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2011年1月

2011年1月31日 (月)

ブログ用にFacebookページを作りました!

最近はFacebook(以下FB)にも日本人のFriendが増えたこともあり、ブログの更新状況をFBにもアップするようにしていました。以前はミクシイにもときどき載せていたのですが、FBやミクシイの方がコメントしやすいようです。(ツイッターにコメントを下さる方もときどきおられます)

FBアカウントを持っておられる方は、ブログタイトル下のバナーか下記から"Like"(日本語表記の場合は「イイネ!」ボタンで登録していただければブログの更新をして私がそれをポストするとFB wallにアップされます。ブログへのコメントや感想など、お気軽にどうぞお書き下さい。また拙ブログの読者のみなさまの交流の場としても活用いただけるとうれしいです。よろしくお願いします。

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2011年1月30日 (日)

赤ちゃんはなぜかわいいのか?

赤ちゃんは、人間も他の動物もなぜかわいいか?
ポスドク(博士研究員)のブログということで、かわいくなるメカニズム、かわいいと感じるメカニズムを期待しておられるかもしれませんね。残念ながら、そういう記事ではないんです。

赤ちゃんはなぜかわいいか?
これを子どもたちと話し合いました。

一般的な答え:赤ちゃんは、誰かに世お世話をしてもらわないと生きていけません。だから神様が赤ちゃんを可愛く造って、みんなに可愛がられるようにして生き残れるようにしたのです。
長女minoriの答え:「神様はすべての人のことを愛してる。神様が愛して造るから、みんな赤ちゃんのときは可愛いんやで。」

私はこのminoriの答えが好きです。
そう思ってこれから赤ちゃんの顔をみると、神の愛を見ることになるでしょう。
どの赤ちゃんもたしかにかわいい。自分も赤ちゃんのときこんなだった。
自分も神の愛を受けて生まれて来た、そう思い出せるでしょう。

そして、このブログを読んで下さっているあなたも赤ちゃんのとき可愛かったはず。happy01 それは、やはりあなたが神に愛を注がれてこの世に生まれて来たんだよとい動かぬ証拠です。そして赤ちゃんのあなたを腕に抱いた人の数だけ、そのことの証人がいるのです。167806_1275451542453_1714909714_478

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2011年1月29日 (土)

ファミリーバイスタ(創世記11章)足してびっくりセムの家系

今日のファミリーバイブルスタディは創世記11章10〜32節、「セムの家系」でした。

名前が連なっているだけだけど、こんな箇所からもすごい発見があります。
ノアからアブラハムまでは10の世代を経ています。
それをずーっと書き足していくと、なんと!

ノア、893歳のときにアブラハム誕生。

ノアは950歳で死ぬので、アブラハムが生まれてもしばらくは生きていたという計算になります。アブラハムの系図がこれだけ正確に保たれているはずです。しかも、アブラハムにとって、ノアの箱舟は伝説というものではなくノア爺さんの生きた実話だったのです。

驚いたついでにアダムの系図を調べ直してみました。
創世記5章。足し算をすると残念ながらアダムはノアの誕生より126年前に930歳で死んでいます。でもノアの父 のレメクが56歳のときまで生きています!ということは、ノアは父からアダムとイブの話を確実な実話体験として聞いていたはずです。

これらの系図から言えることは2つあります。
1:創世記の記述は信頼するに値するものであること。
2:神は多くの人々の中からアブラハムを選んだということ

日本人のクリスチャンも多くの中から選ばれたようなものです。
イエスはかつて弟子達に「あなたがたが私を選んだのではなく、私があなたがたを選んだので す」と言われました。もしかしたら、自分たちはパパとママがクリスチャンやから私もクリスチャンになっただけやと思うかもしれません。

でもそれは違います。

神様はあなたたち(うちの子どもたち)がイエス様をしんじて神の子として歩めるようにパパママをクリスチャンに なるようにしてくださったのです。

子どもたち:「ちゃうで。でも、おじいちゃん、おばあちゃんたちもクリスチャンやで」

そう。神様はおばあちゃんたちもあなたたちのために備えて下さった。
アブラハムが生まれてくるために多くの人々を神様が備えておられたように、あなたがた が生まれて神の子とされるために多くの人を備えて下さったのです。神様はそこまであなたたちを愛して下さっているのです。
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2011年1月28日 (金)

ファミリーバイスタ(バベルの塔)神の命令、約束、憐れみ、ご計画。

今日のファミリーバイブルスタディ。家族で今日も英語で聖書を読んでいます。
創世記11章1〜9節、バベルの塔の話。今回のポイントは4つです。

1:神の命令を守って歩むこと
ノアの箱舟の洪水のあとで、神が生き残ったノアの家族に命じたことは、人々が「全地に増え広がるように」ということでした。しかし人々はそのような神の命令を知りながら無視してひとつの場所に集まり、力をつけようとしました。
神の命令を知りながら従わないのは神に反逆することです。
クリスチャン、ノンクリスチャンに関わらずそういうことはないかどうか、考えてみたいものです。

2:神の約束を信じて従うこと
人々は力を合わせれば神に対抗できると言って、洪水が再び来ても大丈夫なくらいの塔を建てました。神の裁きは来てもこれくらいのものだろうと見くびっていたのです。

しかし、神の裁きはどれほど高い塔を建てても逃れることはできません。
鼻で笑ってやり過ごすことのできるものでもありません。

彼らは「もう全人類を滅ぼすような洪水は起きない」という約束を信じて神のことばに従うべきだったのです。神の言われたことばを信じないことが罪のはじまりなのです。(そもそもアダムとイブの罪も神のことばを疑い、従わなかったことから始まりました)私たちも御子イエス・キリストを信じれば救われるのだという神の約束を信じて安心して神に従うべきなのです。

3:神に逆らおうとする人々への神の憐れみ

神は人々の「神に対抗しよう計画」を成し遂げさせないように言葉をいくつもの言語に分けられました。これは再び全人類に罪が蔓延し、神が彼らを再び全滅させないようにするための憐れみの措置でもありました。
私たちはときに神から離れ、自分の力で自分を引き上げて(それがこの世の成功であったり、立派な人間になろうとすることであったり)神に対抗しようというような誘惑にかられるのではないでしょうか。神を自分と同じレベルで批判したりしていないでしょうか。(神はこうでなければならない、とか)私たちは弱く、誘惑に陥って神に逆らう立場に身を置いてしまうかもしれません。だから私たちも神様のお心に沿わないことをしているならそれを止めて下さいと祈りましょう。

4:神のご計画は「必ず」成し遂げられる
神がこのようにされたもうひとつの目的は、神の"人々を全地に増え広がらせよう"という人々のための計画を成し遂げるためです。そして神の計画はこのように必ず成し遂げられるのです。主イエスの十字架も復活もそうでした。
それでは、これからおきる神の計画はどうでしょうか?
イエスさまが再び来られるという計画は、「やっぱりやめとく」という可能性は・・・子どもたち:「ない!」

そうです。世の終わりに御子が降りてきて世を裁かれる計画も必ず起きるのです。

実は、神様は私たちひとりひとりにも計画をもっておられます。
そして私たちそれぞれのための神の計画は良いものなのです。
あなたはその計画に沿って生きていますか?
神の計画にうすうす気がついているけれど、知らないふりをしていませんか?
「私の人生のうえに神の計画がなされますように」と祈りましょう。
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2011年1月25日 (火)

ファミリーバイスタ(マルコ5章-2-)すべてをひっくり返す神さま。

今日の家族での聖書の学びは、マルコの福音書5章21節〜43節。

ヤイロという会堂管理者の娘が死んで、イエスによって命を取り戻してもらう話と長血を患った女性がイエスの衣のふさに手を伸ばし癒されるというふたつの話が交差するところです。

会堂管理者という職業は、ユダヤ教の中でも尊敬を受けるような職業であったようです。宗教に関わるものとして、当時イエスと敵対していた律法学者とか祭司とかいう人々に近い立場であったと思われます。そういう人がイエスのところに来て、「娘に手を置いて癒してほしい」と願うことは、そういう仲間たちから非難されるだけでなく名誉ある地位を失う可能性があることも意味していました。

私たちはイエス様を信じているということを言うと、仕事を失うとか、友達を失うとか、そういうことを考えてしまわないでしょうか?(ポイント1)
ヤイロのように、”もしそうなってもかまわない。自分の愛する娘はこのお方なら必ず癒して下さるだろうから。”というほどにイエス様を信じているでしょうか?

子どもたち:イエス様が友達やから、イエス様を選ぶ。イエス様と私らは切り離されへん。友達が私たちを好きでイエス様を嫌いというのは無理!

次に、長血という病気で長い間苦しんでいる女の人が出てきます。
この人はいろんなお医者さんにかかってもお金だけとられて、しんどくて可哀想な女の人です。お医者さんには無理でもイエスさまならきっと直してくださると思って衣のふさに触ったのでした。そして治ったあとで、イエスから「あなたの信仰があなたを治したのです」と声をかけてもらいました。ヤイロと同じようにこの女の人も信仰を持っていたのです。

あなたたちも神様には、どんなことでも解決してくださると信じていますか?(ポイント2)

子どもたち:(自信満々で)信じとる。
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後半では、ヤイロの娘の女の子がとうとう死んでしまいます。家来たちが来て「もう死んだので先生に来てもらう必要はありません」と言うのに対してイエスは「信じなさい」と言いました。でもヤイロは信じていましたよね。

このヤイロが信じていた”信じる”という行為とイエスがこのときに「信じなさい」といった”信じる”は同じか違うかどちらでしょう。

子どもたち:「同じ」

実は、パパはちょっと違うんじゃないかと思う。ヤイロとか長血を患った女の人の”信じる”は「このお方やったら、きっと問題を解決してくれるはずや」の”信じる”です。でも、イエスさまの言った”信じる”は、「神は絶望の淵からも救い出してくださる。イエスは神の御業をなして下さるお方だ。」という”信じる”です。

大切な人が重い病気になった。治してほしい。神様は治してくださる。
あの学校に入りたい。勉強を助けて欲しい。神様は助けて下さる。
この仕事を失いたくない。なんとかこの不況を持ちこたえたい。でも神様がついていて下さる!

と信じていたとします。
でも、大切な人は死ぬかもしれない。
入試にも合格しないかもしれない。
仕事もなくなるかもしれない。

私たちはそういうときに神に出番を求めません。
ああ、おしまいだ!希望もなにも失った!絶望や!と嘆いてしまうのです。
でもまさに、そういうときに「信じなさい」とイエス様は言われるのです。
そしてなにもかもダメだ!という状況を完全にひっくり返してくださるのです。

「タリタ・クミ(少女よ、あなたに言う。起きなさい。)!」

そういって死んでいた少女に命を取り戻し、少女を起き上がらせたときに、深い悲しみが大きな喜びに、絶望が希望に、すべてがひっくり返らされたのです。

神様は絶望の深い谷の底からでも希望を生み出すことのできるお方なのです。(ポイント3)

子どもたち:目を丸くしてうなづく。

(わたしの感想)イエスの言われる「信じなさい」の意味についてさらに教えられた気がしました。また絶望から希望を生み出すことのできる神とはどれほど素晴らしい神だろうと自分で話ながら感動してしまいました。weep









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2011年1月23日 (日)

ファミリーバイスタ(マルコ5章-1-)困ったとき「だけ」の神だのみ

今日の家族での聖書の学びはマルコの福音書に移りました。

(マルコの福音書5章1-13節より)
ここで、多くの悪霊に取り憑かれた人が出てきます。この悪霊はイエスに「いと高き神の子イエスさま」と言ってるよね。これは正しいか間違っているか?

子どもたち:「正しい」

悪霊やのに正しいことを言ってるよね。実は、サタンや悪霊は本当のことを知っているんです。ただ、知っていることと神様に従うこととは別。聖書を学んで、本当のことを知って、それが本当のことだと信じていても神様のことを無視したり、拒絶したりできるんです。知っていることと、従うことは違うんです。(レッスン1)

そして、イエスはこの悪霊たちを追い出します。人はそんなことできましたか?

子どもたち:「できへん。でもイエスさまは出来た。」

そう。イエス様は人にはコントロールできない悪霊よりも力強いお方です。

そして、この人にはたくさんの悪霊がついていましたが、私たちにもたくさんのよくない思いがあるよね。私たちもイエス様を心にお迎えして悪い思いを追い出していただきましょう。

(マルコの福音書5章14-20節より)
イエスが追い出した悪霊どもは、豚の大群に入り込んで、その大群は湖になだれ込んで死に絶えました。人々は恐れてイエスに立ち去るようにと願いました。それは、今まで見聞きしたことのない神が現実におられることへの恐れ(そこは神様のことをあまり知らない地域でした)から、もうひとつは違う神々に捧げるために育て、それでお金を儲けていた人々からの圧力が考えられます。

私たちは、今まで知らなかった神は面倒だ、要らないと言ったり、今の生活を崩したくないという思いから神を追い出してしまうものです。

悪霊に憑かれている人が暴れ回っているときには「なんとかしてほしい」と思っていたのに、いざ悪霊が出て行くとイエスに出て行ってくれと要求するのです。

私も小学5年生と中学1年生のとき、母の手術のために神様に祈りました。
「もう悪いことはしません。神様に従います。だから手術を成功させてください。」と真剣に祈ったのです。でも、祈りがきかれるとそんなことは気にせずに教会に行くどころかワルいことばかりしていました。これを読んでいる方の中にも、自分の力ではどうにもならないことをどうにかしてほしい、と神にすがったり祈ったりしたことがあるのではないでしょうか。

よく人は”困ったときの神頼み”と言いますが、実は多くは”困ったとき「だけ」の神頼み”をしているのです。その他のときは心から追い出してしまっているのです。

さて、悪霊を追い出してもらった人はイエスについて行きたがりますが、イエスに「自分の家に戻り、神様がどのようなことをしてくださったかを伝えなさい」と言われ、そのとおりにしました。私たちも心から神様を追い出したりせず自分がいるそれぞれの場所で神様のすばらしさを伝えていきましょう。

Img_2167(写真:子どもたちがお好み焼きに描いたパパの顔)

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2011年1月21日 (金)

ファミリーバイスタ(ノアの箱舟-6-)人類は兄弟姉妹!聖書は他の本と違う。

今日でノアの箱舟のところは終わりです。
我が家の子どもたちはすっかり聖書の話とそこから得られるさまざまな教訓に魅せられています。夕食のあとの我が家の楽しみであり、この聖書の学びがあるから宿題や勉強も頑張っています。

創世記10章(新改訳聖書より)

これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。(1節)・・・・・・・・・・・・(中略:それぞれの息子達の子孫が定住した地域や民族のおこりについて詳しく述べられています)・・・・・・・・・・・以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。(10節)

この箇所からわかることは何?という質問に長女minoriからの答えはこうでした。
「私たち生きてる人間はみんな同じノアの家から出てる。だから仲良くしないといけない。」(レッスン12)

そのとおり!(長女に教えられる私・・・)

それと、もうひとつはこれらの家系図はちゃんとイエスキリストの家系図に繋がっているということです。そして人類の広がりについて、民族の起こりに詳細に記されているということです。これは何を意味しますか?

長女minori「聖書は本当のことが書かれてるっていうことや」(レッスン13)
今日はminoriが大活躍です。ほめてあげると「でも、それって前にパパ言うとったやん」とちょっと照れ隠し。

”そうや。パパ、前に言っとった。聖書からは同じメッセージがあちこちから出て来る。違う地域の違う時代の違う人が書いたのにや。なぜかというと、それは神様が書かれたからや。同じメッセージがあちこちから出て来るというのは、それもまた聖書が本当のことが書かれてあるということでもあるんや”

長女「なんか、聖書って、他の本とまったくちゃうな〜。」

そうです。聖書はすべての書にまさって余りある他とは比べられない書物なのです。
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(今日のおまけ〜神はなぜ蚊を作ったか〜)

神様は不要なものを作ることはないのに、なぜこんな要らない「蚊」というものを作ったのか?面白くていい質問ですね。
ふたつ理由が考えられます。
1:要らないわけではない。生物はお互いの関係の中でバランスを保ちながら生きている。もし蚊が生きていなければある動物が生きていけなくなり、それが生きられないと私たちの生活やいのちに関わって来るかもしれない。
2:「蚊」はもともといい奴だった。でも、人間が罪を冒した後で被造物もバランスが崩れてお互いに傷つけあってしか生存できなくなった。被造物も苦しんでいると聖書に書かれています(ローマ8:19-22)。エデンの園では蚊はいなかったかもしれないし、いても痒い奴ではなく可愛い奴だったに違いありません。
たぶん、1と2あるいは両方で「蚊」という生き物がいるのでしょう。

(ちなみに「おまけの質問」はこの本からとっています。ただし答えは私hide-tanの解釈が主に述べられています)













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ラボでの公用語と日本人の感覚

昨日、スタンフォードメディカルスクールが主催の職場環境や人間関係についてのセミナー(出席が義務づけられている)に出ました。トラブルのケースは雇用者対雇用主という関係が多いようですが、この点は私のボスはよくできていると思いました。少なくとも私はボスを(大筋で)信頼していて、お互いに率直に意見を交換しあいながらこれまでやってきました。

さて、このセミナーのグループディスカッションで職場で英語以外の言語でしゃべりまくる同僚に悩まされているケースが例に挙げられていました。Img_7192

それって、まさに僕のことだけれど、「話してる内容がわからないから、無駄話なのか仕事の話なのかわからないから注意できない。」という意見が出ていました。

実は私にとってはそれはどっちでもいいのですが、ずっと隣で中国語を喋り続けられると気遣いがないと思ったりします。でもそういう風に思うのは日本人の感覚なのかもしれないです。中国人にとってはそういう気遣いは無用ということで失礼にあたらないのかもしれない。
いっぽうで、日本人がこちらの職場でまったく日本語を話さないのかというとそういうことでもなさそうです。私のラボには日本人はいませんが、日本人の友達が遊びに来たり、実験の相談に来たりしたときには日本語で会話します。ただ、話が長くなりそうで日本語で雑談したいというときなどは廊下に出たりします。

ネイティブでない者どうしが会話をするときに正確に意思疎通出来る言語を使うのも容認するべきものなのだといのも賛成です。そういうのは微妙なのですが、程度と心がけのバランスなんだと思います。たしかに「郷に入れば郷に従え」というのお一理ありますが、よりよい世界をつくるためには良いものは外からでも取り入れるというのもいいのではないかと思います。そういう意味で日本人的な微妙な気遣いは、国際的にも受け入れられる感覚ではないでしょうか。

ちなみにこのケースに関する私の中国人の同僚たちの意見は「だったら、このラボは中国語も公用語にするべきだ」でした。なんとも予想通りでアメリカ人の院生のnickと私は苦笑してしまいました。

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2011年1月20日 (木)

ファミリーバイスタ(ノアの箱舟-5-)恐竜はノアの箱舟に乗ったのか

今日も子どもたちとノアの箱舟の話から学びました。

創世記9章18-29節
無事に生活を取り戻したノアの家族ですが、ノアはあるときにワインで酔って裸で寝ていたそうです。息子のひとりのハムはそれを見て、他の二人の兄弟、セムとヤペテに告げました。この二人は父ノアの裸を見ないように後ろを向きながら布をかけてあげたそうです。
これを聞いたノアはあとで、ハムに対して怒りました。

ここから学べることは、ズバリ、「パパを敬うんやで」ということです。
(子どもたち真面目に聞いてる・・・)

なぜノアがこんなに厳しく言ったかというと、人類を再びはじめるという重大な使命を帯びた息子たちが後の世に、よいものを伝えていってほしいと願ったからではないでしょうか。それは、親を敬うということも含まれています。

もし、神様を信じているあなたたち(私のむすめたち)が「うるせえ、くそじじい!」と言っていたら、あなたたちの友達は神様を信じたいと思いますか?思わないよね。神様を信じていて私たちは天国に行ける。それはすごい特権だけど、同時に神様のことを伝えていのちを伝える使命を負っています。
だから、私たちは誰に対しても尊敬の念を抱くようにしましょう。(レッスン11)

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今日のおまけは「恐竜はノアの箱舟に乗ったのか」でした。
これには長女が地層について話して、ノアの箱舟のときには恐竜がいなかったから乗っていない、と次女に説明してました。クリスチャンの中には、「恐竜は洪水で絶滅した」という証拠を掲げる人もいますが、ノアの箱舟に恐竜が乗らなかったのは不自然な気もします。まだまだわからないことはあります。でもわからないことにもいろんな想像を膨らませることはいいことですね。

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2011年1月19日 (水)

ファミリーバイスタ(ノアの箱舟-4-)権威と義務/永遠の契約/二種類のお祈り

今日も家族で聖書を開きました。

創世記9章1−7節
神はノアに子孫を残すという役割と、すべての生物の上にたつ権威をあたえました。
そして、すべてのものを有する権利も与えました。同時に戒めも与えました。その中でもっとも大切なのは人殺しをしてはいけない、ということでした。
私たちもいのちを伝えていくことと、いのちを守っていくことの両方がとても大切です。(レッスン9)

創世記9章8-17節
神はノアとその子孫、そしてすべての生き物と契約を結びました。
それは、神は二度とこのように生物を全滅させるような洪水を起こさないということでした。契約というと、普通は双方向のものですが、神が与える契約はしばしば一方的なものです。そして、虹をその契約のしるしとしましたが、この世から虹というものがなくならないように、この契約も消えることがありません。
イエスの十字架によって救われるという契約も、神からの一方的な贈り物です。そしてそれは永遠につづく契約です。(レッスン10)Img_6615

今日はこの他に、お祈りには主に二種類があるのだと子どもたちに話しました。

ひとつは、一人で神様にするお祈り。これはどんなことを祈ってもいつまで祈っても構いません。
もうひとつは、誰かと一緒にするお祈り。このときは他の人が声に出して祈っているときはそのお祈りに耳を傾けて心をあわせます。そして思いをひとつにして、お祈りの終わりに「アーメン(そのとおりです)」といいます。自分だけ勝手に早くお祈りを終わったり、みんなが終わったあとに自分だけ祈り続けると(少しくらいはいいのですが)一緒にお祈りしていたような気になりません。
他の人と心をあわせる祈りは、心をあわせるという、ひとりのお祈りでは得られない力や喜びや癒しや励ましがあります。このようなお祈りも大切にしましょう。

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2011年1月18日 (火)

ファミリーバイスタ(ノアの箱舟-3-)New Life, New Beggining.

今日も家族でAdventure Bible for Early Readersを読みました。

洪水が引いて、ノアとその家族は動物たちと一緒に箱舟から出てきました。
新しいいのちが再びはじまり、ノアたちは新たな生活をはじめました。
私たちもイエスの十字架を信じて救われたあとには、まったく新たな人生が用意されているのです。(レッスン7)

ノアは、神に感謝のいけにえを捧げました。その香しい匂いで神様は「もう二度と生きている人類や動物を全滅させるようなことはすまい。」と思いました。神はノアの心を喜ばれたのです。人は悪いことを考えたり、行ったりします。しかし、神がのぞまれているのは怒りと破滅ではなくて、このような人と神との関わりです。
この世界が終わるまで、神はこのような形で裁きを行いません。私たちの人生の終わる時に、またこの地上が消え失せる時までは私たちが神に立ち返るのを忍耐をもって待っています。私たち、この神様の思いを伝えていきましょう。
私たちは安心です。その安心の中でいつ終わりが来てもよいように備えをしましょう。(レッスン8)

今日の話では、子どもたちとノアをとおしてこのような約束が与えられていることを感謝しました。「2012」という映画は、ノアの箱舟のような事件が繰り返されるようなことが書かれていますが、それはありません。終わりのときが来るまでにイエスを信じるものは天に引き上げられ、苦難を逃れるというのが大方の聖書の解釈です。
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長女minoriは、今日の聖書箇所で以下のところが気に入ったようで、何度も読んでいました。

地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」(創世記8章22節)

As long as the earth remains, there will be planting and harvest, cold and heat, summer and winter, day and night." (Genesis 8:22, NLT)


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2011年1月17日 (月)

ファミリーバイスタ(ノアの箱舟-2-)「永遠の行き先」

ファミリーバイブルスタディ、今日は創世記7:17-8:12。ノアの箱舟で洪水が起きた箇所から渇いた地が出て来たところまでをやりました。今日学んだことは主にふたつ。

ひとつは神の裁きのもとに溺れ死んでいった人々が経験した恐怖について。クリスチャンもひどい死に方をすることもある。でも、神様に受け入れられて死ぬことと、神の裁きを受けている状態で人生を終えるのとどちらがよいか。もちろん神に受け入れられて人生を終えることです。(レッスン5)

もうひとつ、神はひとりの正しい人、ノアを通じて家族を救い、人類を存続させた。私たちもたったひとり、神の御前に正しいお方であるイエス・キリストによって救われる。ノアの箱舟に乗った人が救われたように私たちも十字架という箱舟にのって救われるのです。(レッスン6)

学びが終わったあとで、次女ayumiがイエスさまを信じていない友達のことを気にかけていました。
その友達はイエスさまを信じたいけれど、親が教会に行くのを拒むそうだ。次女は今日、涙を流してその友達のために祈っていました。私たちも家族でその家族のために祈りました。

しばらくして、次女がおもむろに「あーこの家族でよかった!だって、地獄じゃなくて天国に行けるから」と私に言いに来ました。

神がいるのかいないのか、いたら信じて従うのか、あるいは無視するのか。

それは、本人だけの問題と思うかもしれないけれど、私のように家族のいる人間にとってみると、自分だけではなく自分の愛する家族の永遠の行き先を決めることにもなりかねません。どう判断するかは個人に委ねられているけれども、すべての人に本当に真面目に考えてほしいというのが私の願いです。
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パンより素敵な微笑み?

私が住んでいるシリコンバレーは、全米で最も物価が高いと言われている地域ですが、スタンフォード大学を有するパロアルトはセレブな街といっても過言ではないようなところです。私の教会もパロアルト市内にある関係で、エリート富裕層が多い感じです。
その一方で、私たちの教会ではアルコール依存症や薬物依存から立ち直ろうとしている人や社会的困窮にある人を手助けする働きもしています。ということで、貧富の差が非常に激しいのですが、今日の牧師からのメッセージはちょっと辛口でした。

明日の生活にも困っている人々がこの教会にいる中で、困窮状態にある人に裕福な人が挨拶をする。
そこでお金持ちの方が思う。「ああ、いいことをした。彼らは社会の底辺にいるけれども私のようなものに微笑みかけられた。彼らはパンよりもっとよいものを与えられたはずだ」と。
そのように思う人がいれば、その人は自分をサインを求められるようなセレブな有名人とでも思っているのか。そのような人からどうやって神への信仰がいのちが生み出すのだと伝えられるのか。行いの伴わない信仰は死んでいるとはまさにこのようなことなのだ。こういう礼拝説教でした。Img_7181

私もどこかで、自分を他の人と比較して、こういうトンでもない勘違いの態度を取ってしまう者ではないだろうか。行いで表す信仰とはどのようなものか、考えさせられた日曜日の朝でした。


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Faces (Greater Vision):hide-tan訳

2年半まえにアラスカクルーズに行った時に、コンサートをしていたサザンゴスペルのグループでGreater Visionのコンサートがカリフォルニアで行われているようですが、ちょっと遠くて行けません。
そこで、一番好きな曲をちょっと訳してみました。曲はこちらから視聴できます。

I dreamed my life was done
I stood before god's son
It was time to see what my reward would be
With love he reviewed my life
To count what was done for christ
For that is what will last eternally

人生が終わる夢を見た
神の御子の前に立つ自分がいた
私が受ける報いについて知るときがきた
イエスは私の人生を愛の眼差しで振り返ってくださり
キリストのために私がなにをしたかを数え始めた
それが永遠に残るものなのだから

See I'd done my best to share
That jesus really cares
And he would save if they just believe
Oh, but seldom did harvest come
And so few did I see won
Until the lord said, "turn around and see."

ほら、私はイエスが私たちを愛して下さっているんだよとわかってもらうためにできる限りのことをしました
イエスを信じさえすれば救われるんだよと伝えてきました
でも、めったに収穫はなかった
そのメッセージを受け入れた人はほとんど見たことがない
主が「振り返ってこっちを見てごらん」と言うまでは


(Chorus)
Then he showed me the faces of the ones who'd come because of me
So many faces that my life had led to calvary
All those years I thought nobody saw as I labored in lowly places
That's when jesus smiled and showed me all the faces.

そして主イエスは私が関わったゆえにこの天国へと導かれて来た人々の顔を見せてくださった
私の人生を通してカルバリ(イエスが十字架にかかった丘)へと導かれた多くの面々。
私はこれまでの長年にわたって、このみすぼらしい場所でやってきた働きなど誰も見てはいないだろうと思って来た。
でも、主イエスはわたしに微笑みかけて、これらの人々の顔を見せてくださったのだ。

He said though you did not see the yield,
You were faithful to plow the field
At other times you helped me plant the seed
No matter how small the task, you did just as I asked
And thanks to you these souls have been set free.

主はこう語られた
あなたは確かに収穫を目にしなかったかもしれない
でも、あなたは忠実に土地を耕し
時には、種を植えるのを手伝ってくれた
どんなに小さなことでも、あなたは私の言うとおりにしてくれた
そのおかげで、この人たちの魂が自由にされたのです、と。

(Chorus)
Then he showed me the faces of the ones who'd come because of me
So many faces that my life had led to calvary
All those years I thought nobody saw as I labored in lowly places
That's when jesus smiled and showed me all the faces.

そして主イエスは私が関わったゆえにこの天国へと導かれて来た人々の顔を見せてくださった
私の人生を通してカルバリ(イエスが十字架にかかった丘)へと導かれた多くの面々。
私はこれまでの長年にわたって、このみすぼらしい場所でやってきた働きなど誰も見てはいないだろうと思って来た。
でも、主イエスはわたしに微笑みかけて、これらの人々の顔を見せてくださったのだ。

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2011年1月16日 (日)

ファミリーバイスタ(ノアの箱舟)

家族そろって英語(使っている聖書は次女ayumiのAdventure Bible for Early Readers) の聖書を読んでいくバイブルスタディは、今、ノアの箱舟のところをやっています。最近、創世記6章1節から7章16節までをやりました。
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全地の人々は神を忘れて自分勝手に悪い行いにふけっている状態でした。神はあまりに人々の悪行がひどいので滅ぼし去ろうと思いました。しかし、その中でノアは神のみこころにかなった歩みをする正しい人でした。このノアがいたからこそ、私たちが残されたのです。ノアの神への従順が私たちにいのちをもたらしたのです。私たちも神さまに従って歩み、いのちを伝えて行きましょう。(レッスン1)

神様はノアに箱舟を作るようにお命じになりました。その設計図は、多くの動物を入れるに十分な大きさで、しかも転覆しにくい寸法で浸水しにくい工夫までされていました。神は知恵あるお方なのです。ノアは神のことばに一言違わずに従いました。私たちも神の知恵に信頼して従いましょう。(レッスン2)

神はノアに箱舟に動物を入れるように命じました。そのあと、神はご自身が言ったとおりにされました。ノアは神に忠実でしたが、神もご自身のことばに忠実なお方です。気まぐれな感じで「やっぱりやめとくわ」とは言いません。洪水は来たし、約束どおりにイエスは来られたのです。
だから、聖書に書かれている神様の約束は必ずそのとおりになります。イエスは必ず世を裁くために戻って来られ、イエスを信じる私たちは救われます。神様は「やっぱりやめとくわ」とは言いません。私たちはご自身の言葉に忠実な神だからこそ信頼をよせて歩むことができるのです。(レッスン3)

ノアがすべての動物と家族を箱舟に載せたあと、扉を閉められたのは神でした。「この扉を閉めたら、他の人々は滅んでしまう」そう信じていたノアは扉を閉めることができなかったのです。神を信じていて心やさしいノアは、人々に最後まで「この箱舟に乗ってください!」と呼びかけていたのでしょう。
私たちも、たとえある人に神様の言葉を拒絶されるようなことがあっても、その人の人生を神が終えさせるときまで、神のことばを開き続け、祈り続けることが大切です。「あの人は神を拒んだんやからもうええわ」とは決して言ってはならないのです。ノアが最後まで扉を開け続けたように私たちも、神のことばを開き続けなければならないのです。でもやがて人生には終わりは来ますし、この世にも終わりがやってきます。それは神が必ずもたらすものです。神がノアの箱舟の扉を閉められたのは、裁きは人が行うのではなく、神が行うものであること、その裁きの責任はノアにはないということ、神のみことばを伝え続ける私たちには神を拒んだ方々が受ける裁きへの責任はないということを表しているのです。私たちがなすべきことはイエスの十字架という箱舟の扉が閉ざされる瞬間まで「ここに逃れてください」と叫び続けることなのです。(レッスン4)



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