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2011年7月

2011年7月20日 (水)

5つのメッセージとひとつの約束

最近はキリスト教ブームという感じで、去年あたりから雑誌でもキリスト教特集が組まれてあったり、聖書についての本が一時的にベストセラーになったりして、キリスト教や聖書への人々の関心がこの震災がおきる前から高まってきているのをインターネットを通じて感じています。

最近も、ある牧師が書いた聖書に関する書物がベストセラーになったりして「なにが正しいことなのか」「よりよく生きるとはどういうことか」を探り求める人々の答えがもしかしたら聖書にあるのではないかと思っておられるのではと思います。もしかすると震災があったことで、そういうニーズが高まっているのかもしれないです。

聖書を読めばこんな人間になれます、とか、こんな良いことがありますとかいうことを「ウリ」にしてしまうことはよくありがちだけど、そんなことをしてしまえば、聖書を自己啓発書とかスピリチュアル本のようなものへと格下げしてしまっていることになるのではないでしょうか。

信仰をもたない人は別にして、信仰を持っているのであれば、聖書のそこが「ウリ」でないことは知っているはずです。それなのに、あたかもそうであるように伝えるのは、真実な態度ではないと思います。それは聖書をあまり読んだことのない人に受け入れられやすくするためにとか言いながら、聖書と真面目に向かい合おうとしている人に対して失礼なことです。
聖書に興味のある人であれば、自己啓発書の類いなら読んでいるでしょうし、聖書のなんたるかくらいはある程度知っているはずです。だから真摯な姿勢でこれが聖書の真実だと知っていることを伝えるべきです。

だからもう、そういう風に聖書を「売り込む」のはやめにしたいです。
たしかに聖書には、自己啓発書っぽいこととか、人生を生きていくために示唆に富んだ言葉に溢れています。でもそれは、プレゼントの包装紙、ステーキにそえる人参ソテー、カレーライスにつける福神漬けみたいなもの。

嘘ではなくても、そこにそのような本質でない部分を強調することで、聖書という書物を「どこにでもある啓蒙書のひとつ」にしてしまっているのです。でも聖書はそんな書物ではない。

また、聖書には、この世での成功とか、より幸せな人生とかそういったものを約束していません。
逆に、神に従って歩んで来た人々がどのような困難に晒されたのかというストーリーで溢れているのです。聖書にはご利益はないのでしょうか。ないです。わたしたちが考えているようなご利益はない。

なのに、なぜ、聖書がこのように読み継がれ、それによって生き方を変えられた人々によって文化が花開き、歴史が動かされて来たのでしょうか。それは、単なる「生き方指南書」みたいな本を越えた何らかの力が聖書にあるから、そして、単なるご利益以上の祝福が書かれているからだと思うのです。

聖書に書かれているメッセージは、本質的には次の5つ。そして約束されていることはひとつだけだ、と私は思います。(あくまでわたしの見解です)

聖書のメッセージ1:神はどのようなお方か。
聖書のメッセージ2:私たちはどのような存在なのか。
聖書のメッセージ3:このような神が、このような私たちに何をしてくださったか。
聖書のメッセージ4:そして私たちはそのことに対してどのように応えるべきなのか。
聖書のメッセージ5:私たちの選択に対して神はどのようにお応えになるのか。

聖書の約束:イエス・キリストを主と告白するものには、神はいつまでもともにいて下さる。

これを読めば、こういうふうに成功しますとか、よりよい人生になりますとか、そういうちっぽけなことを書かれているのが聖書ではないのです。天地万物の創り主である全知全能の神があなたとともにいてくださいます、という大きな大きな約束が語られているのです。

神がともにいてくださる。

この他に何を足さなければならないのでしょうか。
何も足す必要もないし、何を足しても意味がありません。聖書はくりかえし、くりかえし、これらのことを語る書なのです。Img_9099
(写真:長女minori (10歳)撮影 Canon Power Shot SD750)


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2011年7月19日 (火)

Finish Strong!! なでしこジャパンの快挙。

サッカー女子ワールドカップ決勝戦。

アメリカは絶望的に強かった。でも・・・・勝った!
強い相手にも勝てる、そういうことを教えていただきました。

彼女たちの活躍を見てこれらの聖書箇所を思い出しました。

兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14)

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。(1コリント9:24-25 新改訳 )

なでしこジャパンのようにあきらめずにゴールを目指して残りの留学生活を頑張りたい、そのように思わされました。

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