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2010年4月

2010年4月30日 (金)

嘆くのではなく考えよ。

先日、私たちの研究をサポートしてくれているMご夫妻の家で、ルーマニアの医師夫妻といろいろ話をするチャンスがありました。

日本でも大学病院で働いているときは、医師6-9年目という状態でも医員という立場だとファーストフードの店員と変わらないほどの給料でしたが、ルーマニアの医師の話はさらにひどい状態でした。

家賃が4万円くらいのところ、給料が2万円くらいらしいのです。
しかも、研修医のとくだけではなく、そこそこの高額所得(といっても他のサラリーマン程度)になるには教授や部長クラスにならないといけないらしいのです。高い知識と厳しい研修、そして求められる責任は大きいのに全然割りにあわない、やる気をもって医者になっても、多くの者はやる気をそがれるか、優秀なものは外国へと流出していき、ルーマニアの医療は全然向上しない、と嘆いていました。

それで、自分はここでポスドクをしてるが、貧乏ポスドクといえ、ルーマニアで医者なんかしてるよりずっといいとのことでした。彼の奥様は晴れて、来年度からスタンフォードのレジデントになることができたそうですが、彼自身ここまで来るのにかなり苦労があったようです。

というのは、彼は医学の研究を志して医学部に入ったけれど、医学部の研究室にはお金がなく、実験ができないので研究室で論文を読むのが研究活動だったらしいのです。そこで研究の心得のある医師が唯一やりかたを知っていたのがアミノ酸解析だったので、彼は自閉症に着目して、幼稚園の入り口でお母さんに声をかけて協力を募り、自閉症の疑いのあるお子さんを集めて、その先輩のポケットマネーでアミノ酸を分析して、それを海外のラボで論文に仕上げたそうです。ルーマニアからは論文が出しにくいのでわざわざ海外に出て行き英語論文にして、それをもとに研究資金を当てて、学部生の間に6本の論文を書いて、医学部卒業をもってポスドクの身分にしてもらい(アメリカではMDもPhDと同じくドクター。つまりMDでもポスドクになれる)スタンフォードに来たそうです。

彼は、まわりの環境が恵まれていない中で、どのようにすれば論文を書けて、どのようにすれば研究資金を獲得出来て、どのようにすれば海外に出てさらに研究を発展させられるかをつねに考えて行動してきたのです。彼に比べると日本人として日本の医学部を出て、大学院で研究させてもらって学位をとらせてもらった自分がなんとも生温い環境で来たのかと考えさせられました(といっても自分なりには頑張ってきたつもりではいるのですが)。その一方で、どんなに状況が悪くても知恵を働かせて目標をしっかり定めてそのために必要なことをひとつひとつこなしていけば、大きな山でも登ることができるのだということを教えてもらい、勇気をもらうことができました。

私もこれから言い訳はすまい、状況が悪ければ悪いなりにどうするか、考えて行動することができるように、目標を達成するためにはプライドを捨てて、ひたすら目標に向かって地道な努力を積み上げていきたい、と思わされました。

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2010年4月28日 (水)

しないと「もったいない」献金の話

このブログの読者の方は多くの方は、ノンクリスチャンなので、これまで聖書や教会のことについて語るときも聖書を読んだことの無い人にも、教会に来たことのない人にもわかりやすい記事を心がけて書いて来ました。でもそんな中でおそらくクリスチャン、ノンクリスチャンに関わらずに「どうしてるんだろう?」と思われそうな問題で私が触れて来なかったことは『教会で捧げる献金について』です。

今までこの話をしなかったのは「やっぱりキリストさんを信じたら金を巻き上げられるんや」と変な誤解をされたり、自分たちの経済のことについて書くことに躊躇したからです。また自分の献金に対する姿勢への至らなさを暴露することでもあったからです。

もしキリスト教をひとつの宗教として捉えると、「何かとお金をとられてしまう」というイメージがあるのではないでしょうか。でも、極端な話、一銭も献金をしないクリスチャンという生き方もしようと思えばできます。それは、献金というのはまったく自由意志からするものだからです。

それでも、一般にどれくらい献金を捧げてるの?ということですが、聖書がすすめている献金の額は収入の10%程度です。それは、旧約聖書のマラキ書にこう書かれていることを根拠にしています。

『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。—万軍の主は仰せられる—わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。(マラキ書3:10)』

「たった、それだけ〜」とか「ゔぇええー!そんだけも!」と人によって違うでしょう。年収1000万円以上とかの高収入だとできるだろうけど、私には無理!という人がほとんどかもしれません。でも、どうも収入が多ければ多いほどこの基準を達成するのは難しいようです。それは20万円のうち2万円を献金するのと100万円のうちの10万円を献金するのとで違いますからわかりますよね。

それで、実情はどうかというと、教会の会計報告を見ればすぐにわかります。どう考えても平均して10%には全然届いていないのです。理由はわかります。私が理由の一端をしめていたからです。

わたしたちは、ある意味”忠実な教会のメンバー”でありながら、こと献金に関しては教会以外のクリスチャン関係の団体への寄付等をあわせても10%に満たない額しか献金していなかったのです。そしてそれは仕方がないと思っていました。留学前は、留学に必要な資金を用意する必要があったし、渡米後は給料は半減、家賃は2.5倍、子どもの学費はプレスクールを半分だけでも700㌦(7万円くらい)という環境の中で、月々20万円以上の赤字を出し続けていましたから収入の10%というのはトンでもない!というのが私たち夫婦の一致した意見でした。

家賃の低所得者割引制度(BMR: Below Market Rate)というのもなかなか当たらず、2つ目のフェローシップを獲得しても給料をあげてもらえず(研究助手のクビを切っていた当時なので仕方ないのですが)、預金がドンドン減って行く中で「これじゃあ、3年間もこんなところで暮らせない!」と悲鳴をあげていました。

でも、ある牧師のメッセージを聴いていると、「あなたが何に重きを置いて生活しているかどうかは、あなたの銀行口座のチェック(小切手)がどこに切られているかでわかる(アメリカではクレジットカード以外にチェックをよく使い、献金の大半はチェックでします。)」と言っているのを聞いて、アーメン!(そのとおり)だと思ったのです。

自分は、神様に重きを置いていると言いながら、わたしの経済活動はそうは言っていない。神に信頼していると言っていながら、頼みにしているのは銀行の残高。”天に宝を積みなさい”というキリストの言葉にアーメン!と言いながら、財布を開かない方法で人助けをしたい、教会で奉仕をしたい、だって貧乏ポスドクなんだから・・・と言っていました。

ありえないような方法で私たちに永遠のいのちを与え、神の子としてくださり、道を開いて今の生活を与えてくださる神様に対して、実は表立ってはいえないホンネを隠している。こんな私でいいんだろうか?と思ったのです。クリスチャンとしてもっと献金をしなければならない!というものではなくて、自分と神様の関係の中で、神様を信じきっていないところを取り扱われたのです。

それで、わたしは妻に事情を説明し理解を得て、赤字を増やす覚悟で10%を越える額を設定することにしました。このようにして3回ほど捧げたあとで、BMRがあたり家賃が半額以下になり、そのさらに2ヶ月後に競争が激しいのでダメもとで申請した3つ目のフェローシップ(研究助成金)を獲得し、ボスのグラント(研究資金)がいくつもあたり、さらに2ヶ月たって給料を考えられる最高の形でアップしてもらうことができたのです。それにともない、献金もさらにふやすことになりました。しかし、それは喜びと感謝をもって毎月チェックを書くことができるようになったのです。税引き後の額(手取り)で10%と思っていたのも考え直して、税引き前の額としても喜んで捧げることができるようになりました。神は備えてくださる、ということを実際に体験したからです。

そして去年の年末に教会から領収証が届いたときに、これだけの献金ができるほどに私たちを祝福し、なおかつ預金を減らしていないということに涙を流して感謝したのでした。それは、なにか美味しい仕事を見つけて来て高収入を得たということでは味わうことのできない喜びです。神が備え、私たちを祝福し、経済を守ってくださったという確信からくるじわっとせまり来る、あたたかな感動でした。

だからといって、なんでも捧げればよいと思うようになったわけではなく、神が与えてくださったお金をどのようにどんなことに使うべきかを考えるようになりました。教会で献金を捧げるときも、そのお金が神様の意図のとおりに使われますようにともっと心をこめて祈ることができるようになりました。そしてPeninsula Bible Churchという教会は言ってみれば私のことでもあり、私はPeninsula Bible Churchの一部ともいえる存在なのだ、という意識も強くなりました。もっと教会のことが好きになり、神様への祈りも感謝の祈りが多くなり、どんなことでも聞いて下さるという信頼が強まりました。

そして、私はどんなことにおいても神に対して信頼を置いているのです!と強がりでもなく、嘘偽りでもなく証しができるようになったのです。

それでも、まだ献金は個人の置かれている状況にしたがって、信仰によって捧げるものです。クリスチャンだからこれだけしなければいけないというものではなく、クリスチャンになるためにはそんな覚悟が必要だということでもありません。またクリスチャンでない方や、信仰をもたれて間もない方に献金を強くすすめる教会からは距離を置いたほうがよいと思います。

でも、もしこれを読んでいる方がクリスチャンで献金について戦いを覚えておられる方には、けっしてご自分を責めるべきではないこと(神様は責めることはなさいません)と献金は信仰のチャレンジであると同時に大きな恵みなのだということを知っていただきたいと思います。

このような献金の祝福を知らずにクリスチャンとして生きることは実に「もったいない」のです。

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たち必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。 (新約聖書2コリント9:9-13)


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2010年4月22日 (木)

スポンサーから笑いをとる?(小児科医になった理由)

今夜は、わたしのフェローシップをサポートしてくれているmorris夫妻(仮名)に他の医師や研究者とともにディナーに招かれました。morris氏は、世界規模のIT関連企業の元CEOで全米200位くらいの富豪。寄付総額は20位以内というすごい人です。大学院を出たスタンフォード大学への寄付をはじめ、いろいろな社会事業に寄付をしています。
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今回のディナーは、少しインフォーマルな感じで、この夫妻が自分たちがサポートしている研究者を招いて話がしたいということでした。

ディナーのあと、ご夫人が
「今日は専門的な話は抜きにして、こんな感じでスピーチしてもらいましょう。
①どこで生まれたか?
②どこで育ったか?
③どのように今の研究をするに至ったか?
④これからどうしたいか?

こんな感じでご自分のことを話してください。」

そして、ひとりひとりの名前と簡単なプロフィールを紹介して、順番にスピーチしていきました。
私のスピーチは以下のとおり。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++
私が生まれたのは日本の大阪にある地域病院です。実はそこで小児科医として働くことになったんです。はじめてそこに行った時に、かなり年上の看護師さんが、「ちょうどあなたが生まれたころに産科病棟にいたわよ。あなたにミルクをあげたかもよ。」と言われてちょっと恥ずかしかったです。ちなみにその病院では私の長女も生まれています。

I was born in Osaka, Japan at a local hospital, where I ended up working during my pediatric residency. When I first join this hospital, one pretty old nurse came up to me and said, "you know, I was working in the Ob/Gyn ward about the time you were born. I might have feed you milk". I was totally embarrassed.

ま、それはいいとして、私は大阪で育ちました。ただし高校生のときに一年間はピッツバーグにいました。父が外科医で肝臓移植の勉強をしにいくためです。そこで自分はアルバイトをしたかったのですが、ビザの関係でできなかったので盲学校でボランティアをしました。それで、ボランティアっていいなと思い、日本に帰ってからもすることにしたんです。夏休みに脳性麻痺や精神遅滞の子どもたちがいる施設にボランティアに行って、「ああ、社会にはたくさんの問題があるんだなあ。でも、これらの問題全てを解決することなんて自分にはできないなあ・・・でも、ひとつくらいは出来るんじゃないか。人生をかければひとつくらいは。」と思ったのです。それからある医師が書いた本をきっかけに医者になろうと決めました。

Anyway, I grew up in Osaka except for one year I lived in Pittsburgh. My father is a surgeon and he wanted to study liver transplant and that's why we went there. When I was there, i wanted to have a part time job but my visa didn't allow me to do it. So I volunteered in a school for blind children and I became interested in volunteering. After I came back to Japan, I volunteered in a facility in which children with cerebral palsy or mental retardation stay. And I realized, "man, there are lots of problem in this society. I want to do something-even though I may not be able to solve every one of them. I can solve at least one problem if I spend my life to it." then I read a book written by a doctor and decided to go to med school.

医者になるのを決めたのはいいのですが、どんな医者になるかも問題でした。
私にわかっていたのは、『人に仕えたい』ということです。それで、どんな人に仕えたいのかを考えて臨床実習にのぞみました。医学生として病院でいるときに「いったいこの病院でもっともエラいのは誰だろう?」と思いました。そんなことを考えているときに小児科の臨床実習で教授が赤ちゃんの診察をしているときにその赤ちゃんがピュ〜っとおしっこをしたんです。教授のネクタイはおしっこで濡れたのでお母さんがすごく慌てて「ああ、教授先生、すみません。すみません。」とオロオロしていました。でもその教授はネクタイを外して「いやいや。俺が悪いんや。赤ちゃんを診察するのにこんなもんしてるからや。」と言ったのです。”かっこいい!この教授みたいになりたい。こういう人こそスゴい!”と思ったのですが”ちょっと待てよ。エラいのは、教授におしっこをかけて謝りもせずに寝ているこの赤ちゃんや。この子は謝りもしないし、ありがとうも言わない。エラそうにしてる。このようにエラい赤ちゃんに仕える医者になろう!”と考え直して小児科医になることにしたんです。そもそも人に仕えるのは身を低くすべきなのに医者になると高慢になってしまいます。でも「ありがとう」も言ってくれない赤ちゃんや子どもたちの前では膝をかがめて仕えることができます。

After I entered the med school, the next thing I have to think about was what kind of doctor I want to be. I knew I wanted to serve people as a doctor. I just wanted to know what kind of people I want to serve. As a medical student I looked around the university hospital and wondered who is the greatest in there. When I was in pediatric clinic as a student, the professor was checking a baby. And it happened that the baby took a pee and the pee was on his tie. Mother said "Oh, I am so sorry, professor. Oh no, I'm sorry!" She was definitely in trouble. However, the professor took off the tie and said, "no, that's my fault. i shouldn't have worn a tie in front of babies." You know, he's a great man, I thought I wanted to become like him. but the next moment I said to myself, "wait! maybe this baby is much greater than this professor. he takes pee on the professor's tie and just lying down. He doesn't say "I'm sorry" nor even "thank you". I was afraid that I would be a proud person after I become a medical doctor. But if you serve little children, you can't become proud in front of those who never say "thank you" but just say "go away!".

それで、私が今のような研究をするようになったきっかけは、新生児集中治療室で働いていたときに多くの赤ちゃんが難産の末に、脳に後遺症を残したりするケースを見たので、新生児の脳傷害について研究したいと思ったからです。わたしは、「なにかひとつ問題を解決できれば」と思っていましたが、奇しくも科学という手段を通してそれを成し遂げようとしているのだと今、あらためて思いました。

So, I came up with this research I am doing because I saw many baby who had to go thru difficult labor and eventually had neurological impairment after that. That's why I started doing research on neonatal brain injury. You know, I said I wanted to solve one problem and I just found myself trying to do it in scientific way.
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ここまでがその場で考えついて行ったスピーチでしたが、M氏から「なぜスタンフォードに来たの?」と訊かれました。

それは、私がアメリカで学会をしていたときに今のボスと出会ったからです。同じ研究分野の人だったのでよく知っていたのですが、彼女は私がトイレに行ってる時に私のポスターを見に来てくれていました。遠くから彼女を発見して「あーDr. A!光栄です。いつも論文を読んでいます!」と駆け寄りました。たぶん、彼女は私のそのような言葉を気に入ったのでしょう、それで一緒に働くことになりました。・・・いや、たぶん、プレゼンも気に入ったのだと思いますよ。

I met my boss at the conference in the US. She visited my poster while I was in bathroom. I saw her standing at my poster and ran up to her and "Dr. A! Hey, I know you. I always read your paper!!" I think she liked the way I said it and I joined her lab. .....Well, I think she liked my poster as well, though.

パーティは夜の10時まで、M氏のこれまでの歩みや55年間の結婚生活の秘訣とかいろいろ話をしてなごやかで楽しいパーティでした。

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2010年4月 5日 (月)

私はキリストを知りたいのです(イースター礼拝説教)

イースターおめでとうございます。He is risen! 主はよみがえられました!

今年もイースター礼拝は、わたしはクワイアー(聖歌隊)の奉仕でした。チルドレンパスターと子どもたちが読み上げるキリスト復活の記事のあとにこの曲で神様を賛美しました。

以下は今朝の礼拝説教要旨です。

説教題「私はキリストを知りたいのです」

復活の主が最初に口にした言葉は、私は復活した!という宣言ではなく、イエスを探し求めて泣いていたマリアに対する「マリア。」という名前を呼んだ言葉でした。キリストは天に挙げられた後にも、キリスト教徒を迫害していたサウロ(のちの使徒パウロ)に現れて「サウロ。サウロ。」と呼びかけられました。復活の主イエスが最初に口にする言葉はいつも愛するものの名前なのです。彼がその人たちのために十字架についた、その人たちの名前なのです。

イエスは私たちを愛しておられ、私たちの名前を今も呼び続けておられるのです。
わたしたちは自分たちの名前をよばれたのを聞いたものたちなのです。そして、名前を聞いた時に、それだけでは満足しないのです。

聖書箇所:ピリピ人への手紙3章10-11節 私はキリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。

私たちは、私たちの名を呼んで下さる主を知りたいと思うはずです。キリストを知りたい。その復活の力を知りたい。弱いところに力を、困惑に平安を与える力。しかし、復活の力はそれ以上のものです。アダムの時代から人々を支配していた死そのものが滅ぼされたのです。死は滅び、生が与えられました。復活の力を知っていれば恐れるものは何もないのです。

そして、復活の力を知っていれば、主イエスがともにいて下さることも実感するでしょう。復活の主を知っていると、暗闇の中を生きることがなくなります。そこに死に対する勝利があり、それは何ものにも変え難いすばらしいものなのです。

私たちはこの復活の主が再びやって来られるのを待ち望む民なのです。私たちの喜びは、条件付きのものではなく、感情に左右されるものでもありません。一方で、私たちはキリストの苦しみを知ることによって喜びを知ることができるようになるのです。

キリストは苦しまれました。
悲しむ人たちのために。
虐げられている人たちのために。
そして、彼に逆らう人々のために。

彼は、苦しみの中にある人々、罪を冒して後悔している人々に愛を示し、ともに歩まれたのです。

私たちがもし、復活の主を知るならば、私たちは苦しんでいる人々のところに行って力になりたいと思うはずであり、キリストを罵る人のところに行って、キリストの愛と救いを伝えたいと思うようになることでしょう。苦しみ、傷む人々に情熱を抱き,逆らう人に愛を示したくなるはずでしょう。左右路はかつてキリストを迫害する者でありましたが、そのような復活の主と出会って、「キリストを知りたいのです」と告白するようになったのです。そして「復活を得たい」と思うようになったのです。

復活を得るということについて、C.S.ルイスはその著書「ナルニア国ものがたり(第5巻)最後の戦い」の最後のページにこう記しています。

このあとに起きた出来事については、もはや美しすぎて書き記すことができません。私たちにとっては、これが物語の最後になります。彼らは永遠に幸せに生きましたと締めくくってもよいでしょう。しかし、彼らにとっては、これらは本当の物語のほんのはじまりにしか過ぎないのです。この世界で起きたこと、ナルニア国でおきたことは、物語の表紙であり、タイトルページ過ぎないのです。そして今、ついにこれまで地上の誰も読んだことが無いような偉大な物語の第1章をはじめようとしています。そしてその物語は永遠に続くものであり、その1章1章がこれまでの章よりも素晴らしいものとなるのです。(The chronicles of Narnia--The Last Battle-- by C.S. Lewis, hide-tan訳)

キリストを知ることは、キリストが気にかけておられる人々に気をかけること、そのようにして永遠のはじまりを期待して待つということにつながるのです。

(礼拝説教 Peninsula Bible Church 4月4日 イースター礼拝 by スティーブ牧師 要約 by hide-tan)

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