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2012年5月

2012年5月 2日 (水)

公式?留学報告 : つながりたい思い、つなげたい願い。

医局の同窓会誌に掲載される予定ですが、少しあらたまった留学報告書を書きました。
ブログを(いつか)終えるにあたり、ここでも紹介したいと思います。

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留学報告  つながりたい思い、つなげたい願い。      アメリカ西海岸スタンフォード大学での4年間

留学からの帰国を半年後に控えたある日、書類を整理していると昔の自分が書いた一通の手紙のコピーが出て来ました。

“将来は留学や国際学会などに積極的にチャレンジし、世界の医師と協力しあい、世界的なレベルにおいても小児医学に貢献できるような働きをしたいと願っております。(1996年10月、医学部6年:○◯大小児科入局志望動機)”

わたしの国際学会デビューはその8年後でした。さらに2年後の学会で3回目のアメリカ国内での学会発表で後のボスとなるA先生との出会いがあり、電話インタビューとラボ訪問を経てStanford University School of MedicineのDepartment of Neurology and Neurological Sciencesのポスドク(博士研究員)として4年間 (2007年9月〜2011年8月)、研究留学をすることになりました。アメリカ西海岸の名門大学で、自分が持ち込んだ院生時代のプロジェクトを発展させた研究テーマ、年俸も約束されて、すべての希望が叶った形での留学となりました。

スタンフォード大学は米国カリフォルニア州のサンフランシスコ市郊外にあるハイテクIT産業のメッカであるシリコンバレーと呼ばれる地域にあります。気候は過ごしやすく治安も良い分、物価はハンパなく高いのですが、地域には日本人(日系アメリカ人も含めて)が多く、暮らしやすい場所でした。スタンフォード大は自由でオープンな雰囲気の中に世界のトップ、そして最先端であることを目指すという“明るいハングリー精神”があります。スタンフォード大学の卒業式でアップルの元CEOの故スティーブ・ジョブズ氏が訴えかけた”Stay hungry, Stay foolish”の精神が息づいているようです。スタンフォード大だからトップを走っているのではなく、トップを走り続けているからスタンフォード大なのだと思わされます。

このように恵まれた環境の中でしたが、最も困ったのは先述した物価の高さ(とくに家賃と教育費)でした。ツーベッドルームの家賃が2500ドル/月という地域でしたので、ポスドクの給料だけでは追いつかず、毎月が「特大」赤字。渡米当時は1ドル=120円の時代でしたから、毎月の収支を見ながら、これではもたないと焦る日々でした。そういう困窮状態のために、フェローシップ(給与に当てられる研究助成)を獲得するために火のついたように申請書を書き続けました。幸い渡米後4ヶ月後にDean's Fellowshipから、さらに半年後にはAmerican Heart Associationから、そして翌年はStanford University Child Health Research Institute からの助成を獲得し、ついでに、低所得者向け家賃補助プログラムにもあたってなんとか生活を続けることができました。

スタンフォード大では、様々な国や地域からの多くの人たちとつながることが出来ましたし、研究に関するディスカッションも大いにしました。ラボではミーティングのオーガナイザーや、二人の大学院生と学部学生の教育係を任され、他のラボのポスドクとの交流も盛んでした。また、Journal of Visualized Experimentに依頼されて作成した新生児HIEモデルの実験方法の動画は掲載後半年くらいで視聴が1万回を突破し(2012年4月現在の視聴回数は3万回)、世界各地から多くの質問や相談がよせられました。また、学会でも口頭発表(1回)やポスター発表(3回)だけでなくHIE研究のパイオニアであるV教授から共同座長を依頼されるなど、同じ分野の研究をしている仲間に加えていただきました。

それと同じくらい大きな収穫だったのは、異国での日本人どうしのつながりです。いろんなことで助けあうのはもちろんですが、アメリカだと、ただ日本人であるというだけでお互いにつながりたいと思うのが新しい発見でした。それは東日本大震災のときには顕著でした。多くの日本人が協力しあって、チャリティイベントが震災後、継続的に行われ、寄付金を集めていました。それは祖国のために協力しあっているマイナリティである日本人たちをアメリカ人たちが応援してくれるという麗しい構図でもありました。私たちも海の向こうで起きている悲劇に際して、日本国内で祖国を心配している人たちにどう寄り添えるのか。そこから国際交流が始まるような気がします。なので、日本人どうしがちゃんとつながりあうことなしに海外の人たちと手を結びあうというのは無理な話だし、日本にいる外国人に親切にすることなしに海外に手を差し伸べるというのも不自然なことなのかもしれません。普段からそういう意識をもっていること、それが国際感覚というものではないでしょうか。私が四年間、太平洋の向こう岸に立ってみてわかったことは、この偉大な太平洋はここから始まって日本につながっている、日本からはじまってここに繋がっているということでした。同じように、世界へと通ずるつながりとかネットワークというものは、本当に身近なところからはじまるのだと思うのです。

留学中の仕事の一部を発表した論文をもとにした研究計画は幸いにも帰国後に科研(基盤C)をいただくことができました。これからも臨床のバックグラウンドを生かした研究を続けていきたいと思っていますし、できれば後輩の皆さんがさらに発展させていってくださるような新しいこともチャレンジしていきたいとも思っています。そういう願いとか研究そのものというものは、ある意味、灯火(ともしび)のように喩えられるかもしれません。わたしが持っている灯火は、小さなものではあっても指導いただいた先輩方やしんどい思いをした赤ちゃんやご家族からいただいた大切な灯火です。そして、HIEの後遺症とともにある子どもたちやご家族にとっては、“小さくてもそこにある光“なのかもしれないです。その大切な灯火をさらに大きくさせること、そしてその灯火を絶やすことなく、同じように重荷を持って下さる方々へとつなげていくことで、病気の子どもたちを先に見据えた研究をさらに発展させていきたいと願っています。

謝辞:本報告にあたり、この留学を支えてくださったK教授、M教授、副センター長のK先生をはじめ○◯大小児科の皆様にあらためて感謝致します。そして海の向こうにまでついて来てくれた妻と二人の娘たちに心からの感謝を送ります。

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証し:吹田聖書福音教会にて

先日(2012.4.27-28)、吹田聖書福音教会において証し礼拝というものがありました。

クリスチャンって、みんなどのようなきっかけでなるのだろう?
クリスチャンになったら、何が変わるのだろう?

クリスチャンでない人には、そのような疑問があるのではないかと思います。
今回、私を含めて4名のクリスチャンが「証し」という形でこのような疑問に答えるべく、実際に自分たちの身に起きたことや、心に生じた変化などを分かち合いました。
「証し」というのは、「神様がわたしにこんなことをして下さいました」とお話することです。
それによって、神様が確かに生きて働いておられるお方であること、私たちひとりひとりを大切に思ってくださっていることを「証し」するものです。

以下が、先日の礼拝でお話した内容です。よろしければお読み下さい。

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キリストとの出会い

私の両親はクリスチャンで、幼い頃から教会学校でキリストの話を聞いていました。 しかし、自分から神様に従いたいという気持ちはあまりなく、小学校2年生ごろに 教会に通うのはやめました。そんな中、わたしは自分勝手に普通の小中学生として 過ごしていました。小学校高学年になると、授業を妨害したり、学校でたばこを吸 ってみて親が呼び出されたりする「普通の」小中学生でした。

中学 3 年生のころ、ある友達と度々もめ事がありました。そして、中学卒業のとき にどうしてもゆるせないことがあり、その友人を殺してしまいたいと真剣に考えま した。いろいろ方法を考えていたところ母が英会話に通っていた教会から「高校生 のための聖書合宿があるから行かないか」とお誘いがありました。幼い頃の記憶で は教会といえば同年代の子と遊ぶところと思っていましたので、私はむしゃくしゃ していましたし、女の子とでもあって気を紛らわそうくらいの気持ちで参加しまし た。

そこで牧師のメッセージがあり、このように語られました。
“ここにあなたを連れて来たのは神様です。あなたには憎んでいる人がいる でしょう。神樣があなたをゆるして下さるのだからあなたもその人をゆるし、その人の祝福を祈りなさい。“

“神はボクのことを知ってる“と思いました。非常な恐れとともに神を受け入れ、 キリストの十字架が自分の罪の赦しのためであったと感謝する祈りをしました。そ の合宿で私は女の子と出会うどころかキリストに出会い帰ってきたのです。そして 帰宅して次の日、新しい心で新聞を開くと同級生を殺した高校生の記事が載ってい ました。しかもその手口が私がまさにやろうとしていた方法だったのです。自分は もしかしたらこの新聞に載っていたのかもしれない、しかし神は寸でのところで私 を止めてキリストに出会わせてくださったのだと思いました。

神様の成功体験

私はその後、小児科医となり海外での研究活動を希望していたところ、アメリカの カリフォルニア州にあるスタンフォード大学に研究留学の道が開かれました。そこは日本人が多い地域ですが日本人のクリスチャンは少なく、自分たちが福音を伝えなければならない、という危機感を募らせました。妻とわたしはクリスチャンでない人たち をお誘いして日本語バイブルスタディ(聖書の学びの会)を始めました。

はじめは数人が集っていたバイブルスタディは、数ヶ月で参加者がやめていき誰も 来なくなりました。何度も「家族だけやったら、家でバイブルスタディしたらい いのでは?」という自問し、その度に「いや、今日は神さまが誰かを導いてくださるかもし れない。いつも決まった時間に必ずそこにいるということが大切なのだ。」と答え ていました。すると私たちの中に自然と、

”これは日本人の人たちのためにしていることではない。これは実は神様にお捧げしている奉仕なんだ”

という思いが芽生え、喜んで待つことができるようになりました。数ヶ月後、神様は少しずつメンバ ーを加えてくださり、最終的には 20 名ほどが参加する楽しい学びと交わりの会と なりました。参加者はいろいろな教会に集う日本人クリスチャンたちが多くなり、 クリスチャンでない人も気兼ねなく参加できる家族のようなグループを神様は作って下さいました。はじめた経緯も不思議だったのですが、予想もしないような展 開に神様の見えざる手を見させていただいたような気がしました。神様はささげた ものを無駄になさらないのだということ、それはまさに「神様の成功体験」と呼ぶ べきものでした。

何百倍も素晴らしい人生

異国の地で不安と悩みの中にある日本人の方々になんとかしてキリストのことを 伝えたい、と祈っていたときに私は神様からこのような語りかけを受けたように感じました。

「あなたの人生をたった一人の魂の救いのためにだけ使うとしたも、あなたは私に すべてを明け渡してくれるだろうか?」

ひとりの魂の価値は何よりも重いのです。 私は「主よ。喜んで。わたしをその人のためにお使い下さい。」 と祈りの中で答 えました。

「もしかしたら、その人が救いに至るのを見ることができないかもしれない。その人の為に祈り、聖書を分かち合うためだけならどうか。」

私は思ったのです。自分 の労苦の成果をみたいと思うのは肉の思い。『はい、主よ。それがあなたのご計画 でしたら。』人の目には「たったそれだけ」と思われることでも、それが神のみこころならば、それでよいと思いました。『私のこれまでの人生がその小さなことの ためであったとしたらなんと素晴らしいことでしょう。あなたが私のためにご計画 されていることが誰かにちょっとした親切をすること、教会に誘ってみること、な んであっても、あなたのご計画であれば人生を捧げられます。』

私は、予備校時代を乗り越えて医学部に入って、つらく厳しい研修医時代をへて、 苦労して大学院を出て、夢を抱いてカリフォルニアまでやって来ていたのでした。 これらの苦労がたったひとつの小さな働きのためであっても、私を造り、愛し、導 かれた神様のご計画であったのならば、それは非常に価値のあることだと思えるよ うになりました。 そう考えると日々、小さなことに忠実に神に従うことがキラキ ラと輝き始めました。誰かに愛をもって接するように努めること、「わたしはクリスチャンです」と言うこと、「聖書を読みませんか?」と声をかけること、教会の イベントを知らせること。それらひとつひとつは人生をかける価値のある奉仕なのです。 クリスチャンとして生きるということは、そのように価値のある機会に囲 まれて生きること。人の一生の価値に値する働きを毎日のように行って、これまで の何百倍も価値のある人生を生きることができるのだ、これが神を信じる私たちに 与えられた特権なのだとわかりました。これは神を知らずに生きて来たときとは比 べ物にならないほどの大きな大きな恵みです。 この恵みに目をとめると「この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、その人は決して報いに漏れるこ とはない」とか「天に宝を積みなさい」とか「小さいことに忠実なものは大きいこ とにも忠実だ」とかいうキリストの言葉が現実味を帯びて来ます。神が備えられた 豊かな人生。それは、私たちひとりひとりに与えられた神さまからの贈り物なのです。

「わたしが来たのは、いのちを、あふれるほど豊かに与えるためです。」 (新約聖書 リビングバイブル ヨハネ 10:10)

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