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2009年12月26日 (土)

クリスマスメッセージ(3):しかし、世はこの方を受け入れなかった

キリストの誕生のあと、幼少期に起きたことで福音書記者マタイが記しているのは、

  1. 東方の博士たちの来訪
  2. ヘロデ大王の暴虐
  3. エジプトへの逃避
  4. ガリラヤへの定住

以上の4つです。

  1. 東方の博士たちの来訪

聖書箇所:マタイの福音書2:1−12

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。」
『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
そして、こう言って彼らをベツレヘムへ送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

ここに登場する東方の博士たちは、もしかすると旧約聖書に記述されているバビロン捕囚の後、エルサレムに戻らずにバビロンに残っていたユダヤ人であるかもしれないと言われています。そうではないかもしれませんが、ユダヤ人にメシアが生まれるということを調べ待ち望んでいた人々であるということは確かです。
そして、彼らが、高価な宝物を携えて危険を伴う大旅行をしてきたことから、護衛をする人をも含めた隊列をなしてきたものと思われます。クリスマスの絵本には三人の博士と描かれていますが、「三人」という数字は三種類の宝物が送られたことから出た推測で、当時の治安の悪さから考えると三人だけでの旅行は考えにくい、おそらくは数百人規模のものであったと考える方がよいのではないかと言われています。エルサレム中の人々が恐れ惑ったという記述はそのような考えをサポートしています。(ついでに彼らが星を観測してから旅をしてきたことから、彼らはおそらくはイエスの誕生の数ヶ月後に訪れたのではないかと思われています。ということは、マリヤとヨセフは親戚の多いベツレヘムにしばらく留まっていたことになり、結果的には里帰り出産みたいな形になったのでしょう)そして、彼らはヘロデ大王に謁見していますから、それ相応の地位であったことは確か、しかもおそらくは彼らの国の王の許可とサポートを得て旅して来たもことでしょう。そしてそれを可能とする為には、最新の知見に基づいた確かな証拠を示すことが必要だったに違いません。つまり、大きな星の出現とユダヤ人の王の誕生は当時の最高の学問によって裏付けられたことだったのです。

そして、この記事はそのような王の庇護を受ける程の学者たちが神の御子のまえにひれ伏したと書いています。世を代表する知性が、この小さな赤ちゃんの前にひれ伏したのです。そして彼らが贈った宝物である金、没薬、乳香は、のちにイエスの家族がエジプトへ逃れるための旅費、滞在費となりました。また、没薬と乳香は死者の葬りのために腐敗を防ぐもの、臭いを隠すものとして使われたものです。これらは、イエスがまさに人々の罪のために死に渡されるということの予見と見ることもできます。

    2. ヘロデ大王の暴虐
    3. エジプトへの逃避

 

聖書箇所:マタイの福音書2:13-18

13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」

14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、

15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしがエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。

16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。
「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」
 

2. ヘロデ大王の暴虐

この博士たちの来訪は、自分の王座が脅かされることへの恐れを生じさせるほどの規模のものであったようで、博士たちの言い分もそれほど説得力があったのだと思います。ヘロデ大王は残忍狡猾、冷血漢であったそうです。自分が王位に就く為には親族をも殺すという恐ろしいことをする人でした。だからこのような強行におよんだのでした。

神に逆らうような人生を歩んで来た人が、神が私たちのためにやって来られたと聞いた時に、まず生じるのは恐れではないでしょうか?次には「それは嘘だ。ありえない」という否定、いよいよ否定できなくなると拒絶という反応を示すのが人間だと思います。それは、罪人として生まれる人間としては、ごく普通の反応です。

キリストがわたしたちのために赤ちゃんの姿をとって来た下さったのは、心が騒ぐ中にあって「恐れなくてもよい。わたしはあなたがたを裁く為ではなく、救う為に来たのだ。わたしは心優しくへりくだっているから、わたしのところに来なさい」(ヨハネ6:20; 12:47;  マタイ11:29)というメッセージの表れです。

キリストはわたしたちの心の中にあって無抵抗です。わたしたちがキリストを心の中で殺し去ろうとしても歯向かいませんが、殺されもしません。わたしたちが、神の言葉を聞いて心を開くそのときまで、あなたの攻撃から逃れて待っていてくださいます。もしかしたら、これをお読みの方で、聖書の話を聞いたことがあるけれどなんだか自分の生き方とは相容れないような気がして、とか、神を信じるなんて窮屈な感じがしてとか、自分の人生を自由に生きられない気がしてという、自分の王座が脅かされるかもしれないという恐れから、キリストを信じることを拒んだ人がいるかもしれません。しかし、イエスは死ぬことはありません。はじめて聖書の話を聞いたあの日、「キリストを信じてみませんか」という招きを受けたあの日と同じくあなたに受け入れられることを待っておられるのです。

3. エジプトへの逃避

この出来事は 預言の成就を通してたしかにこのイエスが来るべきメシヤであることを示す証拠を加えています。またこれはユダヤ人が辿った出エジプトの出来事を思い起こさせるものでした。

4. ガリラヤへの移住

聖書箇所:マタイの福音書2章19-23節

ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。
「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った。
しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。

4. ガリラヤへの移住

ヘロデ大王のあとヘロデ・アケラオがユダや地方を統治しました。彼は父に輪をかけて残虐な王であったので、ヨセフたちはガリラヤ地方へと移住することになりました。ここはユダヤの北に位置するところで、兄弟のヘロデ・アンティパスが治めていました。彼は後に洗礼者ヨハネを殺し、十字架裁判にかけられるイエスを嘲弄するようになります。ここで、イエスはナザレという街に住むことで預言が成就しますが、実はナザレというのは「枝」という意味があり、「ダビデの若枝」という預言も示唆することになります。(イザヤ11:1-2, 53:2,エレミヤ23:5-6)

5.  世は、この方を受け入れなかった

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

(ヨハネ1:10-11)

いのちの危険にさらされた幼子イエス
これらの聖書箇所からイエスは最低3回、いのちの危険にさらされています。

① 胎児のとき(マリヤの結婚前の妊娠)
これは、当時のユダヤ教、世間体を気にしたことからマリヤが胎児のイエスとともに殺されてしまう可能性がありました。わたしたちも神を信じているということがなんとなく格好悪い、弱々しく見えると思いがちです。 自分を立派に見せたいという思いがキリストを拒むのです。

② 乳児のとき(ヘロデ大王による暴虐)
権力や王座への執着が幼子イエスを殺そうとしました。わたしたちも「自分の人生における王は自分である」という思いがあると、王の王キリストを遠ざけることになるのです。

③ 幼児のとき(ヘロデ・アケラオによるひどい政治)
これは貪欲の思い、神を恐れない振る舞いが神を退けるということの例です。
これはどちらかというと社会的な成功を追い求め、自己実現に重きを置くクリスチャンにありがちですが「自分の人生を成功させるために神を利用してやろう」という思いがキリストを引きずり下ろすことがあります。

“しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった(ヨハネ1:11)“

キリストは、生まれるまえから拒絶され、生まれたあとも、拒絶され続け、ついには十字架につかれることになりました。そして歴史の中でもキリストはクリスチャンへの迫害ということを通して拒絶され続け続けています。

キリストは様々な危機をくぐり抜けて(その困難の行き着く先は、この世の権力の座ではなく)十字架の道へと辿り着きました。それは、わたしたちが神のみこころにそぐわない生き方をしてきたという罪の刑罰を身代わりとなるためでした。

キリストが生まれてから2000年を経た今、わたしたちにこのクリスマスの知らせは数々の困難をくぐり抜けてわたしたちのもとに届いたのです。
キリストは世の光として来られました。(ヨハネ8:12)そして、私たちの心の戸口に立っています。クリスマスのストーリーは、ここで終わるのではなく、あなたの心にキリストが生まれて来て、はじめて神の物語があなたの物語となり、新しい物語がそこから加えられていくのです。
インマヌエルとは、神ともにいますという意味です。このお方とともに世の終わりまで続く物語を、あなたを愛し一歩一歩導いてくださる主イエスともに歩んでみませんか?

もし、イエス・キリストというお方を自分を救って下さるお方として受け入れたいというお気持ちがありましたら次のようにお祈りしてみてください。

神さま。わたしはあなたを知らずにこれまで歩んできました。キリストの話は聞いたことがあっても自分とは関係ないと思っていました。しかし、今日、イエスキリストがわたしの罪の問題に解決をもたらし、神の子とされ天の御国に入れられるために十字架について死んで下さったことを知りました。わたしはそのことに感謝します。どうか、私のこれからの人生をお導き下さい。アーメン。

このお祈りをされた方は、聖書を読んだことがなくてもクリスチャンです。

ぜひお近くの教会に足をお運びになるかhide-tanまでご連絡ください。

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