研究

2012年5月 2日 (水)

公式?留学報告 : つながりたい思い、つなげたい願い。

医局の同窓会誌に掲載される予定ですが、少しあらたまった留学報告書を書きました。
ブログを(いつか)終えるにあたり、ここでも紹介したいと思います。

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留学報告  つながりたい思い、つなげたい願い。      アメリカ西海岸スタンフォード大学での4年間

留学からの帰国を半年後に控えたある日、書類を整理していると昔の自分が書いた一通の手紙のコピーが出て来ました。

“将来は留学や国際学会などに積極的にチャレンジし、世界の医師と協力しあい、世界的なレベルにおいても小児医学に貢献できるような働きをしたいと願っております。(1996年10月、医学部6年:○◯大小児科入局志望動機)”

わたしの国際学会デビューはその8年後でした。さらに2年後の学会で3回目のアメリカ国内での学会発表で後のボスとなるA先生との出会いがあり、電話インタビューとラボ訪問を経てStanford University School of MedicineのDepartment of Neurology and Neurological Sciencesのポスドク(博士研究員)として4年間 (2007年9月〜2011年8月)、研究留学をすることになりました。アメリカ西海岸の名門大学で、自分が持ち込んだ院生時代のプロジェクトを発展させた研究テーマ、年俸も約束されて、すべての希望が叶った形での留学となりました。

スタンフォード大学は米国カリフォルニア州のサンフランシスコ市郊外にあるハイテクIT産業のメッカであるシリコンバレーと呼ばれる地域にあります。気候は過ごしやすく治安も良い分、物価はハンパなく高いのですが、地域には日本人(日系アメリカ人も含めて)が多く、暮らしやすい場所でした。スタンフォード大は自由でオープンな雰囲気の中に世界のトップ、そして最先端であることを目指すという“明るいハングリー精神”があります。スタンフォード大学の卒業式でアップルの元CEOの故スティーブ・ジョブズ氏が訴えかけた”Stay hungry, Stay foolish”の精神が息づいているようです。スタンフォード大だからトップを走っているのではなく、トップを走り続けているからスタンフォード大なのだと思わされます。

このように恵まれた環境の中でしたが、最も困ったのは先述した物価の高さ(とくに家賃と教育費)でした。ツーベッドルームの家賃が2500ドル/月という地域でしたので、ポスドクの給料だけでは追いつかず、毎月が「特大」赤字。渡米当時は1ドル=120円の時代でしたから、毎月の収支を見ながら、これではもたないと焦る日々でした。そういう困窮状態のために、フェローシップ(給与に当てられる研究助成)を獲得するために火のついたように申請書を書き続けました。幸い渡米後4ヶ月後にDean's Fellowshipから、さらに半年後にはAmerican Heart Associationから、そして翌年はStanford University Child Health Research Institute からの助成を獲得し、ついでに、低所得者向け家賃補助プログラムにもあたってなんとか生活を続けることができました。

スタンフォード大では、様々な国や地域からの多くの人たちとつながることが出来ましたし、研究に関するディスカッションも大いにしました。ラボではミーティングのオーガナイザーや、二人の大学院生と学部学生の教育係を任され、他のラボのポスドクとの交流も盛んでした。また、Journal of Visualized Experimentに依頼されて作成した新生児HIEモデルの実験方法の動画は掲載後半年くらいで視聴が1万回を突破し(2012年4月現在の視聴回数は3万回)、世界各地から多くの質問や相談がよせられました。また、学会でも口頭発表(1回)やポスター発表(3回)だけでなくHIE研究のパイオニアであるV教授から共同座長を依頼されるなど、同じ分野の研究をしている仲間に加えていただきました。

それと同じくらい大きな収穫だったのは、異国での日本人どうしのつながりです。いろんなことで助けあうのはもちろんですが、アメリカだと、ただ日本人であるというだけでお互いにつながりたいと思うのが新しい発見でした。それは東日本大震災のときには顕著でした。多くの日本人が協力しあって、チャリティイベントが震災後、継続的に行われ、寄付金を集めていました。それは祖国のために協力しあっているマイナリティである日本人たちをアメリカ人たちが応援してくれるという麗しい構図でもありました。私たちも海の向こうで起きている悲劇に際して、日本国内で祖国を心配している人たちにどう寄り添えるのか。そこから国際交流が始まるような気がします。なので、日本人どうしがちゃんとつながりあうことなしに海外の人たちと手を結びあうというのは無理な話だし、日本にいる外国人に親切にすることなしに海外に手を差し伸べるというのも不自然なことなのかもしれません。普段からそういう意識をもっていること、それが国際感覚というものではないでしょうか。私が四年間、太平洋の向こう岸に立ってみてわかったことは、この偉大な太平洋はここから始まって日本につながっている、日本からはじまってここに繋がっているということでした。同じように、世界へと通ずるつながりとかネットワークというものは、本当に身近なところからはじまるのだと思うのです。

留学中の仕事の一部を発表した論文をもとにした研究計画は幸いにも帰国後に科研(基盤C)をいただくことができました。これからも臨床のバックグラウンドを生かした研究を続けていきたいと思っていますし、できれば後輩の皆さんがさらに発展させていってくださるような新しいこともチャレンジしていきたいとも思っています。そういう願いとか研究そのものというものは、ある意味、灯火(ともしび)のように喩えられるかもしれません。わたしが持っている灯火は、小さなものではあっても指導いただいた先輩方やしんどい思いをした赤ちゃんやご家族からいただいた大切な灯火です。そして、HIEの後遺症とともにある子どもたちやご家族にとっては、“小さくてもそこにある光“なのかもしれないです。その大切な灯火をさらに大きくさせること、そしてその灯火を絶やすことなく、同じように重荷を持って下さる方々へとつなげていくことで、病気の子どもたちを先に見据えた研究をさらに発展させていきたいと願っています。

謝辞:本報告にあたり、この留学を支えてくださったK教授、M教授、副センター長のK先生をはじめ○◯大小児科の皆様にあらためて感謝致します。そして海の向こうにまでついて来てくれた妻と二人の娘たちに心からの感謝を送ります。

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2011年5月21日 (土)

ブログには書きたくないこと。

ブログをはじめてもうすぐ4年になります。
はじめの一年間はほぼ毎日のように更新していましたが、少しずつ減ってきました。

書くネタが無くなってきたということでもないのですが、更新頻度が落ちたのは去年の正月に日本に一時帰国をしたからでした。三週間も帰国して家を空けますということをブログに書きにくいので、アメリカに戻ってから更新しようと思って、ツイッターで出来事を残しておこうと思ったのでした。

そうやって、アカウントを開いて半年後にツイッターを「はじめた」のですが、レスポンスがすぐに返ってくるので、そちらに移行してしまいました。

ツイッターは誰でもフォローしあえるので、基本的にミニミニブログみたいな書き方をしています。
家族の名前も仮名ですし、どこかに出掛けた写真とかもよくアップしています。
ちなみにFacebookは基本的にリアルにお付き合いのある人で、仕事よりもプライベートのお付き合いがウェイトを占めるような方々とのみ繋がっています。もともとはこちらの教会の方々とのコミュニケーションのために始めたので、基本的には英語です。ミクシイはあまり書いていませんが、実際に知っている人以外に興味の共通する人もつながっています。なのでこちらにはプライベートなことは載せていません。

さて、ブログに書かないけれども、ツイッターには書くということが大きくわけて二つあります。
ひとつは、些細なこと。(実験終了!とか、教会の礼拝に行ってきました、とか)
もうひとつは、ネガティブなこと。これはツイッターには書くこともたまにあります。

ブログにはつらいこと、失敗したこと、悲しい思いをしたことはあまり書きたくありません。
それは、ブログを読んでくれる人にはプラスになる情報とか楽しんでいただける情報を中心に知ってもらいたいと思うからです。

本当は、半年間やってきた実験がまったくデータとして使えないとか、論文の構成でボスと揉めているとか、研究のアイデアをラボの他のメンバーの論文に使われたとか、自分の論文に載せるつもりのデータが他の論文に行ったとか、帰国後の立ち位置に難しさを感じているとか、そういうことはブログには書いていません。

もしかしたら、同じように研究留学をしている方々や、これからしようと思っている方々にはプラスになるようなネガティブな記事というのもあるかもしれないのですが、私はこうやって元気に生きているわけですし、感謝することがたくさんあるのでそういうことは書くまでもない些細なことになってしまっているのかもしれません。それはなぜかというと、やはり私は神様に心を守ってもらっているからなのだと思います。

だから、わたしのブログを読んでいる人は「なぜhide-tanはこんなにも順風満帆なのか」と思うかもしれません。正直言うと妻はときどき「hide-tanは苦労しているのに、苦労していないように思われているのが気の毒」だと言います。それで妬まれているかもしれないと心配してくれているっぽいのです。

たしかに私はある意味では本当に順風満帆であるかもしれないし、ある人から見ればそうではないかもしれないです。でもそれもどうでもいいことです。人生の荒波を乗り越えていくのに大切なことは、わたしという船にイエス・キリストが乗っておられるかということです。

私の船にはイエスがのっておられます。
聖書という羅針盤があります。
それはどうせ変わりやすい風向きがどうであるかということよりも大切なことだと思います。

イエスがともにおられ、聖書から離れない限りはわたしは神が定めた目的地に必ず辿りつくはずだからです。


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2011年2月12日 (土)

ものごとを決断するとき

物事を決断するのにすべきことを二つ。 1:信頼できる情報を集める。 2:それをもとに熟考する。
物事を決断するのにしてはいけないことを二つ。 1:これが多数派だからという理由で決断する。 2:人の目から見栄えのよい方を選ぶ。
物事を決断するのにあたりまえのことを書いてみました。

これ、研究者としてもすべき/すべきでないことです。
情報を集めて結論をくだす。多数派だからという理由で結論をくださず、へんな理論を展開するやつだと思われても、自分で観察したことをしっかり吟味してそれが正しいと思ったら発表する。そうやって、大切な発見を世に送り出して来た例はいくつもあります。

こういう原則は、研究だけではなく、神がいるのか、信仰をもつか否かについてもそうです。
なにをどのように信じるかはたしかに自由だけれども、判断をくだすために情報を集めて決断しているかどうか。本当に熟考を重ねて来たかどうか。

たとえ自分が少数派で、そうしているのがヘンな奴と思われたも立ち続けられる立場かどうか。日本のクリスチャンは99%のノンクリスチャンに囲まれてもクリスチャンでいる。
日本のクリスチャンはまったく証しになっていない(つまり、神様が本当におられると信じているような生き方をしていない)とか言われるけれど、このようにクリスチャン人口が少ない中で信仰を保ち続けているのはある意味、スゴいことです。

もしこれを読んで下さっているあなたがクリスチャンでないなら、自分の周囲の99%がクリスチャンであっても信仰を否定できるかどうか。ちょっと考えてみて下さい。そういう状況でも「私はイエスを信じない」と言い続けるだけの根拠があなたの中にあるかどうか。

もしこれを読んで下さっているあなたがクリスチャンなら、世界であなたがたったひとりのクリスチャンであってもイエスを主と崇めていられるかどうか。そういう思いでキリストにむいているのかどうか。

「世界中があなたに反対しても私はあなたの味方だ」
とかいうセリフ、よく聞きますが、私にとってのイエスは
「世界中があなたが神ではないといっても、あなたは私の神です」
的な存在です。それは、このイエスが、
「世界中があなたを憎み、排斥してもわたしはあなたをなおも愛し、受け入れよう」
と言って下さるお方だからです。


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(写真:San Jose State University)


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2010年10月18日 (月)

読書感想文:「ゲノムと聖書」"The Language of God" (フランシス・コリンズ)

以前、スタンフォードにも講演に来られたことのあるFrancis Collins氏の著書である「ゲノムと聖書」という本を読みました。ずいぶん前にほぼ読み終えていたのですが、巻末の補遺のところを読んでいなかったので感想文を載せていませんでした。実は、講演のときに原著は購入していたのに以前のブログ記事にあるように講演内容に少しがっかりする面もあり、それと、英語を読む労力ということもあって(こちらの方が大きいcoldsweats01)、手をつけずにいました。

今回、7月にお会いした翻訳者のはちこさんに訳書をいただき、読ませていただきました。難解な内容であるはずなのに読みやすくなっているのは、心理学を研究されていたはちこさんと夫のぼぼるさん(シカゴ大学地球物理学)がしっかり噛み砕いて、正確な記述でありながらやさしい口調で書かれたからだと思います。このような本を訳すのには本当にパーフェクトなお二人です。

本当に素晴らしい本で、おそらく☆5つ!という人が多いのではないかと思います。実際、本日の時点ではアマゾンのレビューでは、☆4つ半です。私にとっては、多くのポジティブなことに対して二点だけネガティブな点があって☆4つ。講演のあとの落胆を随分と回復させていただいた点で読んでよかったです。
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もっとも感銘を受けたことは、内容がクリスチャンにもそうでない人にとっても議論を起こしそうな話題であるゆえに、真摯に科学と信仰と向かい合い、客観的なエビデンスを丁寧に書かれていて、謙虚に自分の考えをのべていること、その主張の根幹に世界の人々に対する愛が感じ取られたことでした。これは、はちこさんも著者の熱い思いに感涙だったと仰っていたことからもそのとおりだと思います。

そしてもっとも学んだこと。それは、クリスチャンが冷静かつ正確な知識に基づくようなものごとの捉え方をしないと、誰かがキリストと出会い、信仰をもつときの妨げになる可能性があるということ。なので、信仰の本質的なことにふれない部分で心を閉ざし、現在の科学的認識に反することを「神の意に反する」とか言って、声だかに叫ぶべきではないということ。

この本を読みながら、ひとつの確信が強くなっていくのを感じていました。それは「ダ・ヴィンチ・コード」が巷で話題になったときにも思ったときと類似していました。それは、科学を真摯に、丁寧にみつめていけば、いつかそこに神の指の跡を見いだすことができるという確信です。

残念な点は、次の二点。まず、有神論的進化論(神が天地を創造し、目的を持って生物を進化させて人類を誕生させたということ)をサポートするのがこの本のひとつの目的であるのに、一般向けの本ということもあって、それをサポートする科学的エビデンスをもう少し多く記述してほしかったと思います。たとえば、創造論者が提唱している化石の年代の測定法の問題点についての反論があるなら(はっきりした反論はしていないがそれを臭わせています)、ちゃんと紙面を割いて説明すべきであったと思います。次に、(ここは訳者であるはちこさんとぼぼるさんが、この著者の長所として挙げられている点なのですが、)「何を信じるのかは一人一人がよく考えて決めるべきだ」で終わっているところ。

私も、誰かに聖書の話をしたりするときには同じように「何を信じるかは、個人の自由です。ただ、人生で一度くらいは世界でもっともよく読まれている聖書にふれて、しっかりと考えてほしい。」と言います。でも、言い方にこそ違いはあれ、つい、こう付け加えてしまいます。「そうなんだけど、でもやっぱり、私としては◯◯さんにイエス・キリストのことを信じてほしい。なぜかというと、やはりこの世で終わりじゃなくて、◯◯さんも救いを受けて、天国でもおつきあいを続けたいと思うんです。」
フランシス・コリンズ氏も、せっかく最後まで読んでくれた読者に対して、最後にひとこと、このような思いを書かれてもよかったのでは?と思うのです。この本を読めば、彼の心に人々の魂の救いを願うあたたかい心は感じ取れます。なにかの圧力があったのか、ご自身でそのように判断されたのか真相は不明ですが、そのような個人的な思いを書かれてもよかったのではないかと思うのです。それは信仰の強要ではなく、読者に対する真実の愛の表れだからと思うのです。

これを読んで、以前のブログ記事から私の思いが変わったところは、コリンズ氏が深い考察のもとに「有神論的進化論」を支持するに至ったのだということです。他はおおむね、2年前の記事にあるのと考えは変わらないのですが、それでも上記に書いたように意識を変えられた部分もあり、ますます謙虚にそれでいて真摯に科学にとりくみ、そして慎重に思慮深いことばをもって科学をするものとしての信仰を弁明していきたいと思いました。

ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考えるBookゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える


著者:フランシス・コリンズ

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2010年4月22日 (木)

スポンサーから笑いをとる?(小児科医になった理由)

今夜は、わたしのフェローシップをサポートしてくれているmorris夫妻(仮名)に他の医師や研究者とともにディナーに招かれました。morris氏は、世界規模のIT関連企業の元CEOで全米200位くらいの富豪。寄付総額は20位以内というすごい人です。大学院を出たスタンフォード大学への寄付をはじめ、いろいろな社会事業に寄付をしています。
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今回のディナーは、少しインフォーマルな感じで、この夫妻が自分たちがサポートしている研究者を招いて話がしたいということでした。

ディナーのあと、ご夫人が
「今日は専門的な話は抜きにして、こんな感じでスピーチしてもらいましょう。
①どこで生まれたか?
②どこで育ったか?
③どのように今の研究をするに至ったか?
④これからどうしたいか?

こんな感じでご自分のことを話してください。」

そして、ひとりひとりの名前と簡単なプロフィールを紹介して、順番にスピーチしていきました。
私のスピーチは以下のとおり。

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私が生まれたのは日本の大阪にある地域病院です。実はそこで小児科医として働くことになったんです。はじめてそこに行った時に、かなり年上の看護師さんが、「ちょうどあなたが生まれたころに産科病棟にいたわよ。あなたにミルクをあげたかもよ。」と言われてちょっと恥ずかしかったです。ちなみにその病院では私の長女も生まれています。

I was born in Osaka, Japan at a local hospital, where I ended up working during my pediatric residency. When I first join this hospital, one pretty old nurse came up to me and said, "you know, I was working in the Ob/Gyn ward about the time you were born. I might have feed you milk". I was totally embarrassed.

ま、それはいいとして、私は大阪で育ちました。ただし高校生のときに一年間はピッツバーグにいました。父が外科医で肝臓移植の勉強をしにいくためです。そこで自分はアルバイトをしたかったのですが、ビザの関係でできなかったので盲学校でボランティアをしました。それで、ボランティアっていいなと思い、日本に帰ってからもすることにしたんです。夏休みに脳性麻痺や精神遅滞の子どもたちがいる施設にボランティアに行って、「ああ、社会にはたくさんの問題があるんだなあ。でも、これらの問題全てを解決することなんて自分にはできないなあ・・・でも、ひとつくらいは出来るんじゃないか。人生をかければひとつくらいは。」と思ったのです。それからある医師が書いた本をきっかけに医者になろうと決めました。

Anyway, I grew up in Osaka except for one year I lived in Pittsburgh. My father is a surgeon and he wanted to study liver transplant and that's why we went there. When I was there, i wanted to have a part time job but my visa didn't allow me to do it. So I volunteered in a school for blind children and I became interested in volunteering. After I came back to Japan, I volunteered in a facility in which children with cerebral palsy or mental retardation stay. And I realized, "man, there are lots of problem in this society. I want to do something-even though I may not be able to solve every one of them. I can solve at least one problem if I spend my life to it." then I read a book written by a doctor and decided to go to med school.

医者になるのを決めたのはいいのですが、どんな医者になるかも問題でした。
私にわかっていたのは、『人に仕えたい』ということです。それで、どんな人に仕えたいのかを考えて臨床実習にのぞみました。医学生として病院でいるときに「いったいこの病院でもっともエラいのは誰だろう?」と思いました。そんなことを考えているときに小児科の臨床実習で教授が赤ちゃんの診察をしているときにその赤ちゃんがピュ〜っとおしっこをしたんです。教授のネクタイはおしっこで濡れたのでお母さんがすごく慌てて「ああ、教授先生、すみません。すみません。」とオロオロしていました。でもその教授はネクタイを外して「いやいや。俺が悪いんや。赤ちゃんを診察するのにこんなもんしてるからや。」と言ったのです。”かっこいい!この教授みたいになりたい。こういう人こそスゴい!”と思ったのですが”ちょっと待てよ。エラいのは、教授におしっこをかけて謝りもせずに寝ているこの赤ちゃんや。この子は謝りもしないし、ありがとうも言わない。エラそうにしてる。このようにエラい赤ちゃんに仕える医者になろう!”と考え直して小児科医になることにしたんです。そもそも人に仕えるのは身を低くすべきなのに医者になると高慢になってしまいます。でも「ありがとう」も言ってくれない赤ちゃんや子どもたちの前では膝をかがめて仕えることができます。

After I entered the med school, the next thing I have to think about was what kind of doctor I want to be. I knew I wanted to serve people as a doctor. I just wanted to know what kind of people I want to serve. As a medical student I looked around the university hospital and wondered who is the greatest in there. When I was in pediatric clinic as a student, the professor was checking a baby. And it happened that the baby took a pee and the pee was on his tie. Mother said "Oh, I am so sorry, professor. Oh no, I'm sorry!" She was definitely in trouble. However, the professor took off the tie and said, "no, that's my fault. i shouldn't have worn a tie in front of babies." You know, he's a great man, I thought I wanted to become like him. but the next moment I said to myself, "wait! maybe this baby is much greater than this professor. he takes pee on the professor's tie and just lying down. He doesn't say "I'm sorry" nor even "thank you". I was afraid that I would be a proud person after I become a medical doctor. But if you serve little children, you can't become proud in front of those who never say "thank you" but just say "go away!".

それで、私が今のような研究をするようになったきっかけは、新生児集中治療室で働いていたときに多くの赤ちゃんが難産の末に、脳に後遺症を残したりするケースを見たので、新生児の脳傷害について研究したいと思ったからです。わたしは、「なにかひとつ問題を解決できれば」と思っていましたが、奇しくも科学という手段を通してそれを成し遂げようとしているのだと今、あらためて思いました。

So, I came up with this research I am doing because I saw many baby who had to go thru difficult labor and eventually had neurological impairment after that. That's why I started doing research on neonatal brain injury. You know, I said I wanted to solve one problem and I just found myself trying to do it in scientific way.
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ここまでがその場で考えついて行ったスピーチでしたが、M氏から「なぜスタンフォードに来たの?」と訊かれました。

それは、私がアメリカで学会をしていたときに今のボスと出会ったからです。同じ研究分野の人だったのでよく知っていたのですが、彼女は私がトイレに行ってる時に私のポスターを見に来てくれていました。遠くから彼女を発見して「あーDr. A!光栄です。いつも論文を読んでいます!」と駆け寄りました。たぶん、彼女は私のそのような言葉を気に入ったのでしょう、それで一緒に働くことになりました。・・・いや、たぶん、プレゼンも気に入ったのだと思いますよ。

I met my boss at the conference in the US. She visited my poster while I was in bathroom. I saw her standing at my poster and ran up to her and "Dr. A! Hey, I know you. I always read your paper!!" I think she liked the way I said it and I joined her lab. .....Well, I think she liked my poster as well, though.

パーティは夜の10時まで、M氏のこれまでの歩みや55年間の結婚生活の秘訣とかいろいろ話をしてなごやかで楽しいパーティでした。

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2009年12月 1日 (火)

もちあげパーティ?

今夜は、スタンフォード大学の小児病院(Lucile Packard Children's Hospita)の基金(the Lucile Packard Foundation for Children's Health)が主催するパーティに招待されました。

私の役目は、寄付を受けてフェローシップ(研究助成)をいただいてポスドクとしてのトレーニングを受けている立場として、そのフェローシップ受賞のお祝いを受けることとスポンサーに感謝を表すことです。

ここからフェローシップを受けているポスドクの知り合いはおらず、偉い先生方(学部長や部門長レベルの人たち)&スポンサー(会社のCEOなど)が出席するパーティ。
しかも、英語(あたりまえですが)。ついでに招待状も銀色でピカピカ。会場は、ダウンタウンを歩くたびに豪華なホテルだなあと眺めていたGarden Court Hotel。行く前はちょっと気が重く「熱でもでないかな〜(出たら休めるのに)」とか思いながら会場へ。10分前につくと、なんと一番乗りでした。
(ラテン)大阪人の私は、『そうか、そらイヤやな〜って、どんだけ楽しみにしてるねん!』ひとりボケ、ひとり突っ込みをしてしまいそうな状況でした。

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開始時刻になってようやく人が集まり始めて、ドリンクとオードブルを肴に、数人の人と軽く会話していると、私のフェローシップを出してくれているご夫妻(夫はシリコンバレーにある有名企業の元CEO)のうち奥様だけが見えられて、感謝の挨拶と雑談をして一緒に写真を撮ってもらいました。(元CEOのJ氏はあとで来場し挨拶をしました)わたしの隣に座られたのは、スタンフォードの教授を雇用する権限のある部門長。スピーチをしに壇上にあがってる間に、学長がヨッ!とか言いながらドカンと座りに来たりしました。

話をしたり、配られた資料を見ていると、サポートを受けている人も優秀そうな人たちばかり。
ディナーでのスピーチも、彼らがいかに優秀でどのようなことをしているのかをずらずら述べていました。この人にウソをつかせてはいけない、自分のふがいなさで、寄付が減らされて後輩に迷惑をかけてはいけないというメッセージとして受け取りました。

帰りには、フェローシップ受賞の証明書みたいなものをもらいました。
司会者の先生が、「これを壁にかけて時おり眺めてください。そしていつか、あのときにこのようなフェローシップを受けたからこそ今の自分があるんだと感謝したり、励まされたりすることもあるでしょう」と言っていました。自分もいつかそのような日がくればいいなと思いつつ壁に掛けてみました。
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はじめは、スポンサーを持ち上げ、受賞者を持ち上げて基金を募るためのものと理解していましたが、私に取ってはモチベーションもあげていただいた気がしました。

それにしても、いろんな意味で刺激を受けた機会でした。happy01

妻:あんたいつも行く前はブツブツ言ってるけど、結局ごきげんで帰ってくるやん。┐(´д`)┌ヤレヤレ

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2009年11月26日 (木)

ドーモホリデーモード

こちらアメリカでは明日から、いよいよThanksgiving Holidayです。happy01
4連休です(子ども達はすでに今日から5連休)。
アメリカのNational HolidayであるThanksgivingは、日本でいうお正月みたいな感じで、家族や親戚が集まってお祝いします。

アメリカは広いので、同じ国に住んでいても州が違えば、場合によっては外国に行くようなほどの距離があったりしますので、かなりの人が大移動する時期でもあります。この時期はハイウェイcarも空港airplaneも大混雑しているというニュースでもちきりです。私たちも去年は南カリフォルニアのディズニーランドからのこちらに戻って来るのにいつもの2倍くらい(=12時間)がかかりました。

そんなこともあって、今年のサンクスギビングは、我が家は遠出はナシです。
・・・ウソです。本当は、この休日にしないといけない実験があるからです。

ところで、この前の日曜日の夕方にラボに行くと、細胞培養室のインキュベーターがおかしいことに気がつきました。とりあえず、できるだけの応急処置をしましたが、どれだけの期間、調子が悪かったのかがわからず、ラボのみんなにメール。培養細胞の状態を確認すること(たぶん実験には使わない方がよいだろうこと)、インキュベーターの修理が必要かどうかを見極めないといけないことを伝えておきました。

月曜日。やはりインキュベーターが壊れているということが判明し、使用停止。
他にも共焦点顕微鏡の調子も悪いことが発覚しました。よりによって、ホリデーシーズンの機器の故障。部品調達を伴う修理は連休明けになりそうで、それゆえに実験やデータ取りもスローダウンしそうです。

忙しく働かされている機器がふたつ故障したわけですが、ちゃんと時期を選んでお休みをもらったと捉えるべきでしょうか、実験機器もどうもホリデーモードに突入したようです。( ^ω^ )
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・・・ただ、私の実験とは関係ないものなので、私の「ホリデーワーク」は中止にはなりませんでした。coldsweats01

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2009年11月13日 (金)

夢を恐れず、走りつづけろ

ときどき参加しているLSJセミナーですが、今回は貴重な講演を聞くことができました。

スピーカーの野尻知里氏は、元心臓外科医で臨床をし、アメリカへの研究留学から人工心臓の研究に出会い、医療機器メーカー(テルモ)で開発。アメリカで企業法人を立ち上げ、臨床応用までこぎつけ、多くの患者さんに希望をもたらしています。それまでの大変な道のりの過程を、人工心臓の歴史とともに冗談を交えながらお話していただけました。

本当に盛りだくさんの講演でしたが、
◉日本の医師は企業に対して上下関係を保持していて(日本ではまだまだ医師は”お医者様”である)、それが臨床現場と企業との協力関係の障壁となっている
◉日本の医師は臨床から離れること=ダウンサイズすること、という意識があるので、欧米と比べると医師としてのバックグラウンドをもった人で、医療機器の開発に携わる人が少ない

ということがちょっと印象的でした。

またリーダーシップの話のところで、ビジョンや感動の共有、チームのモチベーションを保つ為の工夫などもなるほどと思うものでした。下のことばはNHKプロフェッショナル仕事の流儀(2008年10月28日放送分)から。

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講演は実験の合間に出たので、質疑応答まで聞けず残念でしたが、野尻さんの目まぐるしい年表を見て、

「この人は、目標に一番早く辿り着ける道を突き進んで来た人だ」

と思いました。そこまでのパワフルさをすべての人が持ち合わせているわけではないです。
でも夢を持ち続けて、それにむかって走りつづけること、という根性論以外に、それを達成する為に同じ目標を共有出来る仲間を見つけることや、そのような仲間との喜びを共有し合うということの大切さが少しでも語られたのはよかったと思います。

自分はスーパーマンにはなれないかもしれない、それでも、他の人と力をあわせれば大きなことができる、そういうことを学んだ気がしました。

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2009年11月 2日 (月)

大きなビジョンと小さな一歩。

わたしは臨床医としても、研究者としても「子ども達の健康と幸せのために」役に立つような臨床や研究をしたいと思っています。赤ちゃんが生まれてくる前後に起きる脳へのダメージを防ぐような手だてを考えて予防や治療につながるストラテジーを開発したいという思いがあります。

それは、世界中の子ども達を救うといういわば大きなビジョンです。

しかし、いつもの自分は、いついつまでに論文を!とか、
次の学会発表までに少しでも良いデータを!とか、
次のラボミーティングまでにちょっと格好いい結果を!とか、
来週のボスとのミーティングまでに少しでもポジティブなデータを!
とか、そのような小さな目標にいっぱいいっぱいになっているのです。

そんな小さなビジョンに気を取られて、実験で不注意な間違いをしてしまったりして何日もの仕事をパーにしたりもしてしまいます。

今日、教会のカップルズクラスで学んだことは、「自分の十字架を取って神に従うとはどういうことか?」ということでした。そのグループディスカッションの中で、

1:偉大な神が自分たちクリスチャンを通してなそうとしている壮大なビジョンに立って生きることが大切である

2:そのために必要なことは、大きなことをなすということではなく、小さな行為を始める(近所の人たちと仲良くするとか、教会でちょっとしたお手伝いをするとか)ということを軽んじてはならない

ということを学びました。
そう、自分はいつも小さなビジョンにとらわれ、小さなステップを軽んじてしまっている小さな人間かもしれない。大きなビジョンをつねに描きながらも、小さなことをおろそかにしない、家庭でも、地域社会でも、仕事の面でも、そういう生き方をしたいと思わされました。

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2009年10月23日 (金)

ボスが学会から帰って来た

ので、非常にエキサイティングして、病み上がりの私を捕まえていろいろ実験の指示を出すものと思っていたのですが、かなり体力的にしんどそうで、今日はあまりディスカッションという雰囲気でもなさそうでした。

私のポスターのところにも4時間の枠のうち1時間弱ほどしかいれなかったようで、同じ研究分野の人の訪問も少なかったようでした。ちょっとガッカリ。

同じく学会から帰ったポスドクも、
「疲れた。何が疲れたかって、会場広すぎ!この講演聞きたいと思って会場内を移動しはじめたら、その部屋に辿り着いたら終わっていた。」
「ポスター会場も広すぎて、ベンダーのブースでお土産をもらえなかった」
とか、ぶーぶー言っていました。

それよりも、このポスドク仲間は、出張先で前のボスとクレジットカードを取り違えてしまったらしいのです。しかも、お互い気がつかずにホテル代を支払い、帰りの空港でやっと気がついたそうです。
二人ともクレジットカードの裏面に署名をしていなかったのも原因のひとつでしょう。

お互いに信用出来る相手だったのが不幸中の幸い。
お互いのカードを廃棄して新しく作り直すことにしたようです。

でも、これで、クレジットカードって危ないことがわかりました。
裏面の署名はもちろんですが(といても、これも真似される恐れがないわけではないです。私は日本語で署名しているので、こちらでは真似されにくいと思いますが)、クレジットカードを使う時にIDを見せろと言われてうっとしく思っていた(のは、なぜかというと、住所とか生年月日とかが免許書には書かれているので。)ことも犯罪や間違いの防止の為には必要なのかもと思いました。

クレジットカードって、本当に安全なのは、
裏面に署名する/しない
IDカードも見せる/見せない
どうするのが一番良いのでしょうか?

ちなみにIDを見せることには義務はないそうですが裏面の署名は必要だそうです。(こちらを参照)

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