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2011年1月25日 (火)

ファミリーバイスタ(マルコ5章-2-)すべてをひっくり返す神さま。

今日の家族での聖書の学びは、マルコの福音書5章21節〜43節。

ヤイロという会堂管理者の娘が死んで、イエスによって命を取り戻してもらう話と長血を患った女性がイエスの衣のふさに手を伸ばし癒されるというふたつの話が交差するところです。

会堂管理者という職業は、ユダヤ教の中でも尊敬を受けるような職業であったようです。宗教に関わるものとして、当時イエスと敵対していた律法学者とか祭司とかいう人々に近い立場であったと思われます。そういう人がイエスのところに来て、「娘に手を置いて癒してほしい」と願うことは、そういう仲間たちから非難されるだけでなく名誉ある地位を失う可能性があることも意味していました。

私たちはイエス様を信じているということを言うと、仕事を失うとか、友達を失うとか、そういうことを考えてしまわないでしょうか?(ポイント1)
ヤイロのように、”もしそうなってもかまわない。自分の愛する娘はこのお方なら必ず癒して下さるだろうから。”というほどにイエス様を信じているでしょうか?

子どもたち:イエス様が友達やから、イエス様を選ぶ。イエス様と私らは切り離されへん。友達が私たちを好きでイエス様を嫌いというのは無理!

次に、長血という病気で長い間苦しんでいる女の人が出てきます。
この人はいろんなお医者さんにかかってもお金だけとられて、しんどくて可哀想な女の人です。お医者さんには無理でもイエスさまならきっと直してくださると思って衣のふさに触ったのでした。そして治ったあとで、イエスから「あなたの信仰があなたを治したのです」と声をかけてもらいました。ヤイロと同じようにこの女の人も信仰を持っていたのです。

あなたたちも神様には、どんなことでも解決してくださると信じていますか?(ポイント2)

子どもたち:(自信満々で)信じとる。
Img_2169

後半では、ヤイロの娘の女の子がとうとう死んでしまいます。家来たちが来て「もう死んだので先生に来てもらう必要はありません」と言うのに対してイエスは「信じなさい」と言いました。でもヤイロは信じていましたよね。

このヤイロが信じていた”信じる”という行為とイエスがこのときに「信じなさい」といった”信じる”は同じか違うかどちらでしょう。

子どもたち:「同じ」

実は、パパはちょっと違うんじゃないかと思う。ヤイロとか長血を患った女の人の”信じる”は「このお方やったら、きっと問題を解決してくれるはずや」の”信じる”です。でも、イエスさまの言った”信じる”は、「神は絶望の淵からも救い出してくださる。イエスは神の御業をなして下さるお方だ。」という”信じる”です。

大切な人が重い病気になった。治してほしい。神様は治してくださる。
あの学校に入りたい。勉強を助けて欲しい。神様は助けて下さる。
この仕事を失いたくない。なんとかこの不況を持ちこたえたい。でも神様がついていて下さる!

と信じていたとします。
でも、大切な人は死ぬかもしれない。
入試にも合格しないかもしれない。
仕事もなくなるかもしれない。

私たちはそういうときに神に出番を求めません。
ああ、おしまいだ!希望もなにも失った!絶望や!と嘆いてしまうのです。
でもまさに、そういうときに「信じなさい」とイエス様は言われるのです。
そしてなにもかもダメだ!という状況を完全にひっくり返してくださるのです。

「タリタ・クミ(少女よ、あなたに言う。起きなさい。)!」

そういって死んでいた少女に命を取り戻し、少女を起き上がらせたときに、深い悲しみが大きな喜びに、絶望が希望に、すべてがひっくり返らされたのです。

神様は絶望の深い谷の底からでも希望を生み出すことのできるお方なのです。(ポイント3)

子どもたち:目を丸くしてうなづく。

(わたしの感想)イエスの言われる「信じなさい」の意味についてさらに教えられた気がしました。また絶望から希望を生み出すことのできる神とはどれほど素晴らしい神だろうと自分で話ながら感動してしまいました。weep









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コメント

kuriksさん、有り難うございます。「タリタ・クミ」という言葉によってすべてがひっくり返った。福音書の記者がこれをわざわざ原語で書き残したところに、それを目撃した弟子(マルコはペテロから聞いたことを記述したと言われていますので)の特別な思いが込められているように思います。思えばイエスの十字架こそ弟子たちにとって絶望のどん底だったのですが、それを完全にひっくり返し、喜びの高みに引き上げてくださったんですよね。神が与えてくださる喜びの波が、2000年前のエルサレムから私の心を包んだように、多くの人々の心にも届きますように。

投稿: hide-tan | 2011年1月27日 (木) 01時39分

はぁ~、この場に居たかったです!ブログでのShare、ありがとうございます。家族のバイスタいいですね。子ども達が素直で可愛い。それから、この「信じる」の違いの説明、分かりやすかったです。私は神様が「問題を解決してくれる」と信じてはいるけど、ダメダメな時にも「それをもひっくり返してくださる」という信仰が必要!と感じました。

投稿: kuriks | 2011年1月26日 (水) 16時04分

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