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2012年5月 2日 (水)

証し:吹田聖書福音教会にて

先日(2012.4.27-28)、吹田聖書福音教会において証し礼拝というものがありました。

クリスチャンって、みんなどのようなきっかけでなるのだろう?
クリスチャンになったら、何が変わるのだろう?

クリスチャンでない人には、そのような疑問があるのではないかと思います。
今回、私を含めて4名のクリスチャンが「証し」という形でこのような疑問に答えるべく、実際に自分たちの身に起きたことや、心に生じた変化などを分かち合いました。
「証し」というのは、「神様がわたしにこんなことをして下さいました」とお話することです。
それによって、神様が確かに生きて働いておられるお方であること、私たちひとりひとりを大切に思ってくださっていることを「証し」するものです。

以下が、先日の礼拝でお話した内容です。よろしければお読み下さい。

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キリストとの出会い

私の両親はクリスチャンで、幼い頃から教会学校でキリストの話を聞いていました。 しかし、自分から神様に従いたいという気持ちはあまりなく、小学校2年生ごろに 教会に通うのはやめました。そんな中、わたしは自分勝手に普通の小中学生として 過ごしていました。小学校高学年になると、授業を妨害したり、学校でたばこを吸 ってみて親が呼び出されたりする「普通の」小中学生でした。

中学 3 年生のころ、ある友達と度々もめ事がありました。そして、中学卒業のとき にどうしてもゆるせないことがあり、その友人を殺してしまいたいと真剣に考えま した。いろいろ方法を考えていたところ母が英会話に通っていた教会から「高校生 のための聖書合宿があるから行かないか」とお誘いがありました。幼い頃の記憶で は教会といえば同年代の子と遊ぶところと思っていましたので、私はむしゃくしゃ していましたし、女の子とでもあって気を紛らわそうくらいの気持ちで参加しまし た。

そこで牧師のメッセージがあり、このように語られました。
“ここにあなたを連れて来たのは神様です。あなたには憎んでいる人がいる でしょう。神樣があなたをゆるして下さるのだからあなたもその人をゆるし、その人の祝福を祈りなさい。“

“神はボクのことを知ってる“と思いました。非常な恐れとともに神を受け入れ、 キリストの十字架が自分の罪の赦しのためであったと感謝する祈りをしました。そ の合宿で私は女の子と出会うどころかキリストに出会い帰ってきたのです。そして 帰宅して次の日、新しい心で新聞を開くと同級生を殺した高校生の記事が載ってい ました。しかもその手口が私がまさにやろうとしていた方法だったのです。自分は もしかしたらこの新聞に載っていたのかもしれない、しかし神は寸でのところで私 を止めてキリストに出会わせてくださったのだと思いました。

神様の成功体験

私はその後、小児科医となり海外での研究活動を希望していたところ、アメリカの カリフォルニア州にあるスタンフォード大学に研究留学の道が開かれました。そこは日本人が多い地域ですが日本人のクリスチャンは少なく、自分たちが福音を伝えなければならない、という危機感を募らせました。妻とわたしはクリスチャンでない人たち をお誘いして日本語バイブルスタディ(聖書の学びの会)を始めました。

はじめは数人が集っていたバイブルスタディは、数ヶ月で参加者がやめていき誰も 来なくなりました。何度も「家族だけやったら、家でバイブルスタディしたらい いのでは?」という自問し、その度に「いや、今日は神さまが誰かを導いてくださるかもし れない。いつも決まった時間に必ずそこにいるということが大切なのだ。」と答え ていました。すると私たちの中に自然と、

”これは日本人の人たちのためにしていることではない。これは実は神様にお捧げしている奉仕なんだ”

という思いが芽生え、喜んで待つことができるようになりました。数ヶ月後、神様は少しずつメンバ ーを加えてくださり、最終的には 20 名ほどが参加する楽しい学びと交わりの会と なりました。参加者はいろいろな教会に集う日本人クリスチャンたちが多くなり、 クリスチャンでない人も気兼ねなく参加できる家族のようなグループを神様は作って下さいました。はじめた経緯も不思議だったのですが、予想もしないような展 開に神様の見えざる手を見させていただいたような気がしました。神様はささげた ものを無駄になさらないのだということ、それはまさに「神様の成功体験」と呼ぶ べきものでした。

何百倍も素晴らしい人生

異国の地で不安と悩みの中にある日本人の方々になんとかしてキリストのことを 伝えたい、と祈っていたときに私は神様からこのような語りかけを受けたように感じました。

「あなたの人生をたった一人の魂の救いのためにだけ使うとしたも、あなたは私に すべてを明け渡してくれるだろうか?」

ひとりの魂の価値は何よりも重いのです。 私は「主よ。喜んで。わたしをその人のためにお使い下さい。」 と祈りの中で答 えました。

「もしかしたら、その人が救いに至るのを見ることができないかもしれない。その人の為に祈り、聖書を分かち合うためだけならどうか。」

私は思ったのです。自分 の労苦の成果をみたいと思うのは肉の思い。『はい、主よ。それがあなたのご計画 でしたら。』人の目には「たったそれだけ」と思われることでも、それが神のみこころならば、それでよいと思いました。『私のこれまでの人生がその小さなことの ためであったとしたらなんと素晴らしいことでしょう。あなたが私のためにご計画 されていることが誰かにちょっとした親切をすること、教会に誘ってみること、な んであっても、あなたのご計画であれば人生を捧げられます。』

私は、予備校時代を乗り越えて医学部に入って、つらく厳しい研修医時代をへて、 苦労して大学院を出て、夢を抱いてカリフォルニアまでやって来ていたのでした。 これらの苦労がたったひとつの小さな働きのためであっても、私を造り、愛し、導 かれた神様のご計画であったのならば、それは非常に価値のあることだと思えるよ うになりました。 そう考えると日々、小さなことに忠実に神に従うことがキラキ ラと輝き始めました。誰かに愛をもって接するように努めること、「わたしはクリスチャンです」と言うこと、「聖書を読みませんか?」と声をかけること、教会の イベントを知らせること。それらひとつひとつは人生をかける価値のある奉仕なのです。 クリスチャンとして生きるということは、そのように価値のある機会に囲 まれて生きること。人の一生の価値に値する働きを毎日のように行って、これまで の何百倍も価値のある人生を生きることができるのだ、これが神を信じる私たちに 与えられた特権なのだとわかりました。これは神を知らずに生きて来たときとは比 べ物にならないほどの大きな大きな恵みです。 この恵みに目をとめると「この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、その人は決して報いに漏れるこ とはない」とか「天に宝を積みなさい」とか「小さいことに忠実なものは大きいこ とにも忠実だ」とかいうキリストの言葉が現実味を帯びて来ます。神が備えられた 豊かな人生。それは、私たちひとりひとりに与えられた神さまからの贈り物なのです。

「わたしが来たのは、いのちを、あふれるほど豊かに与えるためです。」 (新約聖書 リビングバイブル ヨハネ 10:10)

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コメント

讃美歌370番の歌詞を捜していてこのブログに行き当たりました。証しを読ませていただき大変感動しました。私は現在シンガポール日本語キリスト教会で牧師をしています。その前はジャカルタで7年間、札幌で12年間牧会しました。ジャカルタで一緒に教会生活をした姉妹の実家が吹田聖書福音教会の近くで、高木先生の奥様から「恵みによる信仰生活」を10巻いただきました。以前から高木先生の著書には多くを教えられています。これからもクリスチャン小児科医師として用いられて行きますようにお祈りいたします。

投稿: 松本章宏 | 2015年12月27日 (日) 11時34分

初めまして。
教会での証、私も聞いてみたかったです。
このブログが始まった頃、母教会の「吹田聖書福音教会」と検索していたら、見つけました。それ以来、こっそり読ませていただいていました。
ご帰国されてから、ブログか更新されていなかったので、もう終わってしまうのかな、と思っていました。

ステキな証の掲載を、ありがとうございます。
同じ母教会の人が、海外で神様の働きをされているのを拝見し、大変励まされました。
ブログには沢山の聖書のみ言葉が書かれていて、いつもすごいなあ・・・と思っていました。

日本に戻られると、いろいろと雑用等でもお忙しいでしょうが、お仕事に、研究に、教会の活動に、ご家族の上に主の恵みがありますように。

投稿: かえるの子育て | 2012年12月31日 (月) 22時52分

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