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2011年6月 9日 (木)

本当の自分で祈るということ

悔い改めることなく神に何かを願うことはムシがよすぎることにやっと気がつきました。
これは罪を悔い改めて救いを願うという永遠の救いについて限ったことではありません。

捧げることができるようにと祈るときには自分の貪欲さ、ケチさ加減を悔い改めなければならない。
赦すことができるようにと祈るときには自分の執拗な恨み深 さを悔い改めなければならない。
困難にある人への助けを祈るときには、これまでのその人への無関心を悔い改めなければならない。
勤勉であることを願うならこれまでの怠惰を悔い改めなければならない。
誰かの成功の祝福を祈るときには、自分の羨む心を認めなければならない。

祈るときに は自分の本当の姿を棚上げして美しい言葉で飾るのではなく、自分の今の状態を正直に告白して本当の自分として祈るべきだと思わされました。


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(写真:ウィスコンシン州のバイソン牧場)


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