故障。部品調達を伴う修理は連休明けになりそうで、それゆえに実験やデータ取りもスローダウンしそうです。

忙しく働かされている機器がふたつ故障したわけですが、ちゃんと時期を選んでお休みをもらったと捉えるべきでしょうか、実験機器もどうもホリデーモードに突入したようです。( ^ω^ )
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・・・ただ、私の実験とは関係ないものなので、私の「ホリデーワーク」は中止にはなりませんでした。coldsweats01

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2009年11月24日 (火)

立場逆転?・・・聖書的主従関係

私たちの通うPeninsula Bible Churchでは、第一礼拝(早起き用)と第二礼拝(寝過ごし用)の合間の1時間にいろんな集まりがあります。私たちは通い始めた当初からカップルズクラスというのに出席しています。

8名がけの丸テーブルに4組の夫婦でいろいろディスカッションするのですが、昨日は新約聖書のマルコの福音書の9章2-13節から、学び、ディスカッションをしました。

<聖書の内容> イエスが弟子達と一緒に山にのぼり、そこで神々しい姿に変貌して、モーセ(旧約聖書の時代、ユダヤ人たちに律法を与えた指導者。十戒の映画で有名。)とエリヤ(旧約聖書に登場する代表的な預言者。)と会い、語り合った。弟子のペテロが「お三人のために記念碑をつくりましょう」みたいなことを言うが、気がつくと、イエスだけになっていた。そしてイエスはご自分が十字架で死んでよみがえることについて語った。
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このような話から、弟子が抱いた「おそれ」について話し合いました。

そこで、あるW姉からの私には主人(あるじ)ということばにはネガティブなイメージがある、それは奴隷と主人ということを連想させるからだと言う意見になるほどと思いました。(ちなみに彼女は白人)

私がこのときに話した内容はこんな感じ。

*****************************

このときに弟子たちはとても恐れたようだけど、こんな場に居合わせたら自分だってビビります。
でもよく考えると、自分はクリスチャンとして、イエスの栄光に満ちた御顔を直視できない、したくないと思っているんじゃないかと思う。もし、イエスの本当の姿、(ユダヤ人の大工の息子という姿でなく)神の御子としての栄光に満ちた姿を見ると、イエスの言うことに従わざるを得なくなる。

そこで、もし自分の中で、自分の歩みたい人生というものが神が私に歩んでほしい人生とはかけ離れたものであったとしたら、神に従って行けるかどうか?もし従うと思ったとしても、神が用意した人生を歩む為に払うべき犠牲に耐えられるかどうかが不安になる。

だから、イエスの本当の姿を見るということはコワい。
多くのクリスチャンでない人は、神の本当の姿を見たくないと思って、自分の好きなイメージに神を作り上げていると思うが、クリスチャンもこんな感じで同じようなことをしているのでは?

本当は、自分がのぞむ人生よりも神が歩むように願っておられる人生を歩む方がその人にとっては本当はいいはずなのに、クリスチャンであってもなくても、そのことを信じられないから恐れが生じるのではないでしょうか?

ところで、W姉が言われた主従関係の印象は面白いですね。
私は、日本で生まれ育ったので、主従関係=主君(Shogun or King)と家来(Samurai or Knight)です。このときの家来は主君のために忠誠を誓い、この主君のためならば、いのちも捧げるという感じ。主君は、そのような家来に活躍に応じて報酬を与えるという関係。まさに武士道の考えが日本人にはまだあるのではと思います。

だから、わたしはこの箇所を読むと畏れおののきます。

なぜって、主君であるイエスが家来である私のためにいのちを捨てたというのですから。
自分がいのちを差し出さないといけないほどの主君である神が、私のためにいのちを捨ててくれたなどと、それは日本人的な主従関係の考えからするとまったく逆!!なんです。

*****************************

そうなんです。わたしが主と仰いでいるイエスは、このようなお方なのです。
「恐れるな。私があなたとともにいるから。」(ヨシュア記1章)と手をとってくださり、死の陰の谷を歩むときも(詩篇23篇)私から離れることはないお方なのです。
だから、信頼して、恐れずに本当のイエスの姿を見ることができるのです。

一見すると立場逆転のようですが、これこそ聖書の教える究極の主従関係なのです。

イエスは、次の聖書箇所でこのように言っています。

そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

(マルコの福音書10章42〜45節)

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2009年11月23日 (月)

Big Gameのあとで・・・

アメリカンフットボールは、カレッジフットボールも、プロのフットボールと同じくらいか、それ以上に人気があります。スタジアムに歩いていけるようなところに住んでいますが、わたしはまだ試合観戦に行ったことがありません。JBS (Japanese Blogger at Stanford)の私としては、いつか行って報告しないといけません。

昨日のUC Berkeleyとスタンフォードとのアメリカンフットボールのビッグゲーム、どうやらスタンフォードは負けてしまったようです。
教会にむかうまでの道のり、妻nori-tanがスタディアム周辺の観察。

nori-tan「これは、昨日スタンフォード負けたで。だってゴミがこんなに散らかっているし、キャンピングカー、いつもこんなに残ってないもん。」
(フットボールを観に来る人の中には、キャンピングカーで泊まり込みをする人もいるのです。)

それは、いつもより早い時間帯の礼拝に行ってるからじゃないの?と思いながらも、教会の礼拝で説教台をみて負けを確信。紺色の"CAL"の野球帽がのっかっています。

今日は笑顔のないS牧師。説教の前に、
”先週は、いくらスタンフォードが勝ったとはいえ、フットボールの結果を説教に反映させるべきではないと反省しました。忘れ物コーナーにこんなものを見つけたのですが、今日はフットボールの話はナシです。こんなものは・・・。”と帽子をうしろに放り投げました。
スタンフォードのお膝元であるパロアルトの教会なので、会衆は拍手喝采。

礼拝が終わると、会堂の外に、ごきげんのmike。CALトレーナーに身を包んでいました。
hide-tan ”次の礼拝に出るの?君の帽子が説教台においてあるから取りにいくといいよ。”
mike ”なんのこと?”
hide-tan "S牧師が投げてくれるから、拾いに行きな。”

フットボールファンの間で、このような葛藤が教会の中にまで持ち込まれても神は偉大です。
キリストの愛によって結び合わされている私たちは、このような日も兄弟!と呼び合って共に神を賛美しているのです。smile


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2009年11月22日 (日)

「無駄遣い」でない衝動買い

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パロアルトの隣町マウンテンビューの教会で、フェアトレードのセールのイベントがありました。これは、Trade as oneというキリスト教会を通じたフェアトレードの試みです。

フェアトレードとは、開発途上国の人たちが作ったものを適正価格で購入し、その利益は直接その人たちに行くという富の再分配と彼らの経済的自立を目的としたものです。

期待通り、アメリカや日本ではみかけないようなユニークなものがたくさんありました。
綺麗な色づかいの手作りのバスケットや、バッグ、ジュエリーの他に、チョコレートやコーヒーなども。
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子ども達は、ニットの帽子を購入。
私たちは、オリーブオイル(これは、聖書の舞台になっているパレスチナ地方ーオリーブオイル発祥の地ーで採れたオリーブをスイスで加工、USDA公認のものです)とチョコレート、コーヒーのセットとストラップ、ノートを購入。
これらすべてで80㌦あまりでした。
安くはない額だと思いますが、有名大学のロゴマークや、人気キャラクターに支払うお金が、貧困から脱出しようと頑張っている方々のもとに届き、励みになるのであれば、よい買い物だと思います。

こういうセールイベントは、ついついいろいろ買ってしまっても「無駄遣い感」が残らないのがいいです。
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Bible 101 in Japanese: 聖書に基づくアメリカでの子育て

今日は、午前10時半からPeninsula Bible Church日本語バイブルスタディをしました。

今回は特別企画として、カリスマ主婦(私たち夫婦にとっては...smile)のSさんにお越しいただいて、在米18年(うちベイエリアは5年)の生活を振り返って、聖書との出会いとそれが子育てに与えた影響についてトークしていただきました。

異国の地で三人のお子様を育てられたときの悩みや、自分の努力だけではどうにもならない子育てに感じた限界、クリスチャンの人々のサポート、聖書が語る神と人との関係から子どもに対する見方が変わったことなどをお話していただきました。

キリストを通じて神とつながり、神の視点から子どもと自分のの姿をとらえ、悩みの中にも道を見いだした歩みを丁寧にお語りいただけました。

そのあとで、マルコの福音書のつづき(2章1-12節まで)もしましたが、内容は後日アップしたいと思います。
以前の福音書の学びは本ブログにアップしていますので、よかったらこちらをお読みになってください。(日付の旧いものが下にあるので下からお読み下さい。)

今日のバイブルスタディは大人が11名(はじめての方が2名)、子ども9名といつもより少し多めでしたが、12時半に学びが終わったあとも、妻nori-tanが準備したサンドイッチを食べてさらに1時間あまりゆっくり過ごしました。

次回のバイブルスタディは、12月5日(土)10時半から、同じくPeninsula Bible Churchにて行います。
参加は無料、事前登録不要です。
お時間のゆるす方はぜひお越し下さい。


View Larger Map

お問い合わせはhide-tanまで。

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2009年11月19日 (木)

CHP (California Highway Patrol)オフィスに出頭

今日、CHP (California Highway Patrol Office) に出頭してきました。

そうです。渡米して2年3ヶ月、とうとうお巡りさんに捕まってしまったのです。
先週、長女minoriをむかえに行ったのですが、行きは妻が、帰りは私が運転し、そのときに”テールランプが壊れている”ということで捕まったのです。スピード違反ではありませんでした。

止められた時は、”え?知らなかった。ありがとう。”と言ったのですが、チケットを切られるのを待っている間に、ライトをオンにしていなかったことに気がつきました。
というのは、私たちの車は、ヘッドライトは常時オンになっているからです。

なので、私はいつも点灯し忘れないようにといつもAUTOにしてあるのですが、妻はいつもちゃんとオフにしてから車を降りるからです。(ちなみにAUTOであっても、走行をやめてサイドブレーキを引いた時点でオフになります。)

前にも同じことがあり、私は「点け忘れるから、いつもAUTOにしといて」と頼んでおいたのですが、妻にとっては、昼間の走行にも影響ないし、車を降りるときには必ず消えているということを理解しても、消さずにはいれないのでした。

それで、警察のお兄さんに、”これは整備不良でなくて、点け忘れだ”(実はこちらの方が罰金が高くつくと思うのですが)と説明してテールランプの点灯も確認してもらったのですが、チケットを切り直すのが面倒なのか、

「いずれにせよ、テールランプは消えていたんだから、これでCHPに行ってください。」

と言われ、実験の予定が少ない今日、行って来たのでした。

Redwood Cityにあるオフィスに行って事情を説明。
「壊れてる訳ではないんだけど、とりあえず持ってくるように言われたもんで。」

その職員の人もわけわからん、っていう顔をして、テールライトをチェック。
AUTOにしたままだったので、明るい屋外では点灯せず。
「あれ?あれ?...そうか、暗いところはありませんか?」
職員の人がため息まじりに通常のライトをオンにするスイッチをひねって、
「これからは、ちゃんと確認してくださいよ」
といって、それで終わりでした。

それにしても、自分がやっていない違反がとがめられることで、やっていた違反がチャラになった形になりました。テールランプの不点灯が整備不良からであっても、点灯し忘れであってもどっちも同じくらい危ない行為だと思うのですが、罰金が高くついても実際にやったことでチケットを切られたほうがよかった...あのときCHPオフィサーに食いついておくべきだったと今更ながら思ってしまいます。


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2009年11月18日 (水)

お気に入りクリスマスソング(Point of Grace/4HIM)

再び、お気に入りクリスマスソングの紹介です。

When Love Came Down
byPoint of Grace

A Strange Way To Save The World by 4HIM


Lyrics | 4 Him - A strange way to save the world lyrics

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2009年11月17日 (火)

スィーツなバイブルスタディ?

今日は久々にメンズバイブルスタディに行って来ました。

リーダーのleeの家(建築エンジニア。北欧系アメリカ人)は半分以上は自分の手作り。
2階建ての立派な家ですが、ときどき市役所から住居としての基準にあっているか、進行状況はどうかなど査察があるそうです。これで4件目?小さな家を購入し、増築して高く売り、そのお金で次の家に取りかかるということを繰り返しています。

でも奥さんから、”いい加減これで最後にして!”と言われているらしく、これで終わりということみたいです。その奥さん(アフリカ系アメリカ人)が、いつもチョコファッジを作ってくれています。

『みんな、夕食の後でお腹いっぱいやろうけど、食べていってくれないか?でないと、janeが気を悪くするから。』

といってみんな半強制的に食べさせられています。でも、美味しいので、好評です。

私もときどき、日本食スーパーで買った”おかき”とかを持っていきます。
おかきやおせんべいの類いは、バリバリとうるさいのですが、5−6人のザックバランな会なので楽しく食べながらやっています。

それで、今夜は中国系アメリカ人(生まれは香港。中学生のときに渡米。)のmikeが、中国のお菓子を持って来てくれました。なんだか少しインターナショナルな匂いのするバイブルスタディになってきました。

さて、今日は新約聖書の”ルカの福音書”の最後の章、24章を勉強。
それぞれが読んで来て、疑問に思ったこと、調べてみたいこと、気がついたことを自由に出し合って、1ヶ月後に答えを持ち寄ります。これで、やっと今年中にはルカを学び終えます。
1章するのに何週間も費やすこともあり、中止になったりで、このルカを終えるのに4-5年かかったそうです。そのあいだにメンバーが半分くらい入れ替わったりしているみたいですが、のんびりしてくれていたおかげで、私も福音書をどうやって読み進めるかというトレーニングになり、マルコの福音書シリーズをはじめる助けになりました。

帰り道、スタンフォード大学の裏の道でキツネと遭遇しました。こちらに来て、鹿やアライグマ、スカンクは見かけるのですが、キツネははじめてでした。しっぽがふさふさでかわいかったです。

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2009年11月16日 (月)

クリスマスキャロルを歌うイベント(12月13日)

本日のPeninsula Bible Church(カリフォルニア州パロアルト市)の礼拝では、クワイアー(聖歌隊。私も所属しています)とバンドが一緒になってこの曲を披露しました。
ソロを歌うアフリカ系アメリカ人の女性のきれいな声もさることながら、力強いドラムとクワイアーの歌声との共鳴がいいかんじでした。

次回のクワイアーは、クリスマス直前の礼拝に登場しますが、その前には、Carol sing & Dinnerという人気のイベントがあり、ここではハレルヤコーラスも歌います(昨年のようすはこちら)。
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スタンフォード近辺にお住まいの方で、プロテスタントのキリスト教会にご興味のある方はぜひお越し下さい。信者でない方も礼拝やイベントの参加は自由です。
はじめての方は、事前にご連絡いただけたらご案内します。

場所:Peninsula Bible Church
3505 Middlefield Rd
Palo Alto, CA 94306-3695
(650) 494-3840
日時:毎週日曜日午前11時15分または8時30分
教会ホームページはこちら
hide-tanへのお問い合わせはこちら
拡大地図はこちら

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ナイトミュージアム(感想)

物価の高いスタンフォードエリアですが、DVDやCDなどは図書館で無料で借りれますし、Book Saleに行けば、本やCD、ビデオ、DVDも安く(一冊0.5㌦から2㌦程度)で購入出来ます。

昨日もキルトや料理の本、クリスマス絵本、オーディオブック、観光ガイド、日本語の本などを沢山(18点で21㌦)買い込みました。

日曜日の午後、先日図書館で借りて来たDVDを家族で鑑賞しました。博物館が大好きな長女minori(8歳)が、T-Rexの骨が動き出したり、昔の人々が息を吹き返したりする様に大興奮でした。
次女ayumi(5歳)には、はじめちょっとコワかったようですが、最後には大笑い&感動していました。家族で鑑賞するのにはぴったりのDVDでした。

ナイトミュージアム 2 (スミソニアン博物館篇)のDVDも早くも来月にリリースされるようです。
次はこっちも観てみたいです。

ナイト ミュージアム [DVD]DVDナイト ミュージアム [DVD]

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ナイト ミュージアム2 (特別編) [DVD]DVDナイト ミュージアム2 (特別編) [DVD]

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2009年11月15日 (日)

最近トホホなhide-tan。

あまりこういう言葉は使いたくないのですが、最近ツイていません。

先週は国際実験動物管理国際協会というところからスタンフォード大学に査察が入り、動物事件施設は美しく磨き上げられ、廊下は整理され、人の出入りはまばらになって、私たちのラボのメンバーも査察が来る週の動物実験は完全にストップしていました。

でも、学会(というかインフルエンザ)で実験に穴があいていた私はそんなことを言ってられずに、動物を使った実験をしていました。すると、そこへ査察団ご一行がスタンフォードの動物実験施設のメンバーとともにお目見えし、実験は中断。実験の手順について説明しました。

納得して機嫌良く帰ってもらえたと思ったら、帰りがけにちらっと発見した私のひとつの行為についてクレームがつきました。それは、動物にとって何の負担になることもなく、研究の上で必要なステップで、ボスに報告しても、

「hide-tanは間違っていないし、そのやり方が理想的。まったく重箱の隅をつつくようなことをするのね。」

と同情されるようなことだったのですが、そのあと丁寧に動物実験施設の人とメールをやりとりしていると、これまた非常にネチッコイのです。「規則だから」の一点張りなので従わないといけないので、「従います」と言って代替案を提出しても、非常に非現実的な方法を提案され、メールのやりとりを見かねたボスが口をきいてくれたおかげでやっと収束しつつあります。(でも、それでも未解決。)
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ラボのみんなからも同情を買いながら、
”捕まったのがhide-tanでよかった!他の人間なら説明不足で、いろいろツッコまれて文句を言われているか、そんなクレームを受けたら逆切れして、実験の認可を取り消されているかのどちらかよ。”
と、なだめられています。

あとツイテいないことは、他にも子どもの日本語学校の送り迎えを手伝ったら、CHP(ハイウェイパトロール)に捕まったりとか(後日の記事参照)、妻の不在時に子どもと自分のために用意したラーメンを落としてお椀ごと割ってしまうとか、この2週間の実験のデータがうまく取れないとか(それはなんとか解決しつつあります)いろいろです。sad

それにくらべて、ツイテいることといえば、家族みんな元気で楽しく過ごしている、そんなことぐらいです。
ツイテいないと今自分が思っていることを補って余りあるくらい、感謝してもしきれないほどの恵みです。そしてもっと感謝すべきことは、このことを誰に感謝すべきなのかを知っていることです。
アーメン!happy01

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2009年11月14日 (土)

お気に入りクリスマスソング(Avalon)

私は学生のころから、クリスチャンのミュージシャンによる、クリスマスソングを聴くのが好きでした。
本当はもっと早くから聴きたいところを待って、待って、11月になるとクリスマスまでは、車の中も、アパートの部屋でも、そんな音楽ばかり聴いていました。

今年もさっそく聴いていますが、やはりAvalonはいいです。
もっとも好きなのは、前にも紹介したWe Are the Reasonです。


が、Jesus Born On This Dayもいいです。

Today a child is born on earth
Today the glory of God shines
Everywhere for all of the world
Jesus, born on this day he is our light and salvation
Jesus, born on this day he is the King of all nations

Behold the Lamb of God has come
Behold the Saviour is born sing of his love to everyone
Jesus, Born on this day heavenly child in the manger
Jesus, born on this day He is our Lord and Savior

Today our hearts rejoice in him
Today the light of his birth thrills us with hope
Brings peace on earth
Jesus, born on this day He is our light and salvation
Jesus, born on this day he is the King of all nations
Today a child is born on earth
Today the glory of God shines everywhere for all of the world

He is light He is love He is grace born on Christmas day.

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2009年11月13日 (金)

夢を恐れず、走りつづけろ

ときどき参加しているLSJセミナーですが、今回は貴重な講演を聞くことができました。

スピーカーの野尻知里氏は、元心臓外科医で臨床をし、アメリカへの研究留学から人工心臓の研究に出会い、医療機器メーカー(テルモ)で開発。アメリカで企業法人を立ち上げ、臨床応用までこぎつけ、多くの患者さんに希望をもたらしています。それまでの大変な道のりの過程を、人工心臓の歴史とともに冗談を交えながらお話していただけました。

本当に盛りだくさんの講演でしたが、
◉日本の医師は企業に対して上下関係を保持していて(日本ではまだまだ医師は”お医者様”である)、それが臨床現場と企業との協力関係の障壁となっている
◉日本の医師は臨床から離れること=ダウンサイズすること、という意識があるので、欧米と比べると医師としてのバックグラウンドをもった人で、医療機器の開発に携わる人が少ない

ということがちょっと印象的でした。

またリーダーシップの話のところで、ビジョンや感動の共有、チームのモチベーションを保つ為の工夫などもなるほどと思うものでした。下のことばはNHKプロフェッショナル仕事の流儀(2008年10月28日放送分)から。

Text_pro

講演は実験の合間に出たので、質疑応答まで聞けず残念でしたが、野尻さんの目まぐるしい年表を見て、

「この人は、目標に一番早く辿り着ける道を突き進んで来た人だ」

と思いました。そこまでのパワフルさをすべての人が持ち合わせているわけではないです。
でも夢を持ち続けて、それにむかって走りつづけること、という根性論以外に、それを達成する為に同じ目標を共有出来る仲間を見つけることや、そのような仲間との喜びを共有し合うということの大切さが少しでも語られたのはよかったと思います。

自分はスーパーマンにはなれないかもしれない、それでも、他の人と力をあわせれば大きなことができる、そういうことを学んだ気がしました。

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2009年11月11日 (水)

キリスト教は排他的か?

■「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に
(読売新聞 - 11月10日 23:33)

私はクリスチャンですので、”イエス・キリストの十字架と復活が救いの道である”と信じています。これを言ったところで、いじめられることは、今の日本ではまずありません。逆にクリスチャンでない人からも”信じることのできるものがあるというのはよいですね”とあたたかい言葉をいただきます。

問題が生じるのは、新約聖書のヨハネの福音書14章6節にあるイエスの言葉です。
”わたし(=キリスト)が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父(=父なる神)のみもとに来ることはありません”

これを受けて、イエスだけが救いに至る唯一の道であり、聖書にある三位一体の神が唯一の神であると言ってしまうと物議をかもしだすのです。
そのようなときに聞かれる主張は、

--->神様というのは、そのような宗教の枠にはめ込むことのできない大きな存在のことを言うのではないか。
--->どの宗教の神様も正しい、それでもよいのではないか。
--->そのような排他的な教義をもつキリスト教は嫌いだ(排除すべきだ)。

ということになり、迫害が起きて来るのです。
しかし、裏を返せば、クリスチャンのように神は唯一だと言ってはいけない!という主張は排他的であるとは言えないでしょうか?
排他的なのはいけないというのであれば、教義として他の神々を礼拝することを禁じるクリスチャニティを受け入れることができるはずなのに、なぜかその考えは排除され、嫌悪感をいだかれることもあります。

でも、それは仕方ないことです。

私も神様の導きでキリストと出会い、聖書を読むようになったのでクリスチャンになったのですが、もしそういうことがなく、イエスが十字架につかれる程に私を愛して下さっているということを知らされなければ、愛である神に出会わなければ同じことを言い、「排他的な」クリスチャンを罵っていたかもしれません。

しかし、私は神のあわれみによってキリストを信じることができるようになったわけですから、「キリスト教は排他的である」という意見に対して、私なりの弁明をすることが先にキリストに出会ったものとしての役目だと思います。

はじめに、必ず申し上げたいのは、聖書の神は他の神々を否定しているのであって、あなたを排除しているわけではないということです。あなたがもし、キリスト教が嫌いだとか、諸悪の源は世界最大の宗教であるキリスト教だと思っていたとしても、イエスが十字架につかれたのは、あなたと神の関係を損なっている罪を肩代わりするためであったのです。

そして、それはそのような神の子とされているクリスチャンに求められている姿勢です。悲しいことにすべてのクリスチャンがそうとは言えないですが、多くのクリスチャンは他の宗教を信じている人や信仰を持たない人に対して排除するような気持ちはありません。どの人も神によって造られ、神がご自分のいのちをも捨てるほどに愛しておられるということを信じているのです。
だから、排他的になるということはできないはずです。

今の日本で最も影響力のある政治家が「キリスト教は排他的で嫌いだ」と言ったとしても、クリスチャンはその発言に対して弁明をすることおそあれ、「神のために」彼を憎むということは教義上ありえないことです。

クリスチャンは教義上は他の神を受け入れないという点で排他的であっても、他の神を信じたり、聖書の神を否定する人を排除したりするという排他性はありません。事実、クリスチャンの慈善団体の多くは、他の宗教が国教であるような国々で、布教を禁じられているような状況の中で、あるいはキリスト教に改宗したら殺されるという社会の中で、様々な支援を行っています。それは、神がすべての人を愛しておられ、これらひとりひとりのためにイエスは十字架につかれたのだと信じているからです。

教義的に排他的なのは、なぜかと言われれば、「それが真実だから」としか言えません。なぜ私がそう思うかということは長くなるので書きませんが、神がなぜそのように言われるかというと「それが真実だから」です。神は偽ることができないし、”他の神様でもいいよ。それも神様だよ。”と偽ることで人々が罪の問題を解決しないままになり、神の国で永遠を過ごすことなく、神の裁きのもとに置かれることを避けたいからです。なぜ避けたいかと言えばやはり、神はわたしたち一人一人をこよなく愛しておられるからです。

また、キリスト教は教義上、排他的であるがゆえに独善的だという主張もあります。
「独善的」というのは辞書では、自分だけが正しいと考えること。ひとりよがり。とありますが、このようなコンテキストで語られると
”自分たちだけが真理を知っていると思って、他を見下している”というくらいまで意味しているのではないかと思います。ここは正直に言いますが、クリスチャン歴にかかわらず、このように思いたい誘惑が常にあるのではないかと思います。私もクリスチャンになったばかりの高校生のころには、つい舞い上がってしまって、「君たちは知らないだろうけど、聖書の神こそが本当の神なんだよ」というような雰囲気を醸し出していたかもしれません。クリスチャンはたまたま、というか神の一方的な恵みによって、他の人たちより先にキリストを主と仰ぐようになった人のことを言うのであって、
「あの人はクリスチャンだから、立派だ」とか言うことはまったくありません。
でも、このように高慢な態度を含むという意味で独善的であると思われることは、クリスチャンにとっては避けなければいけないことで、もし私がまわりの人にそのような印象を持たせていたのであれば、ひたすらに謝るほかありません。

キリスト教は排他的だと言われれば、他の神々を認めるかという教義的な面ではたしかにそうであると言えます。しかし、そのことイコール、人に対して排他的なのではないと言いたいです。

「排他的」という言葉を、”自分の仲間以外の者すべてをしりぞけて受け入れないこと”
としてしまうと、キリスト教は排他的か?という質問への答えはNOです。

他の神々に対して排他的な面があることも、人に対しては排他的ではないということも神の真実と愛がそのようにしているのです。

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2009年11月10日 (火)

マルコの福音書(9):神の御子としての権威(その1)

hide-tanと読むマルコの福音書(9):神の御子としての権威(その1)
*これまでのhide-tanと読む「マルコの福音書」シリーズはこちら

「これはどうだ。権威のある新しい教えではないか。」
(マルコの福音書1章27節)

今日は、新約聖書マルコの福音書の学びのつづきから、キリストの持っていた『権威』について学びたいと思います。まずはじめに、権威の定義を調べてみました。

権威(けんい、Authority)とは、自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される。代名詞的に、特定の分野などに精通して専門的な知識を有する人などをこう称することもある。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

広辞苑では、このように権威と権力の区別は明確にされていません。このウィキペディアの書き方だと少しポジティブな印象がありますね。

さて、権威と聞いて、どのような権威を思い浮かべますか?
権威のある人って誰でしょう?
身近なところからは、ドライバーに対しての警察は権威がありますね。
「止まれ!」と言われたら従わないといけません。
仕事の上司とかも権威があるかもしれませんし、子どもにとっては先生や親もそうでしょうね。
大きな権威をもった人は誰でしょう?
一国の首相とか大統領の権威が一番大きいでしょうか。

権威という言葉を聞いた時に、どのようなイメージがありますか?
ちょっとコワいとか、うっとおしいとか、自分の意志に逆らうものといったようなネガティブなイメージがあります。

権威のある人に対しては、多くの人は、それを乱用しないでほしいと願います。
私は個人的には、権威というのは自分を守ってくれる役目があるものであると期待しています。
ここでは、イエスがもたれている神の権威とはどういうものか、イエスの権威について描かれている聖書箇所をちょっと書き出してみました。

まずは3回シリーズで、学びたいと思いますのでお付き合い下さい。

権威をもって教えられたイエス(マルコ1:22)
悪霊の上に立つ権威をもつイエス(マルコ1:23-27)
病気をなおす権威をもつイエス(マルコ1:29-34)

罪をゆるす権威をもつイエス(マルコ2:10)
被造物の上に立つ権威をもつイエス(マルコ4:35-41)
人の上に立つ権威をもつ者に対するイエスの教え(マルコ9:35)
自分のいのちを捨て、それを再び得る権威をもつイエス(ヨハネ10:18)
神以外、誰もイエスに対して権威をもっていない(ヨハネ19:11)

聖書箇所:マルコの福音書1章21節〜22節 それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

カペナウム (Capernaum) について
正確な場所は不明ですが、おそらく今のイスラエルにあるガリラヤ湖の北側に位置する町であろうと言われています。遺跡群のある場所であると推測されています。

イエスがカペナウムに至るまでの経緯をさらっと調べてみますと、
ヨルダン川での洗礼→カナの婚礼→初期ユダヤ伝道(約8ヶ月)→カナ→ナザレでの排斥→カペナウム
という感じです。推測ですが、イエスは故郷のナザレを本拠地として活動したかったのではないかと思います。しかし、イエスを子どもの頃から知っている町の人々は近所の子どもであったイエスが神から来られたお方であるとは信じられず、イエスを排斥したのでした。こういう経緯があって、カペナウムはガリラヤ伝道の拠点とした場所として今後たびたび登場します。


安息日(Sabbath)———(創世記2:2、出エジプト16:23,20:11,35:2)
安息日とはユダヤ教の休日で、神が6日間で創造の業を終えられて7日目に休まれたということを覚えて一週間の最後の日(土曜日)を聖なる日として働かないように定められていました。
仕事をしないので、会堂にもっとも人が集まる日であったのではないかと思います。


会堂(Synagogue)について
ここは、主にユダヤ人が神に礼拝を捧げるところです。
普段は主に律法学者が律法を教え(ネヘミヤ8:8、ルカ4:20)、祭司が神への捧げものの儀式をします。また裁判所のような役目も担い(ルカ12:11)、このようないろいろな特権のもとに宗教的な階級が築き上げられていたようです(マタイ23:6)。

そのような場所に今回は特にイエスとはじめの弟子達(=一行)がそこに入り、イエスが教え始めたのです。そこで教えられた内容は他の福音書に詳しいですが、マルコの福音書では、その教え方に権威があったということだけが述べられています。

イエスが、権威のある者のように教えられた
「律法学者たちのようにではなく」とあります。
律法学者のように教えるとは、人の解釈をもとに教えるもので、これは一般的なものです。それ自体は悪いことではありません。
しかし、当時の律法学者の教えについて、おそらく人々が気づきはじめていたであろう問題点は、律法学者たちが自分の立場(存在意義)を守るために、聖書に書かれている律法に勝手な解釈を加えて様々な無理な律法を作り上げ、それを神の命令(=律法)であるとして人々をがんじがらめにしていたのです。
これはいわゆる権力の乱用であったと思われます。

それに対して、イエスの教えは権威があると言われています。
権威がある、というのは自発的に同意・服従を促されるようなものであるということです。
神が私たちに求めている人の歩みは、規則に縛られて、権力に恐れをなして生きて行く生き方ではない。こうしないと神の祟りがあると言ったような恐怖で人々を縛り付けるようなものではない。神はどのようなお方なのかということを知り、私たちを愛してくださる神がきよいお方であるがゆえに、私たちもその神に従うにふさわしい者になりたいという思いを抱いて歩むことが私たちに与えられた神の命令なのです。

こういった考えに裏打ちされたイエスの言葉は、人々の心の渇いたところを潤すものであったのだと思います。

後の箇所で出てくる人々の反応、
「これはどうだ。権威のある新しい教えではないか。」
(マルコの福音書1章27節)

という言葉の中には、人々が、この言葉に従いたいと思わされていること、そして、このような教えを今まで聞いたことがなく、心が渇ききっていたということがわかります。そして、心を潤してくれるイエスの教えをもっと聞きたい、そして実践したいという温かい気持ちが人々の心に湧き上がったような様子が伺いしれます。

・・・とはいえ、この物語には、このように神の代弁者として権威をもって教えるイエスを心良く思わない人たちが多く登場します。マルコの福音書は16章。まだ1章ですが、ここですでにイエスの投げかけられた言葉にこれから前途多難なできごとが続いてきます。

次回からは、イエスの力が闇の力を滅ぼすほどのものであったこと、私たちの苦しみを取り除いてくれるものであったものであるということを一緒に見て行きたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
神様。あなたの御言葉をわたしに聞かせ、この心を潤してください。
あなたがどのようなお方であるか、私のためにして下さった奇しい御業の数々を味わせてください。
私から恐れを取り去り、あなたに仕える喜びで私を立たせて下さい。
あなたの権威のもとにへりくだり、あなたへの愛ゆえに「あなたの隣人を自分自身を愛するように愛せよ」という命令に従う者になることができるようにお導きください。アーメン。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

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2009年11月 7日 (土)

お気軽系?Oakland Zoo

今日は、教会で日本語のバイブルスタディを終えたあとで、Oakland Zooまで行って来ました。Img_9717

Oakland Zooは、San Francisco Zooよりは規模は小さめですが、そこそこの種類と珍しい動物が入っていて、よく整備されていて、ふれあい動物園みたいなものもあるので、小さいお子さんを持つご家族に人気のようです(教会の友達からの情報)。スタンフォード大学近辺からは、どちらの動物園も同じくらいの距離です。入場料はやはりSan Francisco Zooの方が高めで、動物を見て回る時間も倍くらいと思います。

それで、Oakland Zooですが、基本的によかったです。
ちょっとした子ども遊園地もありますし、動物の展示の仕方も見やすく、動物がハッピーそうに見えました(本当はそうでもないのかもしれないでしょうけど)。

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今回は、遅めに出掛けて、遊園地でも遊んだので半分くらいまでで閉園になってしまいましたが、メンバーになったので、また時間のあるときに来たいです。
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メンバーシップは家族4人で、85㌦、駐車場も無料になるので3回来れば元をとったことになり、San Francisco Zooは半額、Happy Hollow & Zooは無料(ただし2010年3月再オープン予定)、Lindsay Wildlife Museum,(Walnut Creek)無料(ここはいつか、Mt. Diabroと合わせて行きたいところ)、などいろいろな特典があります。小さなお子さんがいるご家族で乗り物系ではGilroy Gardenの年間パスもおすすめですが、動物系ファミリーにはOakland Zooはおすすめです。Img_9690
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2009年11月 6日 (金)

予定発熱(Scheduled fever)?

新型インフルエンザワクチンのみならず、季節性インフルエンザのワクチンも不足している中で、スタンフォード大学では今年もポスドクは無料でワクチン接種ができるようです。こちら(アメリカ)のワクチンには完全に不活化されていない”ハズレ”があるのか、ワクチンのあとに具合の悪くなる人もいるようです。
私も1回目はセーフでしたが、2回目は3日間発熱して、しんどい思いをしました。

hide-tan  「来週のワクチン、受けるべきか受けざるべきか。去年は熱が出たんだよね。」
chie (実験助手)”受けても罹るかもしれないし、止めておいたら?”
hide-tan 「でもね、年末に一時帰国するから、このまえの学会みたいに旅行をキャンセルとかになったら嫌だから、来週受けて少しでも予防しておいた方がいいんじゃないかと思うんだ。」
chie ”なるほど”
hide-tan 「だから、来週ワクチンを受けて、熱を出すから、来週の実験動物のオーダーキャンセルしといてくれる?もう無理か。」
chie ”そうね(笑)。今からじゃ無理ねえ。”
hide-tan 「それと、ボスにも”来週早々にワクチンを打って3日間熱を出しますから、来週いっぱいはお休みします”って言っておかないと。」
chie "wwwww (大笑い)”
hide-tan ”それと、うちの奥さんにも”僕、来週、倒れてもいい?”って聞いておかないと、彼女もいろいろ忙しいし...。」
chie "wwwww(ますます大笑いのあげく)・・・なんか冗談を真面目な顔をして言うところが面白いわ。”

半分冗談、半分は真剣なんだけど。
まじで迷っているhide-tanです。

To have a scheduled fever or not to have a scheduled fever, that is a question.

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2009年11月 5日 (木)

読書感想文:「イエスはなぜわがままなのか」

著者はフェリス女学院学院長であり、哲学者であり、クリスチャン歴50年という方です。
新約聖書に描かれているイエス・キリストの物語を読んで疑問に思うことについて、できるかぎりの真面目さと誠意をもって答えようとしています。

そこから、

「信じるとはどういうことか」
「信じたらなにが良いことがあるのか」
「神とはどのようなお方なのか」

と、キリスト信仰の本質に迫る話を展開します。平易で説得力のある文章で、少なくともクリスチャンは聖書に書かれている理不尽と思われる記述をどのように理解しているのかということが書かれてあります。

ちょっと違うのではないか、と思わされる記述や、もう少し突っ込んでほしいと思う点も少しあるのですが、これは神学テキストではなく、あくまで一人の信徒の聖書理解を記した本ですから問題はないと思います。

本の帯から。

新約聖書に描かれた

理不尽なイエス、
暴力的なイエス。

イエスの理不尽な言動例
・空腹のあまり、イチジクの木を呪って枯らす
・ブタを集団自殺させる
・弟子に向かって
「おまえなんか生まれてこなければよかった」

どうしてこんなわがままな人を
20億人超のクリスチャンは信じられるの?

面白そうなタイトル、帯コメントですが、このようにとらえてしまう聖書記事が実はそうではないのだと言うことが読んでいくとわかって来ると思います。

とても良い書物でキリスト教に興味を持つ人にはおすすめだと思いますが、ひとつだけ著者の考えと相容れないところがあります。

著者の考えの中で、この本の本流を占めるものとして、
聖書には真実が書かれているが、事実とは限らないという記述に、私は半分賛成、半分反対なのです。
著者は、夕焼けが赤いことを空にレンゲが咲いたようだと書いても、事実ではないが、そのように感じる程に空が赤かったということは真実だと書いています。これは同感です。

たとえば、今でも私たちは、
「太陽が東からのぼってきた」
「月が西に沈んだ」
という言い方をしますが、わざわざ「地球の自転の関係で太陽が東の方に徐々に見えて来た」とは言いません。太陽がのぼるということは正確な事実の記述にならなくても真実を伝えています。

聖書はわかりやすく書くということをひとつの目標にしていたと思うので、事実を正確に伝えることより真実をわかりやすく伝えることを心がけていると思います。

著者は、天地創造に関する記述を暗に事実ではないという書き方をしている一方で、キリスト信仰の根幹をなすキリストの十字架と復活については、歴史的事実として固く信じているようです。

同じ書物に書かれている様々なことがらを、しかも、それが神という単一の著者によって(記述者は複数だとしても)書かれたと信じている書物をとって、「この記述は、事実。でもここは違う」という線引きはどのようにしたらできるのでしょうか?

私には、それができません。というのは、科学や様々な高等な学問を持ってしても聖書の記述が事実であるのかないのかを証明できないからです。著者自身も、確認できないから信じるのだ、見えないものを信じるから信仰なのだと何度も訴えています。

だから、私には、今の科学や様々な学問をもって理屈にあわない、理解できないことであっても「とりあえず」そのまま信じています。天地創造も、ノアの箱船も。もちろん、イエスの処女降誕や様々な奇跡、そして十字架のあとの復活も。

”真実=事実”ではない

という考えには賛成ですが、聖書には事実でないことが書かれていると言い切ることは、私にはできません。
ひとつはそれを証明できないからです。
次に、神がいるのであれば、私たちの理解の及ばないことがらが起きても不思議ではないこと。
そして最後に、聖書は事実に基づいた真実が書かれていると信じているからです。

だから、わたしは、
「聖書に書かれていることがすべて事実かどうかはわからない。しかし、神が記された聖書は、事実に基づいた真実が書かれており、書かれているとおりにすべてが事実であるととらえてもかまわないように書かれている」
と思っています。

それは、『太陽が東からのぼってくる』と思っていても、普通の日常生活には支障がないし、『地球が自転をしているから、太陽が東から見えてくる』とわざわざ考えを変える必要はないのと同じような感覚です。理屈を言えば、地球をぱっとつかんで静止させて考えると、地球が全宇宙の中心であり、全宇宙が地球の周りを猛スピードで回ったり動いたりしていると論じても間違いではないのですが、いちいちそのように論じなくとも、

「太陽が東からのぼって来た。今日も無事に朝を迎えられて感謝だなあ」

と言っていれば、それでよい話ではないかと思うのです。
だから、私は聖書を安心して読むし、毎日安心して神様に感謝を捧げて生きて行くことができるのです。


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2009年11月 4日 (水)

マルコの福音書(8):ガリラヤ湖のほとり(その2)

hide-tanと読むマルコの福音書(8):ガリラヤ湖のほとり

*これまでのhide-tanと読む「マルコの福音書」シリーズはこちら

聖書箇所:マルコの福音書1章16〜20節

ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。
また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。
すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。

今回も前回と同じところから学びたいと思います。
ここは、イエスがまず4人の弟子たちを招く場面です。前回はどのようなお方に声をかけられているのかということに注目し、それではクリスチャンはどのようであるべきかということについて、ちょっとだけ考えてみました。

今回は、声をかけられた弟子たちに注目してみたいと思います。

<無学な普通の人>

聖書の記述からわかることは、彼らは「無学な普通の人」(使徒4:13)であったということです。

のちにイエスの復活を目の当たりにして、すっかり変えられた二人が人間をとる漁師として活動しているときに、民の指導者、長老、学者、大祭司の面々の前でキリストへの信仰を弁明します。
そのときの記述がこのように書かれています。

彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。(使徒の働き4章13節)

なぜイエスは、聖書に精通しているような学問に心得のある人を招かなかったのでしょうか?
それには、3つ理由があります。

① 神の御前で誰も誇らせないため(1コリント1:29)
神の教えが人間の知恵によるものではないこと、そして、「私は神より知恵がある」とか言わないようにさせるためです。神の知恵を無学な人にあたえ、それを知恵があると思っている人に聞かせることで、そのような高ぶった思いのある人にまで福音を知らせようという神の知恵でもあります。

これを読んで下さっているかたの中には、キリストの教えなんて難しい、それより自分が正しいと思う生き方をすればいい。そして、天国に入るかどうかは神に判断させればよいと思っている人がいるかもしれません。でも、福音は高等教育を受けていなくても理解できるものですし、キリスト教は道徳的な生き方をすることによって救いを達成させるような宗教ではありません。神に罪がゆるされていることを感謝し、それに応じた生き方をしていくことを教えるものです。

また、これを読んで下さっているほとんどの人は
「自分は神より賢いなどとは思っていない」と言われるのではないかと思います。
でもこんな風に思ってはいないでしょうか?

『聖書を少し読んでみたけど、十字架の身代わりなんて、ちょっと子どもじみているし、そもそもキリストだけが救いの道だとかいうのは、間違っている。私の描く神のイメージはもっと大きい。そういう点で聖書には少し訂正が必要だな。』

聖書に書かれているメッセージを否定することは、自分は神より賢いと思っているということではないでしょうか?

聖書のコリント人への手紙第一1章には、
1:自分の知恵によって神を知ることができないのは、神の知恵による
2:神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人より強い

とあります。そして、”十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(1章18節)”と訴えています。

”聖書の教えは馬鹿げている”と思ってしまう、そのようなあなたにも神の福音が届くようにと神は願っておられるのです。

② 土の器でも、中身は宝。(2コリント4:7)

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(コリント人への手紙第二4章7節)

自分がクリスチャンになるなんてまだまだ早い、とか、自分はクリスチャンだけど、とても他の人にイエス様を紹介するような器ではないとかお思いではないでしょうか?
私をよく知る人なら、私を昔から知っている人ならなおさら、あのhide-tanってクリスチャンなの?キリスト様のお話なんて、できた面(ツラ)か?と思う人もいることでしょう。
でも、わたしはこの聖書箇所に励まされます。そして、イエスが弟子として選んだ人が、普通の職業につく普通の人であったということも。

神が本当に神であるのなら、この世界でとるに足らないものと思われるような人を用いて、大きなこと、すばらしい業をなして下さるはずです。でも、そのためにはひとつだけ条件があります。

それは、自分の人生を神にゆだねるということです。
宝を入れる器は立派である必要はありませんが、中に他のものがあってはいけないのです。
自分の中に宝を入れてもらう為には、自分が大事に思っているものでさえ、神に明け渡さないといけないのです。「ゆだねる」という言葉は消極的な感じですが、クリスチャンの歩みは、「積極的に」神に自分を明け渡していく歩みなのです。

そして、宝とは神の福音のことです。

だから、もっとも大事なことは、福音に混ぜ物をしないということです。

神の御子であるイエス・キリストが、自分の罪の為に十字架にかかり復活して下さった。私の罪はゆるされ、私はキリストにあって神の子としていただいた。
ということに、酒やタバコはやめないといけない、とか、献金をしないといけない、とか、教会の会員になれなければいけないとかいう「混ぜ物」をしてしまってはいけません。

③ 完全なものとしてくださる。どんなことでもできる。(ヘブ13:20-21,ピリ4:13)

欠点だらけの私たちがキリストの招きに応じて従う時に約束されていることは、神はそのような欠けを補い完全なものと変えて下さるということです。
もともと非の打ちどころがないという人であれば、クリスチャンになる前後ではあまり分からないと思います。しかし、変えないといけないところがいっぱいある人が、どんどん変えられていくと、まわりの人々は、神が生きて働いているのだということを思わされます。神はあなたがコンプレックスを抱いているところや短所と思われるようなところを取り扱って下さり、神が私たちを愛しておられるというメッセージを世に伝える為に私たちを用いて下さいます。

だから、もし自分は欠点だらけで教会になんて行けないとか、キリストを信じるには、まず行いを正してから、とか思う必要はないのです。

網を繕っていたその手を止めて岸辺から、船から立ち上がることです。

あなたが今置かれている状況はひどい状況かもしれません。誰かによってひどくされたのかもしれないし、自分の悪い行いによって、悪い結果が生じてそのために苦しんでいるのかもしれません。自分には何の長所も無いと思っているかもしれません。でも、そういったことが少し改善されてからキリストに従うのではなく、この弟子達のようにすぐに立ち上がり、自分を人間を取る漁師に変えて下さるというお方のもとに向かうことです。
Img_0508
彼らは、これまで漁師として生きて来ました。
キリストが「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたときに、これまでの彼らの漁師としての経験を生かすことも視野に入れていたものと思います。事実、イエスの一行はよく船で移動したのです。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)
キリストに従ったからといって、神に人生をゆだねたからといって、これまでの歩みが無駄になるようなことはありません。かえって、今までの歩みーそれが成功に満ちたものであれ、失敗だらけでもあれ、悲しみにあふれたものであれーを用いて下さいます。これまでの人生、あなたは神を捨てて歩んで来たかもしれないですが、神はあなたを捨てはしませんでした。神はあなたが生まれてから今まで、寄り添って歩んで下さっていたのです。もし、今日、あなたが神に向いて生きて行こうと決心するならば、これまでの人生で得たもの、失ったものを用いて神はわたしたちを神の目的にかなったものへと変えて下さいます。

だから、今その場所で、そのままの自分で、「はい、主よ。」と言いさえすればそれでよいのです。

++++++++++++++++++++++++++++
神様。今、わたしも自分の人生におけるガリラヤ湖のほとりで、あなたのお声を聞きました。
私はこれまであなたのことを知らず、あなたを悲しませるような歩みをしてきました。しかし、あなたはキリストの十字架のゆえにこのような私をも受け入れ、あなたの御用に役立つ器へと作り替えてくださることを感謝します。わたしは今、このままの状態で、後ろのものを置いて、あなたと新しい人生を踏み出したいのです。どうぞお助け下さい。アーメン。
++++++++++++++++++++++++++++

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2009年11月 3日 (火)

はじめての眼科検診

今日は、子ども達をはじめての眼科検診に連れて行きました。
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アメリカの小学校では、集団で眼科検診とかしないので、個別に自分たちで眼科に連れて行かないといけません。
本当は長女minoriはもっと早く連れて行かないと行けなかったのですが、今回は私が緑内障疑いのフォローアップのため、二回目の検診を受けるにあたって、一緒に検診に連れて行きました。

私の方は、眼圧や視神経の所見はボーダーラインのまま悪化していなくて一安心。
子ども達も、はじめてでしたが、検眼士(Optometrist)のインストラクションにちゃんと従って、いろいろ検査を受けていました。

「次女はあやしいかも・・・」

という私の指摘通り、ayumiは、視力検査がいまいちで、メガネを付けると2段階ほどよく見えるようになっていました。日常の生活には支障はないが、眼を凝らさないといけない場面が多いのならメガネをつけてもよいかもしれないし、来年からでもよい、とのでしたが、私の予想がayumiの目つきが気になっていたこと、本人が「メガネをかけてみたい!」と言ったことから、メガネッコになってもらうことにしました。
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子ども用のメガネもたくさんかわいい種類のものがあって(プリンセス系がほとんど)、かわいく見えること、メガネをかけるとよく見えるということで、本人はメガネをかけないといけないというショックはなく、なんだか逆にハッピーな様子です。

夕食のときも、「やったあ、わたし、パパと同じメガネチーム!」happy01と本物のメガネをかけられることを喜んでいました。
なんとも前向き・・・。smile実は、私もメガネでもいいやんって感じなので、ayumiのメガネの仕上がりがちょっとだけ楽しみだったりします。

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2009年11月 2日 (月)

大きなビジョンと小さな一歩。

わたしは臨床医としても、研究者としても「子ども達の健康と幸せのために」役に立つような臨床や研究をしたいと思っています。赤ちゃんが生まれてくる前後に起きる脳へのダメージを防ぐような手だてを考えて予防や治療につながるストラテジーを開発したいという思いがあります。

それは、世界中の子ども達を救うといういわば大きなビジョンです。

しかし、いつもの自分は、いついつまでに論文を!とか、
次の学会発表までに少しでも良いデータを!とか、
次のラボミーティングまでにちょっと格好いい結果を!とか、
来週のボスとのミーティングまでに少しでもポジティブなデータを!
とか、そのような小さな目標にいっぱいいっぱいになっているのです。

そんな小さなビジョンに気を取られて、実験で不注意な間違いをしてしまったりして何日もの仕事をパーにしたりもしてしまいます。

今日、教会のカップルズクラスで学んだことは、「自分の十字架を取って神に従うとはどういうことか?」ということでした。そのグループディスカッションの中で、

1:偉大な神が自分たちクリスチャンを通してなそうとしている壮大なビジョンに立って生きることが大切である

2:そのために必要なことは、大きなことをなすということではなく、小さな行為を始める(近所の人たちと仲良くするとか、教会でちょっとしたお手伝いをするとか)ということを軽んじてはならない

ということを学びました。
そう、自分はいつも小さなビジョンにとらわれ、小さなステップを軽んじてしまっている小さな人間かもしれない。大きなビジョンをつねに描きながらも、小さなことをおろそかにしない、家庭でも、地域社会でも、仕事の面でも、そういう生き方をしたいと思わされました。

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2009年11月 1日 (日)

Harvest Fest 2009 (&ハロウィン)

今日は、私の通うPeninsula Bible Churchで、ハロウィン恒例のHarvest Festがありました。
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1時から開始ということで、12時からの飾り付けに行ったのですが、すでにほとんど終わっていました。教会学校の一部のスタッフや、学生のボランティアがかなり頑張ってくださっていたようです。
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ダンクタンク(ボールを投げて、的に当たると水槽に人が落ちるゲーム)には、PBCに新しく来られたキッズパスター(教会学校の牧師)が座って、子ども達から容赦なくボールを投げられ、水槽にドボン!・・・手荒い「洗礼」を受けていました。
   風邪を引かないかどうか、ちょっと心配。
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いろいろなカーニバルゲームでは、ゲームに成功するとチケットがもらえて、それを景品交換所でお菓子と交換。ジャンピングハウスなどで子ども達は忙しく遊び回り、綿菓子やポップコーンを頬張り、ともろこしの皮で人形を作ったり、ハロウィン用の紙袋をデコレーションしたり、face paintingをしてもらったりしていました。最初から参加した我が家の子どもたちも、たっぷり3時間楽しみました。
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去年に引き続き、今年もたくさん(私たちを入れて9家族)日本人のお友達が来て下さりました。
ありがとうございました!同時に、去年にも増すイベントの充実ぶりに、もっと(しつこく?)お誘いすればよかったとちょっともったいなかった気がしました。(教会のメンバーから招待された人は、プレゼントあり&入場無料だったのです。)残念ながら今年参加できなかった方や、これからスタンフォードに来られる方は来年を楽しみにしていてください。
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さて、夜はこれまでのハロウィンと同様、スタンフォードショッピングセンターとアパート内をひとまわり。サンフランシスコに留学中の元同僚のご夫婦も0歳の赤ちゃんを連れてTrick or Treatに参加。
はじめてのハロウィンをご一緒出来て光栄でした。
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