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2011年8月

2011年8月26日 (金)

四年間のカリフォルニア

カリフォルニアで最もよかったのは出会った人々です。カリフォルニアで得たものといえば、友。そして、カリフォルニアで学んだことは自分の人としてのあり方を立ち止まって考えることの大切さ。

こういう経験はふだんでも、またカリフォルニアまで行かなくてもできることです。でも、私たちは日常の生活のなかで「あたりまえ」と思っていることがらのもつ素晴らしさに目を閉ざされているのだと思います。わたしは太平洋を渡ることで、人と向き合い、神と向き合い、そして自分自身と向き合うことができました。

これまでの「あたりまえ」があたりまえでなくなったとき、それは何かを発見するよいチャンスです。それは帰国後の私にとっても、震災に直面した日本の方々にとってもそうなのだと思います。

さて、私には誰にも持ち去ることができない素晴らしい宝があります。

その宝は、誰ともシェアできるし、手渡すことさえ出来ます。それでもその宝はわたしのものです。

それはキリストに表された神の愛。御子を通して与えられた永遠のいのち。
それはキリストゆえに私たちが仕える人々や場所。
それはキリストにある神の家族の交わり、一緒に過ごした時間。
神が下さる宝はこのようなもの。誰にでもシェアできるのに、誰にも奪えない。神は実にそのひとり子イエスを私たちに与えて下さった。このお方こそ、王の王、主の主。

私たちは目を開いてこのような宝に目を止めるべきです。それを取って、肌身離さずにすべきです。そして、キリストに結び合わされてそれらを抱きしめるべきなのです。

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2011年8月16日 (火)

毎日泣いている次女へ

次女が毎日泣いている。
カリフォルニアを去るのがイヤだと泣いている。

「もし、友達が出来なかったら?意地悪されたら?日本の学校の勉強が難しくてついていけなかったら?」その不安はもっともで、どうもこうも解決できないよね。どんなに笑顔をつくっても、どんなに勉強を頑張っても、不安は不安だろうね。でも思い煩わなくてもいい理由はあるんだよ。

それは神様にゆだねることだよ。神様はあなたのことを気にかけているかいないか?
ーいるよね。

神様は善いお方か悪いやつか?
ーもちろん善いお方。

じゃあ、神様はあなたの心配をご存知か?
ーそりゃ知っている。

でっ、神様にできないことはあるかないか?
ーないでしょ。

神様はお祈りを聞いて下さるか?→
ー(神さまはお祈りを)耳をダンボにして聞いてる。

あなたが泣いていたら神様は「そんなしょうもないことで泣くな!!」と怒るか?
ー怒らない。

悲しければ神様に悲しい気持ちもあずけてごらん。「神様、ayumiは悲しいです」って言い。神様「そんなん知るか」とは言わへん。きっとこう言う。

"I am with you" (私も同じ気持ちだよ)

そういって神様はともにいて下さる。だから心配事があったら、悲しい気持ちがあったら、神様に言いなさい。

・・・この会話のあと、次女は泣くのをやめ「そうか」という顔になった。
話している自分も「そうか・・・」と思い気持ちが落ち着きました。

「わたしはあなたとともにいる(I am with you)と言って下さる神は実は「わたしは地の定まるずっと前から、また限りなく続く永遠の永遠までずっとずっとあなたとともにいる(I AM with you)」と言っておられるのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4:6-7)

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイの福音書28:20)

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2011年8月 2日 (火)

Big Sur Lodgeにて(8/2/2011)

Big Sur Lodgeにて(8/2/2011)

カリフォルニアで過ごす最後の夏の思い出に3泊4日でMt.HermonBig Surにやってきた。

一日目。Bible101のBBQのあと:
Mt.HermonにやってきてFernando Ortegaのコンサート。
二日目。緑に囲まれたチャペルで礼拝をし、午後はRedwoodの森林を散策。
カーメルでシーフードを食べてBig Surに来た。
三日目の午前がPfeifer SPの散歩、プール。午後はPfeifer State Beach、滝、灯台などを回った。

Big Surから青く、どこまでも続く太平洋を見ていると、神の偉大さ、自分の小ささが見えてくる。
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自分は小さい。人生は短い。
神は偉大。その王国は永遠に続く。

自分がこの先、どうすればよいのかということより、
今、自分は神に従っているか、
自分の人生を神にゆだねているか
そのことが大切に思えてきた。

そして、この四年間、本当にたくさんの素晴らしい経験をさせて下さったことを主に感謝した。

まだまだ人生やりたいことはたくさんあるけれども、いつ死んでもいいくらい幸せな日々を送らせていただいた。

”いつ死んでもいい”

そう思うことはネガティブなイメージがあるけれど、私はそう思える経験をしたことで、どんな困難にも立ち向かって行けるような気がしてきた。

つらいことがあったら、カリフォルニアの日々を思い出そう。
美しいスタンフォードのキャンパスと、そこで働いた仲間たち。
Peninsula Bible Churchの礼拝、メンズバイブルスタディ、そしてBible 101 in Japanese (日本語の聖書の学び会)。
アラスカ、ヨセミテ、グランドサークル、イエローストーン。
カリフォルニアの青い空と美しい海岸、どこまでも広い太平洋。

”あの時はよかった。戻りたい”ではなく、
”あの時はよかった。だから今がんばろう”と思いたい。

今、Big Sur Lodgeのキャビンにある暖炉の火を見ている。
昔はこうやって薪を割って、暖炉に焼べて、そして、灰を肥料にして畑にまいていたのだ。日々生きていくための営みにじっくり時間をかけていたのだ。でも、今は、生きていくために必要なもの以上の”何か”を求めて、効率や便利さを求め、そして生きていくためには不要な何かを得て、人生を生きた気になっている。

私もすでに40歳になったから、これができないといけないとか、これを持っていないといけないとか、そういうことを考えて不安になっている。

もともと短い人生、何を急いでいるのか。

自分が考えている40歳の自分じゃないなら、自分を30歳と思えばよい。
40歳と30歳、何の違いもありはしない。

暖炉の焚き木は面白い。
火をつけるとき、二つくらいを並べておく。
この二つに火がついたら、それに垂直に薪を置く。
すると、もともと燃えていた木がさらに燃える。

新しいクリスチャンに信仰を燃やされるクリスチャンみたいだ。

また、火が弱くなったときには、木の配置を変えたり、息をふきかけると、再び強くなる。

人の信仰も同じようにちょっとした人との関わりが神様によって導かれたり、神様から息を吹きかけられたりして、再び信仰の炎を燃え上がらせる。

そして、燃えて光と熱を発するということには二つの意味がある。
ひとつは、他の薪に火を移らせること。これは、信仰の伝搬であり、信仰の継承といえる。
そしてもうひとつは、自分自身がどんどん小さくなること。
信仰の炎が強くなるにつれて、人は炎を見て木を見なくなる。
私も誰かが私を見るときに、
”この人をこのようにさせている神とはどういうお方なのだろう”という思いを与えられるように自分を小さく、神を大きくしたい。

そして、炭となってくだけたものにも役割がある。
それは、燃えさかる木の炎を下から支える役割。

リタイヤしても祈りで支えることができるということだ。

今、暖炉の火はほとんど消えた。
ものごとにはいつか終わりが来る。
カリフォルニアの日々も終わるし、
自分の人生も終わる。
そして、この世界もいつかは終わる。

しかし、神には終わりがない。
そして、私はこの神に生かされて今を生きている。

2:02AM

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2011年8月 1日 (月)

日本語バイブルスタディ(Bible Study 101 in Japanese) の皆様へ

こちらで日本語での聖書の学びを教会でリードしてきましたが、わたしたちの帰国にあたり、次のメンバーに引き継ぐことになりました。(参加ご希望の方は、こちらまでメールください)7月の終わりの日にこのバイブルスタディのメンバーが恒例の夏のBBQの中で私たちのためにお別れ会をしてくれました。

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その夜、私たちはMt.Hermonというところに出かけたのですが、そこでバイブルスタディのメンバーにあててお手紙を書きました。

日本語バイブルスタディ(Bible Study 101 in Japanese) の皆様へ

先日はBible 101のBBQにおいて、皆様からの心温まる言葉をいただき、本当に有り難うございました。

皆様には「さよなら」を言いたくはないのですが、今になって本当にもうこのような形でみなさまとご一緒する機会がないのかもしれないと思うと寂しい気持ちがこみ上げてきます。

たくさんの親切な言葉に”ほめられるのはイエスさまであって、私たちではない”と受け取るのに抵抗を感じていましたが、今は素直に感謝して受け止めたいと思っています。

それはなぜかというと、たしかに私の中にも”ほめられたい”とか”感謝されたい”という思いはありますし、それは悪いことだとは思わないこと、そして、みなさまのやさしさや感謝の言葉が、神様から私たちへのプレゼントであると思うからです。

Bible 101のあり方を探っている段階から忠実に出席し続けて、私たちと重荷を分け合って下さったAさんファミリー。
とくに女性たちに福音を伝えるために規代と歩みを共にして下さったSさん。
日本人への重荷をもって参加して下さっていたYさん。
ひとりひとりが、様々な形でこのグループに加えられて、ひとつひとつの出会いが私たちにとってのかけがえのない宝となっています。

それは、私たちが何をしたからというのではなく、神様がこのようにコーディネイトして結びつきを与えてくださったことは明らかです。

Bible101に集まって下さった皆さんご自身が神の御手が今も私たちの上に働いておられることの証しです。そして私たちは聖書の学びを通して、楽しい交わりを通して、祈りあうことを通して、そして互いに仕えあうことを通して、神様の素晴らしさを見つめ、賛美し、この神を世に証ししていくことをしてきたのだと思います。

今になって私は”ああ、この仲間を心底求めていたのは私だった。私の隣りに立って一緒に神様を見上げてくれる友を求めていたし、そのような友を得たのだ”と思います。

Bible101はPBCに集う女性たちとその家族に聖書を説明するために始めたものでした。
しかし、今はこのベイエリアのいろいろな町のいろいろな教会からクリスチャンが集められ、ノンクリスチャンの方々も輪の中に加えられています。
私たちの想像しなかった形になているけれども、とてもユニークな素晴らしいグループになっていることからも神様の御手の計画を感じます。

キリストにあってひとつにされること、
お互いに認めあって、尊敬しあえる群れであることに何か強さをも感じます。

本当に神様の御名を褒めたたえたいです。

どうか皆さん。今つないでいる手を離さないで下さい。私たちは不完全で、不従順で、傷つきやすくて、弱いひとりひとりです。明日の見えない中で不安だらけです。

でも私たちはキリストにあってひとつです。
私たちはどんな時もキリストを楽しみ、お互いを喜ぶことができるのです。

本当に皆さん。手をつないで天の御国に至る勝利の行進を、これからもともに続けていきましょう。

最後に、日本人特有の恥ずかしさと、自分への自信のなさから言えなかったことを書いて祈りとともにこの手紙を閉じたいと思います。

私は皆さんのことを心より愛しています。

2011年7月31日(日)Mt. Hermonにて
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(写真:Mt.Hermon Conference Center, CA)

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