海外留学

2012年5月 2日 (水)

公式?留学報告 : つながりたい思い、つなげたい願い。

医局の同窓会誌に掲載される予定ですが、少しあらたまった留学報告書を書きました。
ブログを(いつか)終えるにあたり、ここでも紹介したいと思います。

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留学報告  つながりたい思い、つなげたい願い。      アメリカ西海岸スタンフォード大学での4年間

留学からの帰国を半年後に控えたある日、書類を整理していると昔の自分が書いた一通の手紙のコピーが出て来ました。

“将来は留学や国際学会などに積極的にチャレンジし、世界の医師と協力しあい、世界的なレベルにおいても小児医学に貢献できるような働きをしたいと願っております。(1996年10月、医学部6年:○◯大小児科入局志望動機)”

わたしの国際学会デビューはその8年後でした。さらに2年後の学会で3回目のアメリカ国内での学会発表で後のボスとなるA先生との出会いがあり、電話インタビューとラボ訪問を経てStanford University School of MedicineのDepartment of Neurology and Neurological Sciencesのポスドク(博士研究員)として4年間 (2007年9月〜2011年8月)、研究留学をすることになりました。アメリカ西海岸の名門大学で、自分が持ち込んだ院生時代のプロジェクトを発展させた研究テーマ、年俸も約束されて、すべての希望が叶った形での留学となりました。

スタンフォード大学は米国カリフォルニア州のサンフランシスコ市郊外にあるハイテクIT産業のメッカであるシリコンバレーと呼ばれる地域にあります。気候は過ごしやすく治安も良い分、物価はハンパなく高いのですが、地域には日本人(日系アメリカ人も含めて)が多く、暮らしやすい場所でした。スタンフォード大は自由でオープンな雰囲気の中に世界のトップ、そして最先端であることを目指すという“明るいハングリー精神”があります。スタンフォード大学の卒業式でアップルの元CEOの故スティーブ・ジョブズ氏が訴えかけた”Stay hungry, Stay foolish”の精神が息づいているようです。スタンフォード大だからトップを走っているのではなく、トップを走り続けているからスタンフォード大なのだと思わされます。

このように恵まれた環境の中でしたが、最も困ったのは先述した物価の高さ(とくに家賃と教育費)でした。ツーベッドルームの家賃が2500ドル/月という地域でしたので、ポスドクの給料だけでは追いつかず、毎月が「特大」赤字。渡米当時は1ドル=120円の時代でしたから、毎月の収支を見ながら、これではもたないと焦る日々でした。そういう困窮状態のために、フェローシップ(給与に当てられる研究助成)を獲得するために火のついたように申請書を書き続けました。幸い渡米後4ヶ月後にDean's Fellowshipから、さらに半年後にはAmerican Heart Associationから、そして翌年はStanford University Child Health Research Institute からの助成を獲得し、ついでに、低所得者向け家賃補助プログラムにもあたってなんとか生活を続けることができました。

スタンフォード大では、様々な国や地域からの多くの人たちとつながることが出来ましたし、研究に関するディスカッションも大いにしました。ラボではミーティングのオーガナイザーや、二人の大学院生と学部学生の教育係を任され、他のラボのポスドクとの交流も盛んでした。また、Journal of Visualized Experimentに依頼されて作成した新生児HIEモデルの実験方法の動画は掲載後半年くらいで視聴が1万回を突破し(2012年4月現在の視聴回数は3万回)、世界各地から多くの質問や相談がよせられました。また、学会でも口頭発表(1回)やポスター発表(3回)だけでなくHIE研究のパイオニアであるV教授から共同座長を依頼されるなど、同じ分野の研究をしている仲間に加えていただきました。

それと同じくらい大きな収穫だったのは、異国での日本人どうしのつながりです。いろんなことで助けあうのはもちろんですが、アメリカだと、ただ日本人であるというだけでお互いにつながりたいと思うのが新しい発見でした。それは東日本大震災のときには顕著でした。多くの日本人が協力しあって、チャリティイベントが震災後、継続的に行われ、寄付金を集めていました。それは祖国のために協力しあっているマイナリティである日本人たちをアメリカ人たちが応援してくれるという麗しい構図でもありました。私たちも海の向こうで起きている悲劇に際して、日本国内で祖国を心配している人たちにどう寄り添えるのか。そこから国際交流が始まるような気がします。なので、日本人どうしがちゃんとつながりあうことなしに海外の人たちと手を結びあうというのは無理な話だし、日本にいる外国人に親切にすることなしに海外に手を差し伸べるというのも不自然なことなのかもしれません。普段からそういう意識をもっていること、それが国際感覚というものではないでしょうか。私が四年間、太平洋の向こう岸に立ってみてわかったことは、この偉大な太平洋はここから始まって日本につながっている、日本からはじまってここに繋がっているということでした。同じように、世界へと通ずるつながりとかネットワークというものは、本当に身近なところからはじまるのだと思うのです。

留学中の仕事の一部を発表した論文をもとにした研究計画は幸いにも帰国後に科研(基盤C)をいただくことができました。これからも臨床のバックグラウンドを生かした研究を続けていきたいと思っていますし、できれば後輩の皆さんがさらに発展させていってくださるような新しいこともチャレンジしていきたいとも思っています。そういう願いとか研究そのものというものは、ある意味、灯火(ともしび)のように喩えられるかもしれません。わたしが持っている灯火は、小さなものではあっても指導いただいた先輩方やしんどい思いをした赤ちゃんやご家族からいただいた大切な灯火です。そして、HIEの後遺症とともにある子どもたちやご家族にとっては、“小さくてもそこにある光“なのかもしれないです。その大切な灯火をさらに大きくさせること、そしてその灯火を絶やすことなく、同じように重荷を持って下さる方々へとつなげていくことで、病気の子どもたちを先に見据えた研究をさらに発展させていきたいと願っています。

謝辞:本報告にあたり、この留学を支えてくださったK教授、M教授、副センター長のK先生をはじめ○◯大小児科の皆様にあらためて感謝致します。そして海の向こうにまでついて来てくれた妻と二人の娘たちに心からの感謝を送ります。

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2011年8月 2日 (火)

Big Sur Lodgeにて(8/2/2011)

Big Sur Lodgeにて(8/2/2011)

カリフォルニアで過ごす最後の夏の思い出に3泊4日でMt.HermonBig Surにやってきた。

一日目。Bible101のBBQのあと:
Mt.HermonにやってきてFernando Ortegaのコンサート。
二日目。緑に囲まれたチャペルで礼拝をし、午後はRedwoodの森林を散策。
カーメルでシーフードを食べてBig Surに来た。
三日目の午前がPfeifer SPの散歩、プール。午後はPfeifer State Beach、滝、灯台などを回った。

Big Surから青く、どこまでも続く太平洋を見ていると、神の偉大さ、自分の小ささが見えてくる。
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自分は小さい。人生は短い。
神は偉大。その王国は永遠に続く。

自分がこの先、どうすればよいのかということより、
今、自分は神に従っているか、
自分の人生を神にゆだねているか
そのことが大切に思えてきた。

そして、この四年間、本当にたくさんの素晴らしい経験をさせて下さったことを主に感謝した。

まだまだ人生やりたいことはたくさんあるけれども、いつ死んでもいいくらい幸せな日々を送らせていただいた。

”いつ死んでもいい”

そう思うことはネガティブなイメージがあるけれど、私はそう思える経験をしたことで、どんな困難にも立ち向かって行けるような気がしてきた。

つらいことがあったら、カリフォルニアの日々を思い出そう。
美しいスタンフォードのキャンパスと、そこで働いた仲間たち。
Peninsula Bible Churchの礼拝、メンズバイブルスタディ、そしてBible 101 in Japanese (日本語の聖書の学び会)。
アラスカ、ヨセミテ、グランドサークル、イエローストーン。
カリフォルニアの青い空と美しい海岸、どこまでも広い太平洋。

”あの時はよかった。戻りたい”ではなく、
”あの時はよかった。だから今がんばろう”と思いたい。

今、Big Sur Lodgeのキャビンにある暖炉の火を見ている。
昔はこうやって薪を割って、暖炉に焼べて、そして、灰を肥料にして畑にまいていたのだ。日々生きていくための営みにじっくり時間をかけていたのだ。でも、今は、生きていくために必要なもの以上の”何か”を求めて、効率や便利さを求め、そして生きていくためには不要な何かを得て、人生を生きた気になっている。

私もすでに40歳になったから、これができないといけないとか、これを持っていないといけないとか、そういうことを考えて不安になっている。

もともと短い人生、何を急いでいるのか。

自分が考えている40歳の自分じゃないなら、自分を30歳と思えばよい。
40歳と30歳、何の違いもありはしない。

暖炉の焚き木は面白い。
火をつけるとき、二つくらいを並べておく。
この二つに火がついたら、それに垂直に薪を置く。
すると、もともと燃えていた木がさらに燃える。

新しいクリスチャンに信仰を燃やされるクリスチャンみたいだ。

また、火が弱くなったときには、木の配置を変えたり、息をふきかけると、再び強くなる。

人の信仰も同じようにちょっとした人との関わりが神様によって導かれたり、神様から息を吹きかけられたりして、再び信仰の炎を燃え上がらせる。

そして、燃えて光と熱を発するということには二つの意味がある。
ひとつは、他の薪に火を移らせること。これは、信仰の伝搬であり、信仰の継承といえる。
そしてもうひとつは、自分自身がどんどん小さくなること。
信仰の炎が強くなるにつれて、人は炎を見て木を見なくなる。
私も誰かが私を見るときに、
”この人をこのようにさせている神とはどういうお方なのだろう”という思いを与えられるように自分を小さく、神を大きくしたい。

そして、炭となってくだけたものにも役割がある。
それは、燃えさかる木の炎を下から支える役割。

リタイヤしても祈りで支えることができるということだ。

今、暖炉の火はほとんど消えた。
ものごとにはいつか終わりが来る。
カリフォルニアの日々も終わるし、
自分の人生も終わる。
そして、この世界もいつかは終わる。

しかし、神には終わりがない。
そして、私はこの神に生かされて今を生きている。

2:02AM

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2011年5月21日 (土)

ブログには書きたくないこと。

ブログをはじめてもうすぐ4年になります。
はじめの一年間はほぼ毎日のように更新していましたが、少しずつ減ってきました。

書くネタが無くなってきたということでもないのですが、更新頻度が落ちたのは去年の正月に日本に一時帰国をしたからでした。三週間も帰国して家を空けますということをブログに書きにくいので、アメリカに戻ってから更新しようと思って、ツイッターで出来事を残しておこうと思ったのでした。

そうやって、アカウントを開いて半年後にツイッターを「はじめた」のですが、レスポンスがすぐに返ってくるので、そちらに移行してしまいました。

ツイッターは誰でもフォローしあえるので、基本的にミニミニブログみたいな書き方をしています。
家族の名前も仮名ですし、どこかに出掛けた写真とかもよくアップしています。
ちなみにFacebookは基本的にリアルにお付き合いのある人で、仕事よりもプライベートのお付き合いがウェイトを占めるような方々とのみ繋がっています。もともとはこちらの教会の方々とのコミュニケーションのために始めたので、基本的には英語です。ミクシイはあまり書いていませんが、実際に知っている人以外に興味の共通する人もつながっています。なのでこちらにはプライベートなことは載せていません。

さて、ブログに書かないけれども、ツイッターには書くということが大きくわけて二つあります。
ひとつは、些細なこと。(実験終了!とか、教会の礼拝に行ってきました、とか)
もうひとつは、ネガティブなこと。これはツイッターには書くこともたまにあります。

ブログにはつらいこと、失敗したこと、悲しい思いをしたことはあまり書きたくありません。
それは、ブログを読んでくれる人にはプラスになる情報とか楽しんでいただける情報を中心に知ってもらいたいと思うからです。

本当は、半年間やってきた実験がまったくデータとして使えないとか、論文の構成でボスと揉めているとか、研究のアイデアをラボの他のメンバーの論文に使われたとか、自分の論文に載せるつもりのデータが他の論文に行ったとか、帰国後の立ち位置に難しさを感じているとか、そういうことはブログには書いていません。

もしかしたら、同じように研究留学をしている方々や、これからしようと思っている方々にはプラスになるようなネガティブな記事というのもあるかもしれないのですが、私はこうやって元気に生きているわけですし、感謝することがたくさんあるのでそういうことは書くまでもない些細なことになってしまっているのかもしれません。それはなぜかというと、やはり私は神様に心を守ってもらっているからなのだと思います。

だから、わたしのブログを読んでいる人は「なぜhide-tanはこんなにも順風満帆なのか」と思うかもしれません。正直言うと妻はときどき「hide-tanは苦労しているのに、苦労していないように思われているのが気の毒」だと言います。それで妬まれているかもしれないと心配してくれているっぽいのです。

たしかに私はある意味では本当に順風満帆であるかもしれないし、ある人から見ればそうではないかもしれないです。でもそれもどうでもいいことです。人生の荒波を乗り越えていくのに大切なことは、わたしという船にイエス・キリストが乗っておられるかということです。

私の船にはイエスがのっておられます。
聖書という羅針盤があります。
それはどうせ変わりやすい風向きがどうであるかということよりも大切なことだと思います。

イエスがともにおられ、聖書から離れない限りはわたしは神が定めた目的地に必ず辿りつくはずだからです。


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2011年1月21日 (金)

ラボでの公用語と日本人の感覚

昨日、スタンフォードメディカルスクールが主催の職場環境や人間関係についてのセミナー(出席が義務づけられている)に出ました。トラブルのケースは雇用者対雇用主という関係が多いようですが、この点は私のボスはよくできていると思いました。少なくとも私はボスを(大筋で)信頼していて、お互いに率直に意見を交換しあいながらこれまでやってきました。

さて、このセミナーのグループディスカッションで職場で英語以外の言語でしゃべりまくる同僚に悩まされているケースが例に挙げられていました。Img_7192

それって、まさに僕のことだけれど、「話してる内容がわからないから、無駄話なのか仕事の話なのかわからないから注意できない。」という意見が出ていました。

実は私にとってはそれはどっちでもいいのですが、ずっと隣で中国語を喋り続けられると気遣いがないと思ったりします。でもそういう風に思うのは日本人の感覚なのかもしれないです。中国人にとってはそういう気遣いは無用ということで失礼にあたらないのかもしれない。
いっぽうで、日本人がこちらの職場でまったく日本語を話さないのかというとそういうことでもなさそうです。私のラボには日本人はいませんが、日本人の友達が遊びに来たり、実験の相談に来たりしたときには日本語で会話します。ただ、話が長くなりそうで日本語で雑談したいというときなどは廊下に出たりします。

ネイティブでない者どうしが会話をするときに正確に意思疎通出来る言語を使うのも容認するべきものなのだといのも賛成です。そういうのは微妙なのですが、程度と心がけのバランスなんだと思います。たしかに「郷に入れば郷に従え」というのお一理ありますが、よりよい世界をつくるためには良いものは外からでも取り入れるというのもいいのではないかと思います。そういう意味で日本人的な微妙な気遣いは、国際的にも受け入れられる感覚ではないでしょうか。

ちなみにこのケースに関する私の中国人の同僚たちの意見は「だったら、このラボは中国語も公用語にするべきだ」でした。なんとも予想通りでアメリカ人の院生のnickと私は苦笑してしまいました。

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2010年7月 3日 (土)

サンフランシスコで夢語る

今日(7月2日)はUCSF (University of California, San Francisco) で日本人研究者の懇親会がありました。

スタンフォードの仲間と一緒に会場であるUCSF付属のSan Francisco General Hospitalに行きました。
医局の奥にある会議室に約40名ほどの、たぶん30代前後の研究者が来ていて、各々の経歴とか、趣味とか、夢とかをスライドを使って語っていました。

いろんな経歴の人が、いろんな研究や活動をしていて、それぞれが大きな目標をもって、それを成し遂げたいんだ!みたいなことを口々に言いあって、それをみんなが笑顔で聞いて拍手を送る、そのあとでそれぞれに興味や背景があう人たちでいろいろ歓談していました。

異国の地で頑張っている研究者どうしが自主的に集まって開くこのような会は、私自身とても励ましを得たしよかったです。

ちなみに、肝心のわたしのプレゼンというと、寝不足と準備不足とはじめての会での緊張が相まって研究内容にほぼ終始したものとなっておカタいものになってしまい、せいぜい「スタンフォードとポスドクとブログ」で検索かけたらすぐに見つかるブログを書いてますので見て下さいというのが精一杯でした。

それでもって、そういう検索で来て下さった方がいましたら、私です。今後ともよろしくお願いします。って、まだカタい・・・。

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2010年7月 2日 (金)

Lake Tahoe : だらだらバケーション

この2泊3日(6月27日〜29日)でカリフォルニアとネバダの北の州境にあるリゾート地、Lake Tahoeというところに行って来ました。

ここは以前も訪れたことがありますが、前回はいろいろ観光をするのが目的でした。でも今回は普段から家族ぐるみでお付き合いしている関西人出身の三家族で集まってゆっくりしよう、というのが目的。

食べて飲んで、夜遅くまでしゃべり倒して、朝寝坊する!
日中もちょっとだけしか遊ばず、夕食をゆっくり食べて、またダラダラする!

これが旅のスケジュール

宿泊先は、South Lake TahoeにあるTahoe Keyと呼ばれるところの別荘を借り切りました。
*今回は、あるコネのおかげでとても安くしていただきましたm(_ _)m。*
別荘を借りるというのは、こちらの人もよくしているようですが、そういう場合はVRBOというウェブサイトがいいみたいです。

それで、これがみんなで泊まった別荘の内部。
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それで、これがみんなで朝を迎えた別荘からの眺め。
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それで、これがみんなで泳ぎに行った湖。
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それで、これがみんなで平らげたBBQ (なんと、お肉と牡蠣!)。
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それで、これが・・・朝寝坊の写真はありません。(o^-^o)
というのは、早起きの子どもたちにことごとく起こされてしまったからです・・・。


スタンフォードの貧乏ポスドクたちには関わりのないような生活。

それを同じように慣れない海外での子育てと、思うようにならない研究と、日本に残して来た臨床への憧憬をもつ3人が集まって、その家族と一緒にゆっくり過ごして、そのような非日常的なリッチな生活を少しだけでも体験できてよかったです。

果たして、この味わいは勝ち組の前味となるのかどうか?

3人合わせれば、別荘を一件くらい建てれるんちゃうか?という問いには三人とも「それでも無理っしょ!」という結論に。

でもそれは、高度医療施設での臨床を極めつつ、研究もしたいというお金にならない方面で欲張りな3人だからの話。そして私に関しては、また別に神の国に家を建てたいという思いがあるのでますます難しい話です。でもそれはそうであってもいいのです。

自分たちが貪欲になっている、その方面でそれぞれが成功して、自分の心の中に別荘を建てればいいんです。そして、またいつかこんな風に(たぶん今度は琵琶湖の別荘地で?)集まれたらいいな、と思いました。
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2010年4月30日 (金)

嘆くのではなく考えよ。

先日、私たちの研究をサポートしてくれているMご夫妻の家で、ルーマニアの医師夫妻といろいろ話をするチャンスがありました。

日本でも大学病院で働いているときは、医師6-9年目という状態でも医員という立場だとファーストフードの店員と変わらないほどの給料でしたが、ルーマニアの医師の話はさらにひどい状態でした。

家賃が4万円くらいのところ、給料が2万円くらいらしいのです。
しかも、研修医のとくだけではなく、そこそこの高額所得(といっても他のサラリーマン程度)になるには教授や部長クラスにならないといけないらしいのです。高い知識と厳しい研修、そして求められる責任は大きいのに全然割りにあわない、やる気をもって医者になっても、多くの者はやる気をそがれるか、優秀なものは外国へと流出していき、ルーマニアの医療は全然向上しない、と嘆いていました。

それで、自分はここでポスドクをしてるが、貧乏ポスドクといえ、ルーマニアで医者なんかしてるよりずっといいとのことでした。彼の奥様は晴れて、来年度からスタンフォードのレジデントになることができたそうですが、彼自身ここまで来るのにかなり苦労があったようです。

というのは、彼は医学の研究を志して医学部に入ったけれど、医学部の研究室にはお金がなく、実験ができないので研究室で論文を読むのが研究活動だったらしいのです。そこで研究の心得のある医師が唯一やりかたを知っていたのがアミノ酸解析だったので、彼は自閉症に着目して、幼稚園の入り口でお母さんに声をかけて協力を募り、自閉症の疑いのあるお子さんを集めて、その先輩のポケットマネーでアミノ酸を分析して、それを海外のラボで論文に仕上げたそうです。ルーマニアからは論文が出しにくいのでわざわざ海外に出て行き英語論文にして、それをもとに研究資金を当てて、学部生の間に6本の論文を書いて、医学部卒業をもってポスドクの身分にしてもらい(アメリカではMDもPhDと同じくドクター。つまりMDでもポスドクになれる)スタンフォードに来たそうです。

彼は、まわりの環境が恵まれていない中で、どのようにすれば論文を書けて、どのようにすれば研究資金を獲得出来て、どのようにすれば海外に出てさらに研究を発展させられるかをつねに考えて行動してきたのです。彼に比べると日本人として日本の医学部を出て、大学院で研究させてもらって学位をとらせてもらった自分がなんとも生温い環境で来たのかと考えさせられました(といっても自分なりには頑張ってきたつもりではいるのですが)。その一方で、どんなに状況が悪くても知恵を働かせて目標をしっかり定めてそのために必要なことをひとつひとつこなしていけば、大きな山でも登ることができるのだということを教えてもらい、勇気をもらうことができました。

私もこれから言い訳はすまい、状況が悪ければ悪いなりにどうするか、考えて行動することができるように、目標を達成するためにはプライドを捨てて、ひたすら目標に向かって地道な努力を積み上げていきたい、と思わされました。

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2010年4月22日 (木)

スポンサーから笑いをとる?(小児科医になった理由)

今夜は、わたしのフェローシップをサポートしてくれているmorris夫妻(仮名)に他の医師や研究者とともにディナーに招かれました。morris氏は、世界規模のIT関連企業の元CEOで全米200位くらいの富豪。寄付総額は20位以内というすごい人です。大学院を出たスタンフォード大学への寄付をはじめ、いろいろな社会事業に寄付をしています。
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今回のディナーは、少しインフォーマルな感じで、この夫妻が自分たちがサポートしている研究者を招いて話がしたいということでした。

ディナーのあと、ご夫人が
「今日は専門的な話は抜きにして、こんな感じでスピーチしてもらいましょう。
①どこで生まれたか?
②どこで育ったか?
③どのように今の研究をするに至ったか?
④これからどうしたいか?

こんな感じでご自分のことを話してください。」

そして、ひとりひとりの名前と簡単なプロフィールを紹介して、順番にスピーチしていきました。
私のスピーチは以下のとおり。

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私が生まれたのは日本の大阪にある地域病院です。実はそこで小児科医として働くことになったんです。はじめてそこに行った時に、かなり年上の看護師さんが、「ちょうどあなたが生まれたころに産科病棟にいたわよ。あなたにミルクをあげたかもよ。」と言われてちょっと恥ずかしかったです。ちなみにその病院では私の長女も生まれています。

I was born in Osaka, Japan at a local hospital, where I ended up working during my pediatric residency. When I first join this hospital, one pretty old nurse came up to me and said, "you know, I was working in the Ob/Gyn ward about the time you were born. I might have feed you milk". I was totally embarrassed.

ま、それはいいとして、私は大阪で育ちました。ただし高校生のときに一年間はピッツバーグにいました。父が外科医で肝臓移植の勉強をしにいくためです。そこで自分はアルバイトをしたかったのですが、ビザの関係でできなかったので盲学校でボランティアをしました。それで、ボランティアっていいなと思い、日本に帰ってからもすることにしたんです。夏休みに脳性麻痺や精神遅滞の子どもたちがいる施設にボランティアに行って、「ああ、社会にはたくさんの問題があるんだなあ。でも、これらの問題全てを解決することなんて自分にはできないなあ・・・でも、ひとつくらいは出来るんじゃないか。人生をかければひとつくらいは。」と思ったのです。それからある医師が書いた本をきっかけに医者になろうと決めました。

Anyway, I grew up in Osaka except for one year I lived in Pittsburgh. My father is a surgeon and he wanted to study liver transplant and that's why we went there. When I was there, i wanted to have a part time job but my visa didn't allow me to do it. So I volunteered in a school for blind children and I became interested in volunteering. After I came back to Japan, I volunteered in a facility in which children with cerebral palsy or mental retardation stay. And I realized, "man, there are lots of problem in this society. I want to do something-even though I may not be able to solve every one of them. I can solve at least one problem if I spend my life to it." then I read a book written by a doctor and decided to go to med school.

医者になるのを決めたのはいいのですが、どんな医者になるかも問題でした。
私にわかっていたのは、『人に仕えたい』ということです。それで、どんな人に仕えたいのかを考えて臨床実習にのぞみました。医学生として病院でいるときに「いったいこの病院でもっともエラいのは誰だろう?」と思いました。そんなことを考えているときに小児科の臨床実習で教授が赤ちゃんの診察をしているときにその赤ちゃんがピュ〜っとおしっこをしたんです。教授のネクタイはおしっこで濡れたのでお母さんがすごく慌てて「ああ、教授先生、すみません。すみません。」とオロオロしていました。でもその教授はネクタイを外して「いやいや。俺が悪いんや。赤ちゃんを診察するのにこんなもんしてるからや。」と言ったのです。”かっこいい!この教授みたいになりたい。こういう人こそスゴい!”と思ったのですが”ちょっと待てよ。エラいのは、教授におしっこをかけて謝りもせずに寝ているこの赤ちゃんや。この子は謝りもしないし、ありがとうも言わない。エラそうにしてる。このようにエラい赤ちゃんに仕える医者になろう!”と考え直して小児科医になることにしたんです。そもそも人に仕えるのは身を低くすべきなのに医者になると高慢になってしまいます。でも「ありがとう」も言ってくれない赤ちゃんや子どもたちの前では膝をかがめて仕えることができます。

After I entered the med school, the next thing I have to think about was what kind of doctor I want to be. I knew I wanted to serve people as a doctor. I just wanted to know what kind of people I want to serve. As a medical student I looked around the university hospital and wondered who is the greatest in there. When I was in pediatric clinic as a student, the professor was checking a baby. And it happened that the baby took a pee and the pee was on his tie. Mother said "Oh, I am so sorry, professor. Oh no, I'm sorry!" She was definitely in trouble. However, the professor took off the tie and said, "no, that's my fault. i shouldn't have worn a tie in front of babies." You know, he's a great man, I thought I wanted to become like him. but the next moment I said to myself, "wait! maybe this baby is much greater than this professor. he takes pee on the professor's tie and just lying down. He doesn't say "I'm sorry" nor even "thank you". I was afraid that I would be a proud person after I become a medical doctor. But if you serve little children, you can't become proud in front of those who never say "thank you" but just say "go away!".

それで、私が今のような研究をするようになったきっかけは、新生児集中治療室で働いていたときに多くの赤ちゃんが難産の末に、脳に後遺症を残したりするケースを見たので、新生児の脳傷害について研究したいと思ったからです。わたしは、「なにかひとつ問題を解決できれば」と思っていましたが、奇しくも科学という手段を通してそれを成し遂げようとしているのだと今、あらためて思いました。

So, I came up with this research I am doing because I saw many baby who had to go thru difficult labor and eventually had neurological impairment after that. That's why I started doing research on neonatal brain injury. You know, I said I wanted to solve one problem and I just found myself trying to do it in scientific way.
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ここまでがその場で考えついて行ったスピーチでしたが、M氏から「なぜスタンフォードに来たの?」と訊かれました。

それは、私がアメリカで学会をしていたときに今のボスと出会ったからです。同じ研究分野の人だったのでよく知っていたのですが、彼女は私がトイレに行ってる時に私のポスターを見に来てくれていました。遠くから彼女を発見して「あーDr. A!光栄です。いつも論文を読んでいます!」と駆け寄りました。たぶん、彼女は私のそのような言葉を気に入ったのでしょう、それで一緒に働くことになりました。・・・いや、たぶん、プレゼンも気に入ったのだと思いますよ。

I met my boss at the conference in the US. She visited my poster while I was in bathroom. I saw her standing at my poster and ran up to her and "Dr. A! Hey, I know you. I always read your paper!!" I think she liked the way I said it and I joined her lab. .....Well, I think she liked my poster as well, though.

パーティは夜の10時まで、M氏のこれまでの歩みや55年間の結婚生活の秘訣とかいろいろ話をしてなごやかで楽しいパーティでした。

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2009年12月30日 (水)

一時帰国でやりたいこと

12月28日〜1月15日まで、一時帰国することになりました。

今回の一時帰国の主な目的は、

  1. ビザ更新(大晦日)
  2. わたしたち夫婦の両親や兄弟、友人に会う
  3. 同期の新年会、所属医局のパーティに出席する
  4. 所属している医局で教授との面談、もと職場の大学病院NICUを訪問
  5. 共同研究者への挨拶と打ち合わせ
  6. 研究室のサンプルの整理
  7. minoriの体験登校(1日のみ)
  8. 日本の美味しいものを食べる(ふぐ、寿司、おせち料理など)
  9. 温泉旅行
  10. 衣類や書籍(子どもの参考書と信仰書)の買い物
  11. nori-tanとわたしの母教会、そして所属している吹田聖書福音教会の礼拝に出席する

といういろいろな理由からでした。まあ言ってみれば、留学が予定より一年延びたし、おじいちゃん&おばあちゃんに孫の成長を見てほしいし、留学からの帰りを待っていてくれているであろう皆様にちょっと中間報告とご挨拶をしたい。
そのついでに美味しいものをたくさん食べて、買い物もして帰って来ようというもの。restaurantdelicious

インフルエンザをもらわないか、時差ぼけで倒れないかが心配でしたがとりあえず帰って来ました。ニッポン!しかも、関西!


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2009年9月19日 (土)

ポスドクごくろうさんデイ?

去年、ブログで密かに提案していたPostdoc Dayですが、今年からNational Postdoctoral Associationが中心となって、9月24日をNational Postdoc Appreciation Dayと制定したそうです。(図はポスドクデイのイベントがある場所。National Postdoc Appreciation Dayサイトから。)
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スタンフォードでもBBQが振る舞われるそうです。(チラシのダウンロードはこちら。)
我がラボの貧乏ポスドクの3人も、ちょっとした催しに喜んでいます。

さて、このPostdoc Dayの趣旨は、次のようなもの。

”合衆国の科学事業に対して多くの貢献していることをお祝いし、そのうえで、ポスドクのこのような貢献を社会に広める”

高学歴ワーキングプアなポスドクたちらしい・・・控えめなものです。

去年のブログに書いたような、ポスドクがPostdoc dayにしてもよいことなどは明記していませんでした。私もそんなことを言う勇気はありませんので、とりあえず今度の金曜日にはお肉を少しだけいただいて満足したいと思います。

科学者としてのキャリア途上にあるポスドクは、科学者としての競争を勝ち抜いていけるかどうか(次のポジションを得られるかどうか)という関心とは別に、科学を通してこの世界をよりよいものにしたいという使命感を持って、頑張っている人たちでもあります。最先端の研究成果も、大学院生やポスドクが日々行っている目立たないラボワークから生み出された結果なのです。

だから日本で、アメリカで、世界の国々で頑張っておられるポスドクのみなさま。
年に一回くらいは、こんなふうに言ってもらいたいですよね。

ごうろうさま!

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より以前の記事一覧