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2011年2月11日 (金)

信仰は現実逃避か?

”信仰を持つってなんか現実逃避してるんじゃないか?”
と思ったことはありませんか? でも、現実ってなんでしょう? 私たちは本当の「現実」を捉えているのでしょうか?

でも、キリストへの信仰をもつことは現実逃避ではありません。

イエスの十字架を見上げることで、現実の自分に向き合い、周囲や社会と向き合い、そして自分の使命に向き合うことができるのです。
言い換えれば、主イエスに向き合えば向き合うほど人は真正面から物事に取り組むようになるはずです。もしそうでないなら、それはイエスでない別の誰かに向いているのです。

それはどういうことでしょうか?

自分の本当の現実に向き合うのはとても勇気のいることです。
私はメガネをかけていますが、度が合わなくなってきてメガネを新調したときに鏡で自分の顔をみるのがイヤでした。きれいな顔と思っていたのが、髭のそり残しや、あばたや吹き出物やそういったあまり見えていないものが見えてきてイマイチいけてない自分が見えて来るからです。

私たちも本当の自分をじっくり見ることをためらいます。
見たくない自分をそこに見てしまうからです。

でも本当の自分を直視できないと「この自分と家族」「この自分と友人や同僚」「この自分と今の仕事(あるいは勉学)」との関係でどのように生きていけばいいか判断できないはずです。

そういうこと、本当は気がつくべきなのに「自分のことくらいわかっている」とか「自分は赦されたいなんて思っていない」とか言ってしまうのが人間です。そしてそんな自分から、また私たちに手を延ばしてくださている神から逃げようとして彷徨っている。人はデフォルトでそういう行動に出てしまいます。

それは私たちの中にたしかに「罪」というのが存在するからです。
自分の罪を認めないという罪がそうさせているのです。

そして人は神から逃げるためなら、本当の自分から逃げるためならどんなことでもします。
勤勉に働くし、人のために尽くすこともします。そして「自分は大丈夫だ」と自分に言い聞かせたいのです。でも神は私たちのありのままの姿で受け入れてくださるのです。大丈夫じゃないことをやってきた自分を真っ白にしてくださるのです。

でも本当に意味のある人生を送りたいのなら、まずは本当の自分に向き合わないとダメです。

そしてそれは自分が赦されているのだということを知らないと、とても恐ろしくてできないことなのです。だから聖書は語り続けているのです。神からの罪の赦しを受け取りなさい、と。

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