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2011年4月18日 (月)

みことばカード(1コリント1:18):Santa Barbara, 教会の負の歴史。

子どもたちの春休みを利用して、Santa Barbaraというところまで行ってきました。下の写真はサンタバーバラのミッションですが、道中、いくつかのミッションめぐりをしてきました。

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カリフォルニアの小学4年生はスペインのカトリック宣教団がメキシコからカリフォルニアに建てたミッション(伝道所)についての課題が当てられます。長女もいろいろ調べてミッションに興味をもっていくつかを訪問しました。なにも知らずに行くと、神様のことを伝えようと先人たちは努力したと思って単純に感動します。でも実際はに起きたことはそんなに単純なことではないようです。

小学4年生のminoriが学んでいることは、原住民を無理矢理にカトリックに改宗させて、スペイン語を習得させ、奴隷のような労働を強要し、逃走すると兵隊が出動して捕らえていたという史実。そんな中でジュニペロ・セラ司祭は原住民に親切にしたので、彼らも逃走を図らなかったそうです。
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そこで、長女(10歳)の結論。
神様のことを伝えようとするのはいいけれど、信仰を強制するのはよくない。もしイエス様を信じることを断られたら、しばらく時間をおいてまた何度でも神様のことを伝えればよい。

わたしから長女への追加。「それが愛から出ている行為なのか」がとても大切だということ。

歴史で起きたことは起きたこと。教会に負の歴史があることも事実。それを隠すのではなくて、現実をしっかり見て、私たちはどうあるべきかを考えること、それが教育なのだと思います。

ただ、教会の負の歴史を語るときにとても大切なこと、それは、「教会が間違ったことをしてきた=聖書の教えが間違っている」ということではないということです。私たちには罪がある。これは真実。それには裁きがある。これも真実。しかし、神は愛であり、私たちの罪をあがなうためにその御子をお遣わしくださり、私たちの身代わりに十字架にかかり、わたしたちにいのちを得させる為に復活してくださった。このメッセージはわざわざここに書くまでもなく、なんども聞いていることだと思います。

私たちが人生を終えたときに、神の御前に立たされたときに、この十字架のメッセージを聞き入れたかどうかそれが訊かれます。そのときに”あのクリスチャンたちがあのようなことをしていたから私は信じませんでした。わたしが信じなかったのはあなたを信じているという人たちのせいです。つきつめて言えばそれはあなたのせいです”、と言うことはできないのです。

でも、だからといってクリスチャンも教会も自分たちの行動に責任はないのかというとそうではありません。だからこそ、クリスチャンは、そして教会は、このようなつまづきを生じさせることを極力裂けるように日々その行いとふるまいを正さないといけないのだと言えます。

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